3.シャワー
『おお……これは心地よい……』
湯気の立ちこめる風呂場に親父臭い言葉が響く。声だけ聞けば渋めのダンディな声なのだが、それを発しているのがシャワーを浴びて痩せこけたようになっているチワワモドキだと思うと複雑な気持ちになる。もっと子供っぽい声だと思っていたので、その落差が半端ない。
初美に言われてシャワーを浴びさせようとしたが、当然のように抵抗された。無理矢理押さえつけてお湯をかけようとしたところで茶々が一声吠えてくれたおかげで、何とか大人しくシャワーを浴びてくれた。最初こそ嫌そうな顔をしていたが、冷え切った身体が温かくなるにつれて気分よくなってきたようだ。
『湯を浴びるのがこんなにも心地よいとは……』
貧相な外見になりながらも言葉に嫌がる様子はない。シェリーやフラムの話を聞く限りでは、お湯で入浴をするのはほんの一握りの特権階級くらいしかいないらしく、わざわざお湯を沸かす手間を考えると一般人はほぼ水浴びらしい。ましてや獣であるフェンリルがそんなことをするはずもなく、温泉でも見つけない限り経験することは無かったはずだ。
幸いにもフェンリルの身体にはノミやダニのような寄生虫はおらず、ましてやよくわからない正体不明な虫がたくさん出てくるようなこともなかった。汚れた野良猫とかを洗った時は大概大量のノミが出てきて驚くものだが、それが無かったのは良かった。逃げ出して茶々にたかったら堪ったものじゃない。
「グルルル……」
「しょうがないだろ、人間用のシャンプー使う訳にもいかないんだから」
自分用のシャンプーを使われて機嫌の悪い茶々を宥めながら、わしゃわしゃとフェンリルの身体を無造作に泡立てて流せば、先ほどとは見違えるくらいに白くなった獣毛が露わにある。今までこうして身体を洗ったことなどなかったのだろう、どのくらいの年月生きてきたのかは分からないが、溜めこんだ汚れが一気に流されて心なしかフェンリルもスッキリしたようにも思える。
「ほら来い、乾かしてやる」
『う、うむ……』
脱衣場にいつも置いてある初美のドライヤーを使って手櫛で毛を流しながら乾かせば、最初は戸惑っていたフェンリルも次第に目を細めて尻尾を振り始めた。そういえば茶々もシャンプーそのものは嫌いだが、ドライヤーで乾かすのは嫌がらない。同じ犬?として好きなものも同じなのだろうか。
「グルルル……」
『こ、これは違うのだ、ただあまりに心地よくて……』
隣で控えている茶々は羨ましさのあまりに怒りを隠しきれないようで、フェンリルが気持ちよさそうな顔をしたり、つい声を漏らしたりする度に唸り声をあげている。心配しなくてもお前もシャンプーしてやるからそんなに怒るな、ただ今日みたいに寒い日は風邪をひくかもしれないから、天気が良い日にだが。
しかし身体が乾いてくるにつれて本来持っていた姿が露わになってきてるんだが……うん、これはやはり……チワワそのものじゃないか。しかもこんなに綺麗な純白の毛を持ったチワワ、ペットショップで購入したら一体幾らになるか想像もできない。しかもチワワの特徴であるリンゴのようにやや突き出た額、通称アップルヘッドや大きな瞳もこれまで見たどのチワワよりもチワワっぽく、昔テレビコマーシャルで見た潤んだ瞳のチワワのようだ。
こいつをフェンリルだと説明したところで、一体どれほどの人間がそれを信じるだろうか。もちろん人前で喋ればただの犬じゃないことは明白だが、黙っているとどこからどう見てもチワワなので、フェンリルと名付けたと思われて痛い奴だと思われてしまうだろう。
いや、こいつをこの家に置くつもりは毛頭ないんだが、もし誰かが訪ねてきたらチワワだと誤魔化すしかない。果たしてこいつが大人しく黙ってくれるのかが問題だが、そこは茶々が睨みを効かせてくれることを信じよう。そもそもこの雪の中を誰かが訪ねてくることなど滅多にないのだが、かといって絶対に無いとは言い切れないので用心しておかなくてはならない。
「まぁこんなものか……」
目の前にはどこのドッグショーの優勝犬かと思えるくらいに綺麗になったチワワモドキ。これがモドキではなく本物のチワワだったらどれほど気楽だろうか。茶々が睨みを効かせているおかげで動きを制限することが出来ているが、茶々だってずっと付きっきりでいることは難しい。そうなった場合に本当にこいつが俺たちに危害を加えないとは限らない。
初美が家族会議を開くというので、すっかり毛も乾いてチワワそのものになったフェンリルの首根っこを掴んで居間へと向かう。抱きかかえてもよかったんだが、流石にそれは茶々に悪いと思って止めた。こうしたところでしっかりと区別しておかないといくら茶々が賢いからと言っても誤解される。茶々は特別なんだときちんと意思表示して安心させてやるのは家族として当然のことだ。決して飼い主としてじゃない。
さて、初美は家族会議で一体何を決めるつもりなのだろうか。茶々を嫁に欲しいという件ならば当然却下だ。少なくともシェリー達に敵意を見せた奴にどうして大事な茶々を嫁に出さなきゃいけないのか。いくら改心したと言っても、それはあくまで口だけのこと、それを証明した結果が無い以上、俺の答えは変わらない。
そしてきっとシェリーとフラムの答えも俺と同じだろう。二人にとって茶々は特別な存在、それがフェンリルのものになるなんて到底受け入れがたいものなのは確実だ。だからこそ、初美の思惑に素直に乗る訳にはいかない。この後開かれる家族会議、気合を入れてかからなきゃならない。
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