長雨
閑話です。
梅雨の長雨が山の木々を濡らし、空は立ち込める雨霧で視界が効かない。雨降りの山ではよく見られる光景で、山の獣たちもそれを理解しているのか鳴りを潜め、周囲には雨粒が青々とした木々の葉を打つ音が静かにこだまする。
山に生きる獣ならば当然の如く受け入れる自然現象なのだが、ここにどうしてもそれを受け入れられない獣がいた。自分の体が雨粒に濡れるのを嫌い、大きな木の中ほどの枝に掴まり羽根を休めるそれは、降り続く長雨が止む時を恨めしそうに待っていた。最近佐倉家に遊びに来ることを禁じられたクマコである。
田植えの時期は集落から離れた佐倉家でも、突然の来客の可能性があるため、そして雨降りの時は外で遊ぶことが出来ないため、山での待機を命じられて渋々従った。しかし降り続く長雨にクマコの不満は溜まる一方だった。
待つだけならばそんなに苦にならなかったのかもしれない。晴れを待って、今まで以上にたくさん遊んでもらえばいいだけだ。そのくらいならクマコも受け入れられたのだが、クマコにはもっと切実な問題があった。
佐倉家に遊びに行けない間は、ヘビやトカゲのような爬虫類や野ネズミ、虫などを食べていた。佐倉家と関わり合いを持つ以前から食べていたものではあるが、今のクマコにとってそれは決して満足のいくものではなくなっていたのだ。
鳥には種類や個体によって甘味や脂肪分を判別できるとも言われているが、それはあくまで生きていく上でのエネルギー源として、甘い物や脂肪分はそのままカロリーへと変わっていくからだろう。しかし人間のように旨味を感じているかと問われれば疑問符がつく。
そもそも鳥は食べ物を咀嚼することなく丸のみする。そこに旨味を感じる必要性があるかと言われれば、機能として不必要と判断されるだろう。当然ながらかつてのクマコも味覚に拘りなどなかった。生きていくうえで必要なものを摂取する、ただそれだけだった。
だが今のクマコは自分で捕まえた獲物に物足りなさを感じている。それは旨味を感じているのではなく、食べ物を摂取するという環境によるものだった。
事実クマコは佐倉家の周辺に出没するヘビを捕まえて食べていた。ヘビの種類こそ違えど、ヘビの肉に味の相違などないはずだった。だが事実クマコは自分一人で捕まえたヘビを仕方なく食べていたのだ。
フラムと共に遊び、フラムと共に獲物を捕まえ、そして食べる。その行為にこそ充足感を感じていたクマコにとって、一人きりで食べる獲物はとても味気なく感じていた。クマコも強引に佐倉家に遊びに来ようとすれば、それを止める者など存在しない。クマコは森の猛禽の王者なのだから。
しかしそれをしないのは、ひとえにフラムが嫌がることをしたくなかったからだ。人の出入りが激しい時にクマコが姿を見せれば大騒ぎになる。それを危惧したフラムがクマコに遊びに来ないように言った。もしそれを破ればフラムが悲しむだろうことは、クマコも十分理解できていたからこそ、じっと耐え忍んでいるのだ。
早く遭いたい、早く一緒に遊びたい、まだ若い個体のクマコは逸る気持ちをじっと抑える。本来ならばそんなことを考えるはずもないクマタカだが、ドラゴン肉を食べたことにより、通常のクマタカとは違う能力を身に付けたクマコは自分の行動がどういう結果を齎すのか、うっすらとだが理解できていた。
もちろん人間に見つかって騒動になるという細かいことまではわからない。ただはっきり言えるのは、フラムのことを思いやるが故の判断だということ。ただそれだけ、しかしクマコにとっては何よりも優先されるべきものだった。
「ピィ……」
小さく鳴いて、雨粒を無数に降り落とす鈍色の空を見上げるクマコ。獣の本能から、それが永遠に続くものではないことはわかっている。ただただ待ち遠しい、そんな思いがクマコを苛む。早くこの雨が止めばいい、鈍色の空がさわやかな青色に変わればいい、そう願いつつ、クマコはじっとその時を待つ。
だが悲しいことにクマコは知らない。クマコがフラムと出会うよりも早く、フラムと再会を約束したモノがいることを。そしてそれもまた、長雨が止み、太陽照りつける夏という季節を待ち望んでいるということを。
フラムとの再会を約束した見知らぬモノどうし、お互いにその存在を理解することなく、ただただ梅雨が明けるのを待つ……
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