覚醒を待つ者
お待たせしました。
思考する。それが思考と呼ぶに相応しいものであるかは、当事者にしかわからない。そもそもそんなことをしたことがない。だがそれでもなお思考する。
春の訪れとともに、ゆっくりと覚醒していく思考。微睡の中で戸惑いつつも、それは思考する。果たして自分は一体何者なのかと自問自答を繰り返す。一体いつからこのようになってしまったのか、自分はどうなっていくのか。
気付いた時には既に仲間たちとは違う存在になってしまっていた。仲間たちに自分の意思は伝わらず、自分のしていることが正しいのかどうかすらわからなかった。そんな時、偶然出会ったのは、自分とは異なる存在でありながら、自分の意思を理解できるモノ。
奇しくも目指す場所は同じだった。何故かわからないが、強く惹かれる独特の匂いのようなもの。他の仲間たちは全く感じていなかったが、それが危険なものかどうかもわからない。だがそれでも強く惹かれ、任せるがままに身体を動かす。そして出会った小さな生き物。
大きさは自分より少し小さいくらいで、自分を見た時に激しく身体を動かしていた。生まれて初めて見る生き物に不思議と恐怖を感じず、明確な敵意も起こらない。むしろより一層惹かれる自分に戸惑う。
『暖かくなったら』
その意味は何とか理解できた。これから自分たちは過酷な冬越えをしなければならない。それを乗り越えた時、再び会おうという意思表示だということも。だからこそ待った。この時のために待ち続けた。
同じ頃に眠りについた仲間は獣の餌食となった。それに関して思うところはない、何故ならそれは常に直面している危険なのだから。生き残った自分が仲間の分まで生きればいいだけだ。そもそもそんな意識を持ったことすら無かった、自分以外の同種など生きるための邪魔者でしかなく、食事や生殖の障害だった。
何がそうさせるのか、それを理解できるだけの知識はない。そもそもそんなことを理解するつもりもない。ただ惹かれるままに、その言葉のままに動いた結果、こうして微睡の中を彷徨っているのだ。
冬の終わり、そして春の訪れ、さらには夏の先触れ、約束の時は近づく。暖かくなるにつれ、自分の体に力が漲っていくのがわかる。荒ぶる気持ちを必死に抑えながら、それは時を待つ。早すぎてもいけない、遅すぎてもいけない、自分が万全の状態こそ、約束の時だ。ただそれだけを信じて、ひたすら待つ。
どこか惹かれる何かを持つ、初めて出会う生き物。惹かれる原因、自分の体に起こった異変の原因がドラゴンの血に由来するものだと気づくことはない。気付いたところで、ドラゴンという存在を理解することもない。ドラゴンの血の成分を吸収したクヌギの朽木を食べて育ち、そのクヌギの樹液を摂ったが故の変質と気付くこともない。あるのはただ惹かれる何かに思いを馳せる自分のみ。
目覚めた後どこに向かえばいいかなど考えたこともない。考える必要もない。何故なら既に微睡ながらもその匂いは捉えているのだから。ただその匂いに向かって進めばいい、それだけでいい。
果たして自分と再会したとき、その生き物はどのような反応をするだろうか。あの時のように、激しく身体を動かして再会を喜んでくれるだろうか。
そんな淡い思いを抱きながら、微睡の海へと再び沈んでいく。黒曜石のような瞳には表立った感情の色は見えない。しかし目的が定まりつつあるのは、触覚がしきりに動いていることから推測できる。
一般的な個体よりはるかに大きな身体を持つオスのヒラタクワガタ。ドラゴンの血により変質した彼は間もなく覚醒する。そして眠る前に交わした約束を守るために向かう先は決まっている。自分を表すであろう言葉をかけてくれたあの小さな生き物のところへ。
『ヒラタさん』
その言葉の響きが彼の心の中に未だに響き続けている。季節はもうすぐ夏、彼の目覚めはそう遠くない。
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