3.おふくろの味
「ソウイチ! 雪! 白い! 冷たい!」
「ちょっとフラム! 冷たいじゃない!」
「こんなものを見たら私は自分を抑えられない!」
玄関の三和土に広げたビニールシートの上に積み上げられた雪山の上ではしゃぐシェリーとフラム。最初は寝ぼけ眼のフラムだったが、雪を見るなり表情が一変した。急いで寝間着から防寒着に着替えてくると、外に出たいと強請ったんだが、流石に俺たちでも身体にこたえるこの天気では外で遊ばせる訳にもいかない。雪は弱まりつつあるが、陽射しのない状況では凍えてしまうかもしれない。
というわけで、外から雪を持ち込んだんだが、予想以上に喜んでもらえたようだ。シェリーは恐る恐るといった感じで雪に触れていたが、フラムは雪にダイブしたり、雪玉を作ってシェリーにぶつけたりしていた。雪合戦を外でやってほしいが、二人の作る雪玉の大きさなんてたかが知れているので、後で掃除すればいいだけだ。
「あまりはしゃぐと濡れるぞ、少し遊んだら部屋で温まるようにしろよ」
「「 はーい 」」
二人の返事はとても明るいものだったが、これはたぶんずぶ濡れになるまで遊ぶんだろうな