5.乱入者
みつけた。対なる者の匂い。それは歩を進めるにつれて強くなり、逸る心を抑えることが難しくなる。歩く速度は次第に早くなり、最早ソレを止めることなど出来ない。
そうして辿り着いたのは、木で作られた大きな何か。対なる者の匂いはその中から強く発せられていた。一刻も早くその中に入りたいが、頑強な木が行く手を阻む。周囲を探って入り込む場所を探すのももどかしく、ソレは翼を広げて飛翔すると、愚直に突進しては跳ね返される。だがその程度では諦めない。ただただ同じことを繰り返し続ける。いつかは必ず突破できると信じて……
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「ソウイチ、外がうるさい」
「誰か悪戯してるのか? そんなバカなことする奴がいるとは思えないが……」
雨戸に石のような硬いものが当たる音が続く。小石でもぶつけられているのかと思ったが、既に外はとっぷりと日が暮れている。この集落には夜に外出するような馬鹿はいない。そもそも酒を飲める店も無いし、夜の散歩と洒落込むには危険が多すぎる。
「カルアとバドのための宴なのに、邪魔をするなんて許せない」
「……様子を見てくるか」
宴席のほうに目を向ければ、既に顔を真っ赤にしたバドと、ほんのり顔を赤らめたカルア相手にシェリーが酒をぐいぐい飲んでいる。よほど二人の結婚式が嬉しかったのだろう、少々絡み酒のような気もするが……
「ん? 誰もいないぞ?」
雨戸を少し開けて外の様子を伺うが、誰かが入り込んだ気配はない。そもそも茶々の鋭敏な感覚をすり抜けられるような奴がいるはずもないが、となるとさっきまでの雨戸に何かが当たった音は一体……
だが目を凝らすと、月明かりを鈍く反射する何かを見つけた。暗がりに溶けていたかのようなそいつは、まっすぐ俺に向かって飛んできた。
「うお! 何だこれは!」
「ソウイチ! どうしたの?」
咄嗟に躱したせいで体勢を崩して尻もちをつけば、突然の俺の異変に気付いたフラムが声を上げる。だが俺に気を取られたせいか、飛び込んできた何かに気付いていない。そして最初に気付いてしまったのは……
「いやあぁぁぁぁ! 『G』よ! こんなことしてられないわ! すぐに家ごと燃やさなきゃ!」
「待ってよ初美ちゃん! あんなに大きなゴキブリはいないよ!」
「何で名前言うのよ! 早く誰か退治してよぉ!」
酒が入っているせいか、いつも以上に取り乱して半ば半狂乱になっている初美。だが飛び込んできた奴をよく確認した者は即座にそいつがゴキブリではないことを理解した。確かにそいつの身体は黒光りしているが、ゴキブリ特有の脂ぎった輝きではなく、磨き上げられた鉄器のような硬質的な輝きを持っている。何よりその動きは力強く、畳にがっちりと爪を喰い込ませて進んでいる。
「こいつはもしかして……いや、それにしては……」
「ソウイチさん、あれの正体を知っているんですか?」
「ああ、だが決定的に違う部分があるんだよな……」
俺も子供時代は山育ちだったから、男の子が興味を持つ昆虫は大概飼育したことがある。そして当然の如く、繁殖に挑戦したこともある。子供ゆえの無知からか、繁殖がうまくいったことは無かったが、そのために昆虫の雌雄はかなり詳しくなった。
カルアとバドの宴に乱入してきたそいつは、固い甲に護られた身体と鋭い爪、そして短いながらも頑強かつ屈強な顎を持つ昆虫だった。そう、クワガタムシの雌だ。しかし何より異質なのはその大きさだろう。何しろヒラタさんにはやや劣るが、それでも十分すぎる大きさだったからだ。遠目に見たらパソコンのマウスあたりと見間違えそうだ。
「この特徴は……まさかヒラタクワガタの雌か?」
「え? 女の子のヒラタさんなんですか?」
当然ながらヒラタクワガタの雄も雌も飼ったことがあるから、見間違えてはいないと思う。雄の半分くらいしかない体長は50ミリメートルくらいが最大だと思っていたが、こいつはヒラタさんの半分くらいの大きさだ。間違いなく異常な大きさだ。
考えられる要因は唯一つ、この雌もまたあのクヌギの周辺の朽木で育ったということ。すなわちカブトさんやミヤマさん、そしてヒラタさん同様にドラゴンの血を間接的に摂取したことにより、何らかの進化を果たした個体だということ。だが一つ疑問も生まれる。何故こいつはここにやってきたのか?
