6.夏に向けて
この辺りの稲作農家にとって、世間一般で言うゴールデンウィークは繁忙期だ。それはちょうど田植えの時期だからだ。しかし過疎化が進んでいるこの近辺では圧倒的に若い男手が足りない。近年は田植え機の進歩でかなり作業が楽になったが、それでも人力に頼らなければならない作業も多い。
特に田植え用に育てられた苗箱を運ぶ作業は重労働で、重いもので一枚約八キログラムほど、それをおよそ三百~四百枚、トラックに積み込んで田んぼまで運ばなければならない。それを必要な枚数分田んぼの横に下ろし、田植え機にセットして初めて機械の出番という訳だ。
そんな作業を高齢化が進んだ農家が万全に出来るはずもなく、必然的に若い人員が助っ人として手伝わなければならない。そして助っ人として白羽の矢が立つのが……俺だ。俺はこの集落の農家では一番若いので、この時期はハウスの管理を夜に行い、昼はほぼ田植えの手伝いだ。
「悪かったな、武君。こんな作業手伝わせて」
「いえ、いいんですよ。こういう作業も気晴らしになりますから」
Tシャツの上からでもはっきりと筋肉の盛り上がりがわかるくらいに鍛え上げている武君が、泥はねで汚れた顔をタオルで拭いながら笑って答える。俺一人で助っ人していた頃は集落全部の田んぼを終わらせるのに、梅雨入りぎりぎりまでかかっていたが、彼が手伝ってくれたおかげでかなり短縮できたと思う。
「それに……これから先もここに住むんですから、このくらいは当然ですよ」
「奥様連中に人気だったな」
「……初美ちゃんには言わないでくださいよ? ああ見えてかなりのヤキモチ焼きなんで」
厳つい見た目に反して物腰も柔らかく、社会人としてはかなりのレベルの気配りが出来る彼は、農家の奥様たちに大人気だった。ただ奥様といってもかなりお年を召した奥様がただったが。その証拠に、作業の合間の休憩のお菓子や弁当のおかずはいつも彼だけ山盛りになっていた。
これから先も、ということはつまり……そういうことなんだろう。それに対して俺は異論はない。むしろこんな田舎に住まわせることに引け目すら感じていた。彼はずっと都会で仕事していたし、こんな何もないところが合うのかと危惧していたが、それも杞憂に終わった。
彼曰く、むしろ何もないのがより創作に集中出来て良いんだとか。それ以上に初美と一緒にいられることの嬉しさがあるようだ。さらに言えばシェリーとフラムの存在も大きいらしく、あの二人と一緒に暮らすことで、創作の幅が広がっているらしい。
「初美ももう大人なんだし、そのくらいの分別はつくさ。それにあの奥様がたに負けるつもりはさらさら無いだろうからな」
「……そうですね」
武君と一緒に暮らし始めて、初美はとても明るくなった。あの元カレと付き合ってた頃は、兄である俺ですら近寄りがたい雰囲気を出していた。苦しんでいるのに、それを必死に隠す姿が痛々しくて、そんな妹を支えてやれない自分がもどかしくて、とても悔しかった。
その役目を奪われたことにいくばくかの対抗心が無いわけじゃないが、あいつももう大人だ、肉親よりも頼れる男を見つけたことを褒めてやるべきだろう。
「仕事は順調なのか?」
「ええ、おかげさまで初美ちゃんと立ち上げたシリーズは好調です。大手からのオファーも多いですが、なにぶんモデルがモデルなので、そこは全部断っています」
「そうか、面倒かけるな」
「大手の製造ラインで大量生産するにはある程度の妥協が不可欠ですから。モデルをしてくれてる彼女たちの頑張りに応えるためには、妥協なんてしたくないですから」
シェリーとフラムをモデルにしたフィギュアは嬉しいことに大人気になっているようだ。当然ながら彼女たちの情報は絶対秘匿にしなければならず、それには細々とハンドメイドに徹するほかない。完全オリジナルのフィギュアは既に特定のファンが付き、時にはモデルになった存在に対してのファンレターまで届いている。それを貰った二人の複雑な表情は忘れられない。
「これから夏の即売会に向けて追い込みだろ?」
「はい、ですがもうほとんど目途はついてます。後は細かい微調整だけですね」
以前の初美は会社の仕事を抱えながらの作業だったらしく、今の時期から夏に向けてはかなり身体に負担をかけていたようだ。だが今はフィギュアの仕事を増やしつつ、自分あてにきた仕事はかつての仕事仲間に振っているとのこと。顧客も初美が安心して任せる者なら問題ないと言ってくれて、振られた者もきっちり仕事をこなしているので顧客との関係も順調のようだ。
