3.対峙
ついに奴が来る
「フラム、クマコはどうした?」
「クマコはここに来たら危険だから、館で留守番してる」
ハウスは母屋よりも集落に近い場所にあり、事前連絡なしに誰かが来る可能性もある。万が一のことを考えれば、フラムの選択は正しい。
「きっと私の帰りを待ってる。だから早く帰ろう」
「心配するな、寄り道はしないさ」
ハウスから母屋に戻る軽自動車の中、フラムが早い帰宅を急かす。車の一日の交通量など両手で数えて指が余るような田舎だが、かといって交通法規を無視していい訳じゃない。特に俺は猟銃の所持免許を持っているので、法を遵守することは他の一般人よりも強く求められている。
なので安全運転で戻るんだが、そんなに急いでいるなら茶々に乗せてもらえばいいんじゃないか? 茶々なら山道をショートカット出来るし、車道を遠回りするより遥かに早く帰れるはずだが。
「ソウイチと一緒に帰りたい。ソウイチと一緒にいられる貴重な時間だから」
「フラム、私もいるんだけど」
「うん、だからソウイチと私たち二人、水入らずの時間」
「そ、それならいいんだけど」
そういう理由なら俺も嫌だとは言えない。母屋にいれば何かしらの邪魔が入りそうだし、こういうタイミングでもなければ俺たちだけの時間なんて作れない。特にフラムがクマコよりも俺を優先してくれたことはとても嬉しく思う。鳥相手に対抗心を燃やすのはどうかなんて深く考えることはしない。考えたら負けだ。
「夜の見回りも忙しくなってきたみたいだな」
「暑くなってきて、活発になっていますね」
「私とシェリーの前には敵じゃない。素材にできないのは残念だけど」
「それだけは止めてくれ、初美の精神衛生上よくない」
もし彼女たちがアレを素材として扱っていたなら、初美は半狂乱になるだろう。それこそ家に火を放ってもおかしくないレベルで取り乱すからな……家の裏の林にはあんなのいっぱいいるというのに。
二人はこんな小さな身体で、俺たちの力になろうと頑張っている。そんな彼女たちを労うためにも、自宅までの短いドライブを楽しむとしようか。
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クマコは待っていた。いつもの止まり木では陽射しが眩しいので、佐倉家の玄関が見える大きな木の枝に留まってじっとフラムたちの帰りを待ちわびていた。
本当は一緒について行きたかったが、フラムに強く留守番を言い渡されては従うほかない。ただじっと一点を見ているだけの退屈な時間、しかしクマコはじっとそれに耐えた。
一体どのくらいの時間こうしていただろうか、ふと見れば玄関横の日陰になっている場所に何かがいた。黒光りするその生き物と同じような存在をクマコは知っている。しかしその大きさはクマコが知るものと大きくかけ離れていた。
実寸で言えば大人のサンダル(男物)くらいの大きさはあるだろうか、そんな生き物がじっと玄関の横で何かを待っているのだ。クマコは思う、あれは危険な生き物ではないか、と。
「ピィ!」
「……」
居ても立っても居られないクマコはそいつの傍に降り立って威嚇の声を上げるが、そいつは感情のこもっていない黒曜石のような目でクマコを見つめるだけで、全くその場から動こうとしなかった。森の鳥類の王者であるクマコの威嚇にも全く動じないそいつは、あろうことかクマコに対して示威行動をとった。
首をもたげ、己の武器をクマコに見せつけるそいつは、はっきりとクマコに対して戦闘態勢をとった。目の前に降り立ったモノが己の障害になるであろうことを察知して、ゆっくりと歩みを進める。
もしそいつがクマコのよく知る存在であるなら、勝負になどなるはずがない。だがそいつはクマコが知るものよりもはるかに大きかった。大きければそれだけで強さになる、単純な原理を理解しているのか、そいつは怖気づくことなくクマコに向かってくる。
その目に感情の動きを見ることはできない。だがはっきりとした強固な意思がそいつの原動力になっているのは明らかだ。何故ならこれまでクマコの威嚇を喰らってもなお前に進む存在など数えるほどしかいなかったのだから。
わからない、それは即ち危険を内包している。かつての経験からそれを理解しているクマコは接近してくるそいつから距離をとり、戦わないように努めた。戦うという選択肢もあったが、そいつの真意がわからない以上、迂闊に攻撃を仕掛けるのは危険だと思われたからだ。
「ピィ! ピィ!」
「……」
何度も威嚇を試みるが、そいつは箍が外れたかのように、愚直にクマコに向かってくる。クマコとて向かってくるモノと戦うことに躊躇いなどないのだが、そいつだけはどこか引っ掛かりを覚えた。果たしてこのまま戦いに突入してもいいものだろうか、そんな逡巡が一瞬だけクマコの反応を遅らせた。
「ピィッ!」
「……」
音もなく近づいてきたそいつは、いきなり己の武器でクマコの足を攻撃しようとした。反応が遅れたクマコだが、ドラゴン肉によって強化された身体能力のおかげか、何とか攻撃を避けて空中へと退避することに成功した。その様子を見ていたそいつは、クマコが怖気づいたと認識したのか、自らの武器を誇らしげに掲げて勝利の余韻に浸る。
屈辱である。クマコにとってこれほどの屈辱はない。空では自分に向かってくる存在はおらず、ましてや負けるなど有り得なかった。(茶々は別格なので考慮されていない)
自分より小さな存在に、一瞬でも退いてしまったことへの怒り、見たことの無い大きさのそいつに対する漠然とした不安、フラムたちが帰ってくるまでの間、異質なものを近づけさせないという責任感、それらがクマコの中で激しく混ざり合い、混乱していく。
「クマコー、ただいまー」
「ピィ!」
混乱したクマコの思考を一瞬でクリアにする声。クマコはやっと帰ってきたフラムに向かって、縋りつくような声をあげるのだった。
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