16.託された力
遥か昔、神々の代行者として世界に君臨していたドラゴン。その力にあらゆる種族は畏敬の念を抱き、その結果世界の均衡が保たれていた。様々な種族は繁栄の道を進み、それが永遠に続くと思われていた。しかしそれを快く思わなかった者がいた。
魔王フラマリア、魔族の王はドラゴンに戦いを挑んだ。魔族と交流のあったエルフ族を巻き込み、様々な卑劣な手段を用いてドラゴンに対抗した魔族。そしてドラゴンに付き従う多くの種族はこれに怒り、戦端は開かれた。
戦いは一方的なものだった。魔族の卑劣な行為に怒ったドラゴンによる猛攻撃に、魔族は対抗する術を持たずに潰走し、その結果魔族と巻き込まれたエルフ族は大きくその数を減らし、世界の片隅の過酷な地へと追いやられた。そして永い時を経て、忌み嫌われて迫害されていた魔族とエルフ族はようやく他の種族とも交流を持てるまでになった。
ドラゴンの攻撃により、戦いを企んだ魔王の身体は消滅し、それで全て終わるはずだった。だが仮にも魔道に長ける魔族の王は、簡単には終わらなかった。自らの身体が消滅する直前、自らと側近の魂を保護、封印することで、完全なる消滅を逃れた。
永き時を経て、魔王の側近の魂はとある魔族の身体へと宿り、かつての意思を取り戻す。しかし魔王の魂を受け入れるだけの器はそう簡単には見つからず、その結果として選択されたのが、素体を育成だ。そして生み出されたの素体の一人がフラムだ。
フラムが魔王の魂の器となったことで放たれる魔王の魔力。それを遥か深遠で感じ取った存在は、かつて自分たちを卑劣な手段で陥れようとした存在を思い出す。さらには当時抱いていた強烈な怒りの感情も。
茶々の怒りに共鳴したもの、それはドラゴンの残滓。宗一達によって倒され、茶々に取り込まれた竜核に宿るドラゴンの心の欠片。己が他者に取り込まれることを頑なに拒むそれは、茶々がドラゴンの力を十全に使いこなせない要因でもあった。誇り高きドラゴンが他者に取り込まれるなどあってはならないという最後の矜持か、それはずっと茶々の中で異物として残っていた。
そんな時に茶々が抱いた、魔王に対しての強い怒り。ドラゴンの欠片もまた、かつての敵の再来に怒りを覚える。自分たちを陥れようとした卑劣な弱者、それが再び卑劣な手段を用いている。決して許すことなど出来るはずがない。しかし今のドラゴンには最早その怒りを晴らすための身体が存在しない。
怒りを晴らすことが出来ない葛藤、自らの力を十全に振るいたいという強い渇望は、魔王を消し去るための力を渇望する茶々と共鳴するのは必然だった。ドラゴンにとって全ての力を明け渡すのは、完全なる敗北を認めることと同義だが、燃え上がる怒りの炎を燃やし尽くすには、茶々の身体を使うほかに方法はない。しかしドラゴンは敗北した身、魔王のように醜態を晒すつもりは全く無かった。自分を打倒した者たちならば、すべてを託してもいい、ドラゴンの欠片はそう思った。
『ヤツが憎いか……ならば我が力を託そう、我を取り込みし者よ……』
その問いに帰ってきたイメージは承諾、しかしそこには負のイメージが伝わってこなかった。魔王を倒したい、ただそれだけ。その後どうにかしたいなど全く考えていない。ただ大事なものを護るだけの力が欲しいという、清々しいまでの純粋な思い。もしここに僅かばかりの邪心があったのなら、ドラゴンは力を託そうとは思わなかっただろう。まるで清浄なる水を湛える湖のように透き通った思い、そこには力を得たことで暴走するという危険性を微塵も感じさせない。どこまでも純粋な獣の思い、それを信じて力を託した。
お互いの利害関係が一致し、ドラゴンの欠片から茶々へと力の譲渡が行われる。ドラゴンの中には魔王の魂のみ消滅させる方法は勿論ある、しかしそれを使いこなせるかどうかは茶々次第だ。その為には様々な要因が組み合わさり、最善の状態でその力を振るわなければ意味がない。