「僕はともかく、初美ちゃんはフリーになったことで自分で時間調整が出来るようになりましたから。以前の会社ではほぼ一人で会社に来た仕事を精査していたようですし。責任感が強いのはいいことですけど、完全に空回りしてオーバーワークでしたから」
何より今の初美は表情が明るい。俺のヘルプ連絡に急いで駈けつけてくれて以来、とても充実した生活を送っているのは確かだ。あいつが望んでいたものは都会では得られなかったのだろうが、少なくともここにはそれに近しいものがあると思いたい。
初美と武君の行く末がわかったところで、次は俺たちの番だろうな。決して一筋縄ではいかない関係ではあるが、今のところ順調だろうと思う。俺自身どういうわけか女性に対して最近欲求がないのもどうかと思うが、最近畑やハウスのほうが順調で忙しいからだと信じたい……だからといってシェリーやフラムをそういう対象で見るようなことはしないが。
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「ソウイチ、あのね……」
「ソウイチさん、実は今日こんなことが……」
夕食後居間で胡坐をかきながらテレビを見て寛ぐ俺の膝の上で話しかけてくるシェリーとフラム。右膝にシェリーが、左膝にフラムが陣取ったおかげで、迂闊に動くこともできない。いつもなら座卓の上で目線を近くして話しかけてくるのに、どういう訳か今日は膝の上から見上げるような姿勢でいる。
話す内容は今日起こった出来事、それも他愛もない内容のものだ。なのにどうして態々膝の上に乗るのか。
「今日はどうしたんだ、二人とも」
「お兄ちゃん、そんなだから女心がわからないって言われるのよ。最近忙しくてまともに二人の相手してなかったでしょ、そのくらい察してよ」
「ハツミ、それをソウイチに求めるのは酷」
「でもそういうところがソウイチさんのいいところですけど」
なんだか酷い言われようだが、確かに初美の言う通り、最近まともに二人の相手をしていなかった。素直に言うことを聞いてくれていたので、こちらも安心しきっていたのは事実だ。
以前彼女がいた時は、何気ない会話を楽しむような余裕が無かった。初めての彼女だったし、こちらは田舎者丸出しの農家の息子で相手は都会を満喫していた女性、釣り合いがとれる男になろうと必死で、かなり無理をしていた。全く興味のないファッションやら芸能人の話題に、内容もよくわからずに相槌を打つのが精いっぱいだった。
俺が体調を崩したのをきっかけに自然消滅してしまったが、初美に彼女を紹介したときに、初美の機嫌がとても悪かったのを今でも覚えてる。どうして機嫌が悪かったのか、今でもわからない。
今はシェリーとフラムと三人でいる時間がとても心地よい。何気ない会話、まったりとした空気、恋愛のドキドキや心のときめきなどというものとはかなり乖離しているが、俺はこういうのが自分には合ってるんじゃないかと思ってる。
何気ないことを興奮気味に話す二人の姿に、自分の心が癒されていくのを実感する。都会の華やかな生活に憧れていた時期もあったが、正直あれは俺の性に合わなかった。こんな田舎の暮らしに理解を求められても平気な奇特な女性なんているはずもないし、二人と俺はとても相性がいいのかもしれない。
「ソウイチ、聞いてる?」
「ソウイチさん、聞いてますか?」
「ああ、聞いてる聞いてる」
考えに耽る俺を見て、やや不貞腐れたような顔をするシェリーとフラム。まともに相手をしてやれていなかった間の不満が溜まっているのだろう。だが二人の話す内容は俺でもきちんと理解できるものばかり、まともに聞いていなかった俺が悪い。
「よし、今日は少しだけ夜更かししてたくさん話すか」
「さすがソウイチ、わかってる」
「でもソウイチさんは明日もお仕事がありますから、少しだけですよ?」
俺の仕事にも理解をしてくれている稀有な存在。以前の彼女なら『私と仕事どっちが大事なの?』というお決まりの台詞をぶつけられただろうが、この二人はそんなことを言わない。決して公にすることはできないが、俺にとってはとても大切な存在になった二人。
彼女たちがここでの生活を心の底から楽しめるように、俺は俺のやるべきことを頑張らなきゃいけない。そのためなら多少の無理もできる。これから夏に向かい、農家は忙しくなる一方だが、二人が俺の心の支えになっていてくれる限りは乗り越えられる。だから今だけは、今夜だけは、面倒なことを全部忘れて三人の時間を楽しむとしようか。
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