ヒラタさんの場合はフラムとの一年越しの約束を果たすためにやってきたが、この雌にはここに来る理由なんてないはずだ。俺の知らないところでシェリーやフラムと既知の間柄になっているかもしれないが、それならばこんな乱暴な入り方をする必要はない。あの二人のことだから、訪ねてくれば快く迎え入れてくれるだろう。
となるとやはり悪い方向で考えなければなならないのか。ドラゴンの力の影響が悪い方向に働き、俺たちに敵意を持つようになってしまったと考えれば、ちょっとまずいことに……
いや、なるはずないな。あのサイズのヒラタクワガタの雌が敵意を持ったところで、茶々に太刀打ちできるとは思えない。もしシェリーやフラムに危害を加えようものなら、容赦なく瞬殺するだろうし、たった一匹で全ての状況を覆せるなんて到底無理だろう。
「……」
「何かを探してる? ……ってどうして私の所に?」
飛び込んできたそいつは周囲を探るようにせわしなく触覚を動かしながら、居間の中をゆっくりと歩き回る。そしてしばらく歩き回った後、フラムの前で止まると小ぶりな大あごで威嚇を始めた。新たな甲虫の出現に瞳を輝かせたフラムだったが、明らかに敵意を感じるその行動に驚きを隠せていない。
これまで我が家に来た甲虫は皆友好的で、今回もその流れで来ていると思ったのだろう。だがこれまでやってきたのは雄ばかりで、雌は来たことがなかった。もしかすると雄と雌でこちらに対しての敵味方の認識が違うのか?
「……」
「ヒラタさん?」
フラムに対して威嚇を続ける雌からフラムを庇うように、間に割り込むヒラタさん。すると雌は今までの敵意が嘘だったかのように、威嚇を止めてヒラタさんにすり寄っていった。もしかしてヒラタさんが宥めてくれたのかとフラムが手を出そうとするが……
「!」
「ひっ!」
フラムが雌の身体に触れようとした途端、再び威嚇を始める雌。小さな悲鳴を上げながら慌てて手を引っ込めるフラム。幸いにも怪我は無かったが、雌とはいえ通常の雌よりはるかに大きな個体、もしあの大あごに挟まれでもしたら、フラムの細い腕など容易く切り落とされてしまうだろう。
「……」
「……」
「ヒラタさん……」
雌に対して大あごを開くことはないものの、全身の力を使って雌を押しのけるヒラタさん。その行動に雌はどうしたらいいのかわからないといった様子で為すがままに追いやられていく。そんなヒラタさんの後ろ姿を見守るフラム。
「あの雌は何がしたいんでしょうか?」
「シェリーちゃん、あれが『修羅場』っていうのよ」
「あれが! お昼のドラマでよく見るやつですね!」
「そうよ! フラムちゃんが大好きなヒラタさんの前に現れた雌! 種族を超えた愛憎のもつれよ!」
傍から見れば雄と雌が喧嘩してるだけのようにも見えるが、初美が余計なことを言うものだから、もうどうやってもそうとしか見られなくなった。しかし言われてみればあの雌は唯一ヒラタさんに対しては威嚇行動を見せていない。もしかすると本当にそうなのか?
心なしかヒラタさんが困っているように見えるのは、俺の目の錯覚だろうか……
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