8.もどかしさ
モニター画面に映し出されている光景に、誰もが言葉を失った。およそまともな進化をしていないと思われる異形の獣たちの大群、そしてやや大きめの獣の背に立つ少女の姿。大きく印象は変わっているが、見慣れた青い髪と顔かたちは明らかにフラムのものだ。
「お兄ちゃん、あれ本当にフラムちゃんなのかな……」
「……」
初美の問いかけに応えることができない。アレは本当にフラムなのか? 確かに見た目はフラムに酷似しているし、何かの仮装をしていると言われれば確かにそうかもしれないと納得してしまうだろう。しかしその顔に浮かんでいる笑顔は、背筋が凍り付くほどおぞましいものだ。他者を傷つけ、苦しめ、命を踏みにじることすら愉悦とする邪悪な笑み、物語に出てくる悪役そのものだ。
違う、アレはフラムじゃない。フラムはあんな歪な笑みを見せたりしない。自信に満ち溢れた笑み、ややはにかみを含んだ笑み、心の底からの好意を前面に押し出した笑み、見ているこちらが心温かくなるのがフラムの笑顔だ、あんなドブ川の澱みのような穢れた笑みではない。
「くそ! 何を話してるのかわからない!」
「ダメだよお兄ちゃん、マイクが反応してない!」
「きっとこっちの声も聞こえてないですよ! どうしてこんな時に!」
何か話しているようだが、モニターに内蔵されたスピーカーがそれを伝えてくれる様子はない。さらにフラムは巨大な獣を召喚してみせた。牛と狼とライオンを混ぜ合わせたような、獰猛な殺意を漲らせた魔獣を。アレはどう見ても友好的な獣とは思えない。
「あ、あれは……ベヒーモスですわ」
「カルアちゃん! 寝てなきゃダメじゃない!」
「こんな時に寝ていることなんてできませんわ……この怪我がなければ駆けつけるのですが……」
全身に包帯を巻いたカルアがふらつきながらも俺たちのところへ来て、モニターに映し出される獣を見て呟いた、ベヒーモス……そういった知識に疎い俺にはそいつがどんな存在なのか分からない。
「ベヒーモスはかつて魔王に従っていたとされる魔獣ですわ。魔王フラマリア、かつて世界の覇権を取ろうとドラゴン率いる竜族に挑み、敗れ去った存在。これで合点が行きましたわ、素体という言葉の意味が。フラムは魔王の器となるべく育てられたのですわ」
「魔王……器……」
「じゃあフラムちゃんはどうなるの?」
「私も詳しいことは知りませんが、そういった類の魔法の傾向としては、素体となる存在の知識や経験も重要になると聞きます。おそらくは魔王フラマリアに吸収されてしまうかと……」
「そ、そんな……」
初美と武君はフラムの言葉に絶句しているが、俺はふとあることに気付いた。見ている映像は茶々のハーネスにつけた超小型カメラによるもの。つまり茶々の視線とほぼ同じと考えていい。茶々の視線はずっとフラマリアに固定されたままだ、魔物の大群にも、突然現れたベヒーモスにも惑わされることなく、じっと一点、フラマリアの胸の部分を見つめている。
そうか、そういうことか。茶々は気付いたのか、まだフラムは消えていないと。どういう方法かは分からないが、フラムはフラマリアの中でまだ生きている。茶々の視線はそう言っている。
「フラムはまだ消えてない、あいつの中にいる。あいつさえ何とかすれば……」
「でもどうやって? こっちの音も向こうに届かないんだよ?」
「それは……茶々たちに委ねるしかない」
こんなにも自分の無力さを感じたことはない。自分の婚約者を横取りされて、何も出来ない。まだフラムが消えていないとわかっても、自分の手で取り戻すことすらできない。茶々達に、シェリーに任せるしかない。
モニターの中では、ベヒーモスが先陣を切って魔物たちが動き出す。カメラの片隅では動き始めるフェンリルやバド、そしてクマコとヒラタさんの姿も見える。しかし茶々の視線は固定されたままだ。戦いの場には相応しくない行動だということは茶々ならよく理解しているはず。なのに茶々は動こうとしない。
茶々とはまだ三年程度しか一緒に暮らしていないが、ペットとして飼われている他の犬たちとは比べ物にならないくらい濃密な時間を過ごしてきたという自負はある。嬉しい時も悲しい時も、一緒に乗り越えてきた家族だ。だからという訳じゃないが、茶々の思っていることは何となくだが理解できるように思う。
茶々は今迷っている。あいつを、魔王フラマリアを倒さなければフラムが戻ってこないのは間違いない。しかしそれではフラムのことを傷つけてしまう。かといってこのまま時間をいたずらに使いつぶすこともできない。まだ魔王の中にいるフラムがずっとこのままでいられる保証などどこにもないのだから。
攻めることも、放置することもできない。どうにもならないもどかしさに動けない茶々。大事なものを護るため、取り戻すために、その大事なものを傷つけなければならないという矛盾に苦しむ茶々。未だ動かない茶々の視線は、茶々が苦しんでいる証でもある。
甘かった。茶々がいれば何とかなるだろうと甘く見ていた。その結果、茶々をここまで苦しめている。大事な家族を遠い地で苦境に立たせている。
「どうしてこんなことになってるんだよ……」
「……誰にもこんなことは予想できませんわ、そんなに御自分を責めないでください」
俺の漏らした呟きを聞き、カルアがフォローしてくれる。確かにその通り、その通りなんだが、はいそうですかとそれを受け入れられるほど俺は達観できない。あの時俺がフラムを止めていれば、そもそもカルアがこの話を持ってこなければ、というようにマイナス方向に思考が加速しはじめるのを、必死に堪える。カルアだってこんなことを予想してフラムに助力を頼んだ訳じゃない。恐らく今も満身創痍でありながら、その責任に心を痛めているだろう。
唯一の救いは、クマコとヒラタさんという、フラムと絆を深めた仲間が一緒だということだ。こちらの指示を伝えられないのは厳しいが、向こうには傭兵として経験豊富なバドもいる。何より茶々は過酷な戦いをこれまで何度も経験している、咄嗟の判断を間違えることは少ないだろう。
あんな歪な笑みを浮かべる奴がフラムなはずがない。アレはフラムに憑依した亡霊だ。そんなものにフラムを奪われてなるものか、命あるものを巻き込もうとするんじゃない。俺に出来ることなら何でもしてやる。だから茶々、シェリー、無事にフラムのことを連れて帰ってきてくれ……
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