6.これなら大丈夫
シェリーを起こさないようにそっと車を止め、母屋から数分歩いたところにあるビニールハウスへと向かう。このビニールハウスは親父が大事にしていたもので、現在のうちの収入源となるものを育てている。ぶっちゃけた話、畑のほうはまだ市場に出せるレベルのものじゃない。あれはあくまで自分たちで消費するために育てているにすぎない。後はまぁ……害獣対策といったところだ。
たかがビニールハウスと思うなかれ、うちのハウスはヒーター設置済み、夏場は過度の温度上昇を防ぐための空気循環機能まである優れものだ。親父が作ったものだが。そしてその設備のぶん高価だ。ビニールも耐久性の高い材質のものを使っているんだが、当然の如くその中で栽培されているものを狙って害獣がやってくる。あいつらにとっては耐久性の高いビニールですら障子紙程度のものでしかないらしく、俺が小さい頃は何度も穴をあけられていた。
その対策として、と言う訳じゃないが親父は畑を始めた。それにつれて害獣もそっちを狙うようになっていった。入るのに手間がかかるハウスよりも簡単に食べられる畑のほうがいいと思ったんだろう。もっとも茶々が来てからは畑を狙う害獣も出なくなったが。
「シェリー、着いたぞ」
「え……あ……は、はい! すみません、ついうとうとして……」
「気にするな、頑張り過ぎなんだよ。ここで休憩するから」
「これは……不思議な建物ですね。中がうっすら透けて見えますけど……以前探索したダンジョンにもこんなのがありましたが、これもダンジョンですか?」
「だんじょん? そんなのじゃないって。まあ入ってみればわかるよ」
不安そうな表情を浮かべるシェリーを宥めながら鍵を開けて中に入る。うちではまだ被害はないが、最近ではハウスの中の作物を軒並み盗まれるという事件も起こってる。果樹園や畑で作物を狙われるのは結構多く、時には刈り入れを終えて乾燥の為にオダ掛けしていた稲がまるごと盗まれるなんて話もあるくらいだ。そんな盗品は格安で売りさばかれていたりするので、用心のために鍵をかけてある。
「うわぁ……綺麗です……」
シェリーが目の前の光景にそんな言葉を漏らす。眼前には俺の腰の高さあたりまでの棚が設置されており、そこにはたくさんのイチゴが鮮やかな赤色の実をつけている。程よく熟したその表面は艶があり、ビニールを通して差し込んで来る太陽の光を反射して輝く様はまさに宝石のようだ。
「これ、いつも食事の時に出してくれるあの赤いベリーですよね?」
「ああ、ここで育ててる。まだ売りに出せるほど出来てはいないけど、いずれは売り出そうと思ってる」
「こんなふうになってるんですね。それに香りも甘くて素敵です。こんな果実があるなんて信じられないです」
棚からぶら下がるように実るイチゴをうっとりとした表情で見つめるシェリー。ベリーの一種だと聞いてきたから、ブルーベリーやクランベリーのような植物は存在しているんだろうが、イチゴは無いらしい。
「果実は基本的に栽培する人は少ないです。大量に収穫できる果実は甘味が薄くて酸っぱいので、生で食べることはあまりしないんです。食べ物が無いときは仕方なく生食しますけど、普通は料理して食べます。だからこんなに甘い生食できる果実があるなんて信じられません」
「酸っぱくて甘味が薄い……たぶん原種だろうな。今の果実はほとんどが品種改良されてるからな」
初美はシェリーがいた世界の文化レベルは中世ヨーロッパくらいじゃないかと言っていた。それが事実かどうかは俺にはわからないが、もしそうなら農作物は原種に近いだろう。
日本はもちろんのこと、世界中で常に品種改良は行われている。農業の歴史は品種改良の歴史だと言ってもいいくらいだ。病気耐性、収量増加、環境耐性、そして美味しさの追求と栽培のしやすさ、それらを高めるために常に研究されている。シェリーが中世と同等の世界から来たのであれば、今流通している果実はまさに未来の果実だろう。
「ちょっと休憩しようか。一個食べてもいいぞ」
「本当ですか!? でもどれが美味しいのかが分かりません」
「形が歪なほうが味がいいぞ。これなんかお勧めだ」
たくさん実っているイチゴの中から一際大きくて歪なものをもぎ取って手渡す。胸ポケットから上半身を出した状態でそれを受け取ると、甘い香りにうっとりとした表情を見せる。そして一口齧れば、その顔は満面の笑みに変わる。
「甘くて美味しいです!」
そう言って齧りつくシェリー。溢れ出る果汁に口の周りが汚れるのも気にせず食べ続けている姿を見て、こちらも一粒とって口に放り込む。この甘さは糖度13くらいあるんじゃないだろうか。
イチゴは大きくて形の悪いほうが美味しいということを知らない人は多い。イチゴの角は成熟のしるしでもあるが、成熟しきってなお栄養分をたくさん溜めるとさらに違う場所に角を作り始める。そうして大きく、歪になっていく。見栄えが悪いのであまり出回らないことが多いが。
**********
「ここは何をしている場所ですか?」
「ここは苗を作ってる場所だ。野菜を種から育てて苗にするんだよ」
「種をそのまま蒔くんじゃないんですか?」
「苗から作ったほうが育てやすいんだよ、これを売るんだ」
これが今の我が家の生計を立てる基礎となる仕事だ。育苗には温度を安定させる必要があるので、ハウスが最適だ。意外と知らない人も多いが、代表的な夏野菜であるナスやピーマンは種まきから実がつくまで時間がかかる。しかも暖かくならないと発芽しない。つまり普通に春の終わりごろに種をまいても夏に収穫ができないので、まだ寒い頃からハウスで育苗する。もちろんそれだけじゃなく、トマトやキュウリ、スイカにカボチャにメロンなども育苗している。
「これから種まきするんだけど、手伝ってくれるか?」
「どうすればいいんですか?」
「この土に穴をつくるから、一粒ずつ種を播いてくれ」
「わかりました!」
育苗トレイに土を入れて棒で穴を作り、そこにシェリーが一粒ずつ種を播いていく。俺の手では数粒まとめて播いてしまうのでシェリーの小さな手なら多く播くこともない。種を播き終わると土を被せてたっぷり水をやる。あとはこれの繰り返しだ。トレイの上を種を持ちながらちょこちょこと歩く姿はとても可愛らしくて和んでしまう。初美が見たら鼻血出して倒れそうだ。
依頼のあった野菜の品種ごとに種を播き、水をやって太陽光がまんべんなく当たるようにしていく。一通りの作業が終わった頃にはもう昼近くになっていた。シェリーは様々な種を見比べて感心した様子だ。
「種って言っても色んな種類があるんですね。形も様々で、見ていて楽しいです」
「どうだ? このくらいなら大丈夫そうか?」
「はい、任せてください」
自分の出来ることが見つかって余程嬉しかったんだろう、返事の声も弾んでいる。とはいえ小さな農家では近隣の農家に頼まれた分しか作らないので毎日種播きする訳でもない。でもこれでシェリーの心が落ち着いてくれれば俺としては言うことはないので、空いた日は初美に付き合ってもらうことにしよう。女同士でなきゃ出来ない話もあるだろうしな。
読んでいただいてありがとうございます。




