12.誘惑
「シェリー、これはドラゴン退治に使ったものとは少し違うが、それでも殺傷能力はある。こんなものに頼ることが起きなければいいが、お守り代わりに持っていけ。強い火の中に入れるか、この金属部分に強い衝撃を与えると破裂するから気をつけろよ。あと電気もな」
宗一はシェリーにそう言って、保管庫の中に一発だけ眠っていた死蔵のショットシェルを手渡した。なぜ死蔵なのか、それは宗一がショットシェル用の散弾銃身を持っていないからだ。宗一の父親はバードショットも嗜んでいて、宗一にしてみれば父親の忘れ形見と言えなくもない。しかし小動物を撃つことに抵抗のあった宗一は父が使っていた散弾用銃身をほとんど処分してしまった。この一発は処分し忘れていたものだ。
バドの放った雷撃は、ベヒーモスの皮膚表面を流れて口の中へも向かった。そして当然、金属製のロンデルと呼ばれる金具にも流れ、そしてそのまま中心部分の銃用雷管へと流れる。本来ならば撃鉄にて衝撃を与えることでごく小さな爆発を起こし、そのまま炸薬を発火させるが、シェリーは宗一が電気にも注意しろと言ったことからバドの雷撃が使えると判断した。
そしてシェリーの狙い通り、それは発動した。いくら皮膚が強化されていようとも、ドラゴン同様に口の中までは強化されていないだろうというシェリーの思惑を証明するかのように、炸薬による爆発がベヒーモスの口内を蹂躙する。さらにプラスチックケース内に収納されていたB号散弾が燃焼ガスにより射出され、ベヒーモスの喉から脊髄のあたりにかけてを貫く。
至近距離からの散弾の暴発、それも柔らかな口内でだ。いくらバードショット用とはいえ、そんな真似をすればただで済むはずがない。クマコが竜巻を消し、砂塵が晴れていくに伴いその様相が露わになる。
「……やった、やったわ!」
「マジかよ……なんて破壊力だ」
ベヒーモスはまだ立っていた。だがその首から上は存在していなかった。辺りに硝煙の独特な匂いが立ち込め、今の一撃がこの世界には存在しない異質なものであることを改めて思い知る。喜びを露わにするシェリーを他所に、バドはその破壊力に驚き、そんなものを所有している宗一のことを改めて畏怖した。
だがそれ以上にその攻撃に畏怖していたのは魔王だった。倒されることなど無いと信じていたベヒーモスは頭部を失い、その巨躯が塵となって消えかけている。いくら回復の能力を付与されているとはいえ、ダメージ回復の手段でもある魔物の摂取が出来なければどうにもならない。そもそも致命の一撃であったのだから、回復の余地など無いのだが。
『な、何だ、あの攻撃は……』
全盛期には程遠くも、魔王の持つ魔道技術の極みの一つであるベヒーモス召喚、それを軽く凌駕する一撃必殺の攻撃。もしあれがベヒーモスではなく自分に向けられていたらと考えると、魔王の畏怖は当然のものだろう。さらに今の魔王はその力のほとんどを使い果たし、立っているのもやっとの状態だ。フラムの意識を吸収できれば違っていただろうが、それも出来ない今魔王に抵抗する術はないのだ。
フェンリル対策として召喚したベヒーモスが一撃で消え、フェンリルは疲弊しているのは確かなので一応の目的は達成できたと言えよう。だが問題は想定外の魔獣三体が全くの無傷だということだ。大きなハサミを持った黒い魔獣や巨大な鳥の魔獣の強さは目の当たりにしているが、一番厄介そうな炎の魔獣はその強さの片鱗すら見せていない。
もし一斉攻撃を喰らえばこの器ごと消えてしまうだろう。それだけは何としても避けなければならない。魂だけの状態ででもの逃げ延びさえすれば、いずれ魔王と同調する思考回路を持った者を唆して復活させることも出来る。今回の復活のように。
(ん? 待て? これは使えるかもしれん)
ふと魔王はあることを思い出す。あいつらは素体となった娘を返せと言っていた。救い出すと言っていた。だがそれには魔王の魂を引きはがすことが大前提であり、それを実行するにはこの器の生命活動を停止させなければならない。既にこの身体の主導権は魔王が握っており、生半可な方法で魔王を引きはがすことなどできないのだ。
あいつらは自分を殺すことが出来ない。それだけは確実で、現状自分をどうこうする手段を持ち合わせていない。魔王は内心でほくそ笑む。もしかすると自分はより大きな力とともに強力な手駒を手に入れることが出来るのだから。
「さあ、フラムを返してもらうわよ!」
『古の魔王よ、観念するがいい』
シェリーとフェンリルが魔王と相対する。シェリーもフェンリルも今の魔王に余力がないことを感じ取っているが故に強気だった。既に他の魔物はベヒーモスが倒されたことで散り散りに逃げ出し、召喚主の魔王が消えれば自然と消滅する。最早脅威ではないと判断した結果だ。
『返す? どうやって? 私がこの身体の主導権を握っているのだぞ?』
「もうあなたに勝ち目はないわ、大人しく出ていきなさい」
『ふん、それは聞けぬな。私を消したければ、この器ごと消し去る他あるまい』
「何ですって?」
シェリーが驚愕の声をあげる。だが改めて魔王の言葉を考えてみると、彼女の知識の中には誰かと融合した魂を引きはがすような方法はない。フラムならば何らかの方法を知っているかもしれないが、当の本人は魔王の浸食を防ぐために閉じこもっている。
フラムを救うために来たというのに、フラムごと殺さなければ魔王を消し去ることはできないのでは本末転倒だ。とはいえ虚言と割り切ってしまい取り返しのつかないことになってしまうのも避けたい。そんな迷いがシェリーの胸の内に生まれ、次第に大きくなってゆく。
『魔王の魂のみ消し去る方法……神代の魔法であれば可能かもしれんが……今は失われているな』
「そ、そんな……」
シェリーはここでようやく魔王が未だ強気な理由を理解した。最早自分だけを引きはがすことは不可能で、後は説得して中にいるフラムと交代して引き籠ることを許諾させるしかない。だがそんなことを魔王が認めるはずもなく、ただ時間を潰していくだけで、いずれ力尽きてフラムが吸収されれば最早敵はいないという自信から来るものだと。
神代の魔法、そんなものはシェリーには使えるはずがない。おそらくフラムでも一朝一夕では不可能だろう。その時代から生き続けている存在ならば使えるかもしれないが、少なくともシェリーの知己にはそんなものはいない。
『くくくくく……そう気落ちすることもあるまい。どうだ、お前たち、その魔獣共々私に下らんか? さすればこの器の意識を完全に吸収しないでおいてやろう。偶には入れ替わってやっても良いぞ?』
「え?」
「シェリー! そんな戯言に惑わされんじゃねぇ!」
シェリーにはバドの叫びがとても遠くに聞こえた。親友のフラムが消えなくて済む、その誘惑はシェリーにとって無碍に断れない甘美なものになりつつあったのだから……
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