3.種まき
「で、候補に挙がったのがこれか」
「うん、どうかな?」
「これとこれは秋播きだ、春播きはこれだな。キンギョソウは種が小さいから直播きじゃなくて育苗したほうがいいぞ」
「え? これは今播けないんですか?」
「ああ、他は播けるぞ」
シェリーたちが選んだ種はおおよそ問題ないものだった。いくつか秋播きの花が混ざっていたが、それを除けば初心者でも比較的に育成のしやすい強健なものがほとんどだ。一部播き方に気を付けなければいけないものもあったが、それはきちんと指示してやればいいだろう。
「特にキンギョソウ、こいつは種が小さいから、普通に播くと水やりの際に種が流れてしまう可能性がある。これは育苗箱を使ったほうがいいだろう」
「他のは大丈夫ですか?」
「土をほぼ中性にしておけば、後は定期的な水やりと気温次第だな。もちろん日当たりも大事だぞ」
「チュウセイ、ですか?」
シェリーが俺の言葉に首を傾げる。農業に従事する者として基礎的なことを言ったつもりなんだが、どうやら中性という言葉がいまいち理解できていないようだ。
「ソウイチ、土にも何かが必要?」
「お兄ちゃん、もしかするとシェリーちゃんたちにそこまでの知識がないのかも」
「そうか……そこから説明するか……」
小学校の理科の授業でリトマス試験紙による液体のペーハー、つまり酸度を調べる実験をしない子供はいないだろう。どちらかに傾けば試験紙の色が変わり、ほぼ中性なら変化はしない。実はこの酸度というのは土にもあてはまる。
概ねほとんどの植物はほぼ中性の土を好む。ホームセンターなどで買った土は最初は中性で、そのまま植物を育てても問題なく育つ。しかしその植物が終わった後、また植物を育てようとした時にうまく育たないことが多い。花の数が少なかったり、咲かなかったり、実の付き方が悪かったり、最悪枯れてしまったりする。こうした場合、土が酸性に傾いている場合が多い。
ではどうして酸性になるのか、それは植物の根が原因だが、決して悪いことをしている訳ではない。植物が栄養を根から吸収する際に分泌する酸が原因だ。土の中の栄養分は常に液体で存在している訳じゃないので、植物はそれを液体にして根毛から吸い上げる必要がある。その際にクエン酸を分泌して溶かし、吸い上げる。当然ながら酸を出すので、土は酸性に傾いていく。それを中和してやらなければならない。
そこで土にアルカリ成分を含むもの、主に石灰を撒いて中和する。消石灰や苦土石灰、有機石灰などがあるが、ガーデニングで使うには、貝化石や牡蠣殻から作られる有機石灰が効き目も穏やかで使いやすいだろう。ちなみに消石灰を使った場合、土の内部でガスが発生するのでしっかりと土を耕してガスを抜いてやる必要がある。
「なるほど、そういうことを植物がしているとは思わなかった」
「ええ、何もしなくても育つものだと思っていました」
「もしかしてそれが連作障害?」
「ま、それだけが原因じゃないが、大体そんなところだ」
連作障害は同じ土で同じ植物を育てることで発生する。土の酸性化も原因の一つだが、それとともに土の中の微量元素の不足も理由の一つだ。様々なものが均一に存在せず、偏りがあることで育成に支障が出る。偏ることで土の中の微生物も減少し、土の健康状態が悪くなるからだ。
土にはたくさんの微生物がいて、土の中の有機物を分解して肥料分へと変える。微生物が正常な土は植物も育ちやすいので、何とかして微生物を増やしてやる必要がある。そこで出て来るのが堆肥だ。一般的なものは腐葉土だが、これは広葉樹の落ち葉が土の微生物により腐食したものだ。
また、農業では家畜の糞を醗酵させた堆肥も使用する。腐葉土よりも肥料分が高く、土を戻す力も強い。こうして土を戻すことを土壌改良といい、これがうまくいけば花は色鮮やかになり、野菜は収量も増えて味も良くなる。土の力が弱った場所では如何に頑張ったところで成果は出ない。
「なるほど、昔聞いたことがある。農家では麦を作る時に同じ畑で作らないと」
「そうだな、次に別の作物を育てることで偏りを無くすんだ。豆類も顕著だが、ほとんどの植物に当てはまるな」
「じゃあ家畜の糞を畑に撒けばいいんですか?」
「そのままじゃダメだ、馬糞や牛糞に藁を混ぜてしっかり醗酵させないと。醗酵することで温度が上がり、悪い微生物が死滅するんだ。有機物も植物が吸収しやすい状態になる」
うちでは牛糞を使っているが、そのおかげか連作障害はほとんど起こっていない。肥料としての役割は豚糞や鶏糞に負けるが、穏やかな効き目と土壌改良効果が高い。ちなみに畑用には年に数回、2トントラックの荷台いっぱいの牛糞堆肥を牧場から購入している。最近では牛の飼料の高騰で堆肥も値上がり傾向にあるのが辛いところだが。
最近では土を再生するというものも多く、ガーデニング程度ならそれを使えば十分に対処が可能だが、やはり農家としてはこれまでに培った知識と経験というものがある。言わば専門家がそういったものに頼るのは情けないので、親父がやっていたことを踏襲することにしている。
しかしここまでのことをシェリーはもちろんだがフラムが知らなくても当然だろう。彼女たちのいた世界の農業がどういうものなのかは分からないが、そこに長く根付いた方法というものがあるはずで、もしそれすら無ければとっくの昔に荒んだ世界になっているだろう。連作を防ぐために作物を作る畑を変えるというのも原始的ではあるが効果的な対策だからだ。
「育苗箱と土は用意しておく。種は……いつも頼んでるところに頼んでおくよ」
「ありがとうございます」
「ありがとう、ソウイチ。これならきっと綺麗な花を咲かせられる。ミヤマさんもきっと喜ぶ」
「そうだな、カブトさんも喜ぶだろうな」
「はい!」
種は迂闊にホームセンターで買うと劣化したものを掴みかねない。いつも種を発注している専門業者なら管理もきちんとしているし、実際に畑やハウスで使ってる種は非常に発芽率がいい。保管環境が悪ければ種は死んでしまう。もし二人が播いた種が発芽しなかったら、どれだけ落ち込むだろうか。二人が自発的にやりたいと言い出したことを止めるつもりもないし、出来るだけサポートもしてやりたい。
彼女たちの普段の暮らしについてのサポートでは初美に及ばないが、この分野なら手助けできる。ましてやカブトさんたちの弔いの花となれば、失敗なんてさせられない。彼らは二人のことを命を投げ出して護ってくれた大事な仲間だからな。
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「ソウイチさん、これでいいですか?」
「ソウイチ、これで大丈夫?」
「ああ、後は毎日水をやって日当たりの良いところに置いておけばいい」
二人は顔を土で汚しながら、一生懸命育苗箱のポットに種を播いていく。シェリーは種まきの手伝いをしたことがあるので慣れた手つきで、フラムはややぎこちない手つきで種を播き、ペットボトルのキャップで何度も水を汲んでは撒いている。
「お兄ちゃん、管理は任せて」
「ああ、頼むよ」
「……なんかこういうのっていいよね」
「……そうだな」
きゃいきゃいとはしゃぎながら、それでも丁寧に播かれた種。とても微笑ましい光景に俺も初美も穏やかな気分になる。嬉しそうに育苗ポットを眺める二人を見ながら、この種はきっとうまくいく、根拠はないがそんな確信めいたものが俺の胸に宿っていた。
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