2.大事件
「相変わらずたくさん実ってるな……」
ソウイチさんの胸ポケットから見下ろすイチゴの棚、青々と茂った葉の間から伸びた蔓には、いくつもの真っ赤で大きなイチゴが太陽の光を艶やかに反射してる。熟した甘い香りがビニールハウスの中を満たして、見ている私も思わず顔が綻んでくる。だってとても大きくて甘くて、一度だけハツミさんが他のイチゴを買ってきてくれたけど、そんなのとは比べ物にならなかった。買ってきてくれたハツミさんには悪いけど。
「実ってるのは悪い事なんですか?」
「ん? いや、この品種は本来年に一度しか実らないはずなんだがな……」
「でもたくさん実ってますよ?」
「やっぱりドラゴンの影響か……」
ソウイチさんによると、イチゴにあげてる水にはドラゴンの骨を浸してるみたい。ドラゴンの骨なんて、私たちの世界ではとても貴重な素材で、その効能もまだほんの一部しか知られてない。まさか植物を実らせる力があるなんて誰も想像できなかったと思う。
「ん? どうやらカルアが来てるみたいだぞ?」
「カルアが? きっとまた定期報告でしょう」
「そうか、なら少し多めに持ち帰るか?」
「はい!」
いつもは家族分しか採って帰らない。私としては一個だけじゃ物足りないんだけど、これはソウイチさんが大事にしてるイチゴだから仕方ないと我慢してる。でも結局ソウイチさんが私の様子に気付いて自分のを半分わけてくれるんだけど。でもカルアが来てるなら、きっと多めにとってくれるわよね?
ソウイチさんは自分のスマートフォンに入ったハツミさんからのメールの続きを読んでる。
「何だ初美のヤツ、書いてることが支離滅裂じゃないか……ん? ちょっと待て、本当か? おいシェリー、事件だ、大事件だ! イチゴとったらすぐに戻るぞ! 茶々も準備しとけ!」
「ワンッ!」
ソウイチさんが慌てた様子でイチゴを摘む。何かとんでもないことが起こってるのかしら? でもそれにしてはイチゴを忘れずに摘んでるから、緊急性は低いのかしら? ソウイチさんの顔を見れば、どことなく嬉しそうにも見えるけど……
「ソウイチさん、何があったんですか?」
「聞いて驚くなよ、シェリー。カルアが懐妊したそうだ」
「え?」
ソウイチさんの口から出てきたのは、私も想像していなかった言葉。いや、確かにカルアとバドはそういう間柄なんだけど、こんなにすぐに子供が出来るなんて思っていなかったっていうのが本音。でも間違いなくこれは大事件、それもとっても喜ばしい事件よね。なら一刻も早く戻らなくちゃ。
「ソウイチさん、早く戻りましょう。チャチャさんも早く!」
「ワンワンッ!」
「わかってるよ、あまり急がせるな」
ソウイチsなんはそう言うけど、カルアは大事な仲間で、その仲間に子供が出来たなんてとても喜ばしいこと。ましてやカルアは貴族、早いうちに後継者が出来たのは周りにとっても喜ばしいことだと思う。
「よし、このくらいでいいだろう。茶々、早く乗れ」
「ワンッ!」
ソウイチさんが自動車のドアを開けると、チャチャさんが勢いよく乗り込む。チャチャさんも自分のことを崇拝してるカルアの懐妊がとても嬉しいみたいで、ソウイチさんが乗り込むのは急かしてる。フラムの一件で少し落ち込んでたカルアだったけど、これできっと明るくなるわよね?
このことをバドは知ってるのかしら? きっとバドのことだから感極まって嬉し泣きしちゃうと思う。だって私もこの吉報に涙が出そうだから。カルアに会ったらなんて声をかけたらいいのかしら? でもまずは……おめでとう、よね。
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「子供……私に?」
「この反応はきっとそう。カルアの魔力波長に非常に近い小さな胎動が感じられた」
カルアの下腹部、子宮の辺りに感じた小さな魔力反応は、カルアとバドの魔力波長の特徴を併せ持っていた。悪い何かかとも思ったけど、帰ってくる波長は到底悪いものとは思えなかった。二人ともやることはやっているから、いつこうなってもおかしくはないと思ってたけど、まさかこんなに早くなんて……
「おめでとう、カルアちゃん! きっとバド君も喜ぶわよ!」
「バドならきっと泣く。絶対泣く。間違いない」
「子供……私とバドの子供……ああ、なんてこと……」
「お兄ちゃんにもメールしたから、シェリーちゃんと茶々もじきに戻ってくるわよ」
きっとシェリーも喜んでくれると思う。私には一つだけ懸念事項があるけど、今この場でそれを言って喜びに水を差すほど空気の読めない女じゃない。むしろ今やらなきゃならないことを優先させる。
「フェンリル、バドを迎えに行って」
『貴様、我を使い走りにする気か』
「チャチャもきっとこの報せを受けて喜んで戻ってくるはず。そんな気の利かない駄犬、チャチャは絶対に許さない」
『わ、わかった、あの者を連れてくればいいのだな?』
「うん、出来るだけ早く。チャチャも褒めてくれるはず」
『よし、行ってくる!』
フェンリルはとても神獣とは思えない勢いで尻尾を振りながらゲートの奥へと消えていった。そこまでチャチャに褒めてもらいたいのかと呆れるとともに、これが私たちの世界の神獣と呼ばれる存在なのかと情けなくもある。ううん、チャチャが凄すぎるからそう見えるのかもしれない。
私の感じてる懸念事項はバドにも聞いてもらわなきゃいけない。これがいい方向に進むのか、それとも悪い方向に進むのかなんて誰にもわからない。ただ言えるのは、私たちも出来るだけ協力するということ。嬉しいことは皆と共有したいし、何よりいずれ私たちも通る道、今この時に知識を蓄えておくのも大事だから。
その道を誰と通るのか、そんなものもちろん決まってるけど。いつになるかはわからないけど、きっとソウイチも待っててくれるはずだから。
読んでいただいてありがとうございます。




