6.守護者
「お花見、ちょっとパスかな。あまりうるさいのは避けたいのよ、だってアタシこの集落を離れてたし」
陽も傾きかけた頃、寝ぼけ眼を擦りながら台所にやってきた初美に声をかければ、水を飲みながら面倒くさそうな顔をした。俺の言葉が足らなかったせいもあるが、きっと集落の花見に呼ばれたとでも思ってるんだろう。
「何言ってるんだ? うちだけの花見だ、シェリーとフラムと一緒に一本桜を見に行くんだ」
「行く! 絶対に行く! 満開の桜をバックに楽しむシェリーちゃんとフラムちゃん、是非とも記録に残しておかないと! どうしよう、想像しただけで創作意欲が湧き出て止まらない!」
「お、おう。武君にも声をかけてくれよ?」
「もちろんタケちゃんも行くわよ!」
どうやら武君には拒否権が無いらしい。いかつい見た目に似合わず、既に初美の尻に敷かれているようだ。だが兄としてはそのくらいのほうが安心する。元カレは厄介な奴だったし、その当時に電話で話をした時も、かなり精神的に苦しんでるようだったからな。妹が苦しんでいるのに、兄として何も手助けできない自分がとても情けなかったが、今武君とうまくいっているのはとても喜ばしいことだ。
武君もその頃の初美のことを知っているようで、我儘を言えるまでになった初美のことが可愛くて仕方ないんだろう。出来れば最初に武君と付き合ってほしかったと思うのは兄としては出すぎた考え方だろうが、武君も今の初美のありのままを受け止めてくれているから余計な口出しは不要だろう。
「そうか、なら初美も新しい家族の顔見せだな」
「やだお兄ちゃん、何言ってんの……そっか、そうだよね。あの桜はアタシたちの成長を見守ってくれてたんだものね。うん、タケちゃんはアタシの大事な旦那になる人だもんね、紹介しなくちゃ怒られちゃう」
「そうだな、いつも見守ってくれてたっけ」
小さい頃、山で遊んで道に迷った時、どういう訳かどんなに歩き回っても一本桜に辿り着いた。そこで一晩明かしたこともあるが、猪などの山の獣はもちろん、野犬の類も近寄ってこなかった。翌朝探しに来た両親にしこたま怒られたが、今考えれば一本桜が俺たちを守ってくれていたのかもしれない。
昔親父から、今でこそ佐倉を名乗っているが、大昔は桜という姓だと聞いたことがある。どういう理由で佐倉になったのかまでは分からないとのことだったが、間違いなくあの一本桜は我が家と深い関わりがある。そんな大事な桜に新たな家族を紹介していなかった自分が恥ずかしい。
「じゃあ今日は早く寝ないとね。機材持っていくんだし、体力温存しておかないと」
「機材ってお前……いや、今のお前を見せるのならそれでいいか」
今の俺たち家族の姿を見せるのであれば、余計な気飾りは不要だろう。ここで暮らす俺たちのありのままの姿を見せることこそ、見守ってくれたことへの感謝になるはずだ。そしてこれから先、新たな家族のことも見守ってもらうのだから、そこに偽りがあっちゃいけない。
大仰な機材を持ち込んでどう思われるかだが、今の初美が自分の夢を掴むきっかけになったのは、初美が趣味に没頭したおかげだ。そういう姿を見せることも必要なことだろう。
「お弁当作るんでしょ? じゃあ卵焼き作ってよ、お母さんが作ってくれた甘ーいやつ」
「ああ、わかった」
「昔は家族で行ってたよね、おにぎりに卵焼きっていうシンプルなお弁当持って」
毎年花見に行く時は、お袋の作った卵焼きにおにぎりという決まったメニューだった。山登りをするのだから、最低限の荷物にしたということもあるが、一本桜を眺めながら食べる弁当は格別の味だった。豪勢なメニューを考えたが、やはり今まで通りのシンプルなものがいいだろう。もちろんシェリーたちのイチゴは用意するが。
「まさかまた皆で一本桜を見に行くことになるとはな……」
「本当だね、シェリーちゃんたちのおかげだね」
初美が感慨深い表情で頷く。もしあの時シェリーが来てくれなかったら、俺が初美にメールを送らなかったら、こうして兄妹で暮らして話をしている今は無かっただろう。お互いに他人には漏らせない秘密を共有しているということもあるが、何よりシェリーとフラムの存在そのものが俺と初美の荒みきった兄妹関係を修復してくれた。それどころか今まで以上に強固にしてくれている。
以前暴走した猪と対峙したとき、初美は俺の身を案じて泣いてくれた。両親に先立たれ、俺まで失いたくないという気持ちを表に出してくれた。よくよく考えれば、あの時から俺の中に家長としての責任と正面から向き合う気持ちが生まれたんだと思う。
「そういえば……いつもお父さん桜に何かあげてなかったっけ?」
「ああ、お神酒だ。ちゃんと用意しておくよ」
我が家にとっては御神木のような存在の桜で、毎年親父が御神酒を奉納していた。奉納といっても根元に酒を撒く程度だが、アルコールを撒いても一向に枯れる素振りはなかった。いつか武君とサシで飲もうと通販で買った純米大吟醸だが、武君には悪いが先に開けさせてもらおう。
「そうと決まればタケちゃんにも教えないと。明日は機材持ってもらわなきゃいけないんだし」
「武君は荷物持ちかよ」
「だってアタシ一人じゃ持てないじゃん。か弱い女の子なんだし」
「か弱い、ね……」
「何よ、その言い方。棘があるわね」
初美の普段の仕事っぷりを見ていると、到底か弱いなんて言葉が当てはまるはずもないが、武君にとってはか弱い女の子に見えるのかもしれない。確かに腕っぷしではそこらの女の子より弱いかもしれないが、シェリーとフラムのことになればとても心強い。趣味の知識でどれだけ二人が助けられているか、それはいつもシェリーとフラムが楽しそうにしていることからも明らかだ。
服飾と小物づくりの才能と女性ならではの気配りは俺じゃ到底無理だ。シェリーもフラムも男の俺には相談しづらいこともあるだろうし、理解ある同性がそばにいてくれるのは心強いはずだ。俺も婚約者として心の支えになっている自負はあるが、それでも初美の二人に対する心遣いには敵わない。
時折二人の恋愛相談、つまりは俺の事の相談も受けているらしい。時にはそのやり方がかなり特殊なアプローチだったりもするが、元々女性に対してはいい思い出のない俺にとっては案外ストレートすぎるアプローチも嬉しかったりする。流石に手のひらサイズの女の子に手を出すまでは至っていないが、純粋に好意を向けられるのは悪い気はしない。
さて、そんな初美のためにもご要望の甘ーい卵焼きの準備をするとしようか。卵は鶏小屋の鶏たちが順調に産み落としてくれているし、調味料も揃ってる。後は……俺がお袋のレシピを正確に再現できるか、だな。
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