10.きゅうこん
庭先が騒々しいので様子を見ると、茶々が白いチワワを庭へと放り投げる姿が見えた。チワワの野良犬なんて聞いたことがないし、遠目から見ても綺麗な毛並みで野良犬特有の薄汚れた感じがない。どこからか迷い込んできたのか、まさか初美か武君がこっそり買ってきたんじゃないだろうな。もしそうなら茶々の大人げない行動を叱らないといけない。
確かに上下関係は大事だが、弱い者いじめをさせるつもりはない。力あるものは弱い者に対して寛容でなければならないし、特に茶々はうちの山のボスだ、ボスがあんな弱弱しいチワワ相手に本気になってどうする。今の茶々なら威嚇だけで粗相してしまうだろうし、雪の中に放り出すなんてありえない。
茶々に一言言ってやろうと思った時、渋い重低音の声が聞こえた。しかしこの家にいる誰の声でもなく、近所にそんな渋い声の持ち主はいない。じゃあ誰が、と思ったら喋ってるのはそのチワワだった。初美の言葉を聞いていると、どうやらそいつがフェンリルらしいが、一体何の目的でここまで来た?
何か言おうとする度に茶々に吠えられて竦み上がってるが、シェリーとフラムの話を聞く限り、見た目通りのチワワではないはずだ、獣の底力を侮ってはいけない、それは俺がここで生活しはじめた頃、何度も苦い思いをさせられた経験から体に染みついている。
「生かしておいても害悪でしかない」
そう評価するフラムの言葉は決して誇張ではないだろう。事実こいつはゲートを通ってここまで来てしまった。もし他の誰かにその様子を見られでもしたら大変なことになる。チワワを手にかけることに忌避感はあるが、これから先のことを考えると致し方ないところだ。
「ま、待ってください!」
銃を取りに部屋に戻ろうとして、聞き覚えのある女の子の声がした。シェリーの声でもなく、フラムの声でもない。もちろん初美のものとも違う。つい最近聞いたことのある、凛とした張りのある声だ。声の聞こえたほうを見れば、所々に赤い炎の装飾の入った鎧を身につけた女騎士がゲートの前に立っていた。そのサイズはとても小さかったが。
「フラム、待ってください! フェンリル様に敵意はありません!」
『そ、そうだ! 我は争いに来たのではない!』
「カルア、またそいつに騙されることになる。今度は前回程度じゃ済まされないかもしれない」
『ま、待て! 我はもうあの街には近づくことすらできんのだ!』
女騎士カルアの言葉に救いを求めるかのようにフェンリルが言葉を重ねるが、その言い分はわからないでもない。カルアの街は茶々がマーキングしたというし、茶々の強さを身をもって味わったフェンリルがその匂いを忌避するのも当然だ。だがそうなるとフェンリルがここに来た理由が茶々への復讐という線が一層強くなる。というかそれ以外に考えられない。
ここで茶々に雪辱を晴らし、自分の中の弱さを無くした上で再び元の世界で覇者となる、そういう算段ならこちらとしても容赦するつもりはない。
「なら何をしにここに来た?」
「あー、フラム? ちょっといいか?」
「バド、まさかお前までフェンリルに脅されて?」
「いいから聞けよ、ここに来たのはそういうつもりじゃないんだよ」
カルアの後ろで俺たちから隠れるようにしていた筋骨隆々の男がフラムに話しかける。といってもやはり身体のサイズはとても小さいが、彼がバドだろう。さっきまで見ていた画像ではフェンリルにやられてボロボロだったので、一目見ただけでは誰だかわからなかったが。
茶々と戦うつもりじゃないと言われても、じゃあその目的が何かが全くわからない。カルアとバドに目立った外傷はないので、戦うつもりがないというのは本当のようにも思えるが、フラムの言う通りこいつは約束を破ってカルアの街を襲うつもりだったんだ、素直に信じるのは危険すぎる。
「なら話せ、今すぐ話せ、だがもし少しでも変な素振りを見せたら……チャチャが黙っていない」
「ワンッ!」
『は、はい! えっと……その……』
茶々に吠えられて大きく身体をびくつかせるフェンリル。しかしその後がどうにも煮え切らない。どこか奥歯に物が挟まっているような、何かを隠しているような、そんな感じにも見える。傍目から見ればぶるぶる震えてるチワワにしか見えないんだが。
「フラム、そう急かすなよ。こういうのは意外と勇気がいるもんだからよ」
「バド、どうしてフェンリルの肩を持つ? 何か弱みでも握られてる?」
「まぁ握られてるっていうか、握ってるっていうか……まああれだ、同じ男として共感できるものがあるっていうかだな……」
「……怪しい、それにどうしてカルアと一緒にいる?」
「まぁその……なんだ、早い話が……こういうワケだ」
「やっ……もう、バドったら……」
不意にバドがカルアの肩を抱き寄せた。いきなり肩を抱かれたカルアは驚いた表情を見せており、先日会ったカルアの印象だと途轍もない剣幕で怒り出すと思ったんだが、俺の予想に反してカルアは若干頬を赤らめながら、勢いに任せるようにしてバドの腕の中に収まった。
「まさか……バド……ついに……」
「おう、そういうこった。今はカルアも独自に領地を賜った新米貴族で、俺は今のところ臣下ってとこだろうな」
「領民のいない名ばかり貴族ですが」
「ほ、本当? よかったわね、カルア!」
未だ庭先で寒さに震えながらもじもじしているフェンリルを他所に、シェリーたちの元パーティ仲間がきゃいきゃいと喜び合っている。完全に蚊帳の外になったフェンリルに若干の同情の念を抱いてしまうが、疎外されているにも関わらずフェンリルはちらちらと茶々を見ながら何かを言いたそうにしている。
『チャ、チャチャ殿、わ、わ、わ……』
「「「「「 わ? 」」」」」
ついに決心したのか、フェンリルが茶々のほうを見て口を開いた。やはり『我と決闘しろ』とでも言うつもりだったのか。これはやはり銃を持ってこなければいけない状況のようだ。急いで部屋に戻ろうとした時、フェンリルは言葉を続けた。
『わ、我の妃になってもらえぬだろうか?』
「「「「「 き、妃? 」」」」」
「ワフ?」
思わず皆の目が点になった。茶々も当然ながら何が起こったのかわからないといった様子だ。だがこっちはようやく言葉の意味を飲み込めてきた。こいつ今妃って言ったよな。妃っていうことは妻っていうことだよな。ということはこいつは茶々に求婚しにきたっていうことだよな。
よし、部屋に戻って銃を取ってこよう。もちろんドラゴンをも貫通した、フラム特製の強化ライフル弾も持って。
この章はこれで終わりです。
次回は閑話です。
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