茶々の怒りと渇望は、託された力を望んだ形へと導く。もし茶々が邪な意思を持つ者だったなら、それはうまくいかなかっただろう。今の茶々に余計な考えなどない。ただフラムを助けるため、フラムを蝕む歪な何かを消し去るためだけに力を欲する。ただそれだけを望む茶々は、託された力に酔うことなく、己のするべきことを理解するとその眼差しを魔王へと向けた。向けられたその目は、憎い敵に向けるには決してそぐわない、とても優しさに満ちたものだった。まるで怯える子供をあやす母親のように……
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『ほ、焔の君……』
「チャチャさん……」
茶々の異変はこの場の誰もが気付いた。この場において最も力が強いであろう茶々、先ほどまで悲壮な感情の籠った遠吠えをあげていた茶々が突如黙った次の瞬間、今までとは桁違いの濃密な魔力を放ち始めたのだからそれも当然だ。炎のような明るいオレンジの獣毛は、放たれる魔力により波打ち、あたかも本物の炎に包まれているように見える。一瞬力の暴走かと考えたが、魔王を見据える目からは理性の光が消えることなく残っている。
フラムを救い出す何らかの方法を得たのだろうと皆が思った。これまで打つ手が無くてただ見据えることしか出来ていなかった茶々がとった初めての行動、そして爆発的に濃密さを増した纏う魔力、その魔力の本質にまず気付いたのは魔王だった。
『き、貴様……そ、その魔力は……』
明らかな動揺、焦り、これまで優位を疑っていなかった魔王が見せた狼狽は、茶々が魔王の想像を上回る力を得たことの証左だった。かつて様々な搦め手を使ってまで勝とうとし、結果無残に潰走することとなった因縁の相手。それが纏っていた魔力は魂だけの状態にされていたにも拘わらず、魔王の魂魄の奥深くに刻み込まれていた。それと同等、いや、怒りによる共鳴によりさらに増幅された魔力はまさしくかつてのドラゴンと同種のもの、激流の如き魔力の流れにはっきりと感じられるのは、自身への強い怒り。
もしあの獣の攻撃をまともに受ければ、器ごと塵すら残らず消し去られてしまうだろう。それだけは何としても避けなければならない。しかし逃げ出そうにも、身体の制御が効かない。浸食されながらも自我を保ち続けるフラムにより、身体の支配権を奪われつつあったからだ。
『こ、このままではお前も消えるんだぞ!』
(お前をこのままにしておくくらいなら、チャチャに消されたほうがいい)
茶々は徐々に喉の奥に膨大な魔力を溜めこみ始めた。ブレスの類を放つつもりなのだろう、そして魔王の想像が正しければ、間違いなく自分を消滅させるだけの威力のあるブレスだ。しかしどんなに恐怖心を煽ろうとも、フラムは身体の支配権を渡そうとしない。既にフラムは自分が犠牲になることを受け入れている、魔王の甘言に踊らされることはない。
「チャ……チャチャ! 今のうちに!」
「チャチャさんやめて!」
ありったけの力を振り絞り、フラムがほんの一瞬だけ支配権を奪い返す。茶々の攻撃を受けるための、最後の悪あがき。その行動と言葉の意味を理解したシェリーが声の限りに茶々へ叫ぶが、茶々は聞き入れることなくブレスを吐く体勢をとる。ほんの一瞬だけシェリーを見るが、その目にはフラムのような悲壮な覚悟の色はなく、はっきりとこれから先に続くフラムの未来を信じている目だった。
「チャチャさん……信じていいんですね……」
縋るような心持ちで呟くシェリー、その呟きを掻き消すように、茶々の口から輝くブレスが放たれた。その輝きは、あたかも燦燦と降り注ぐ陽光のようだった。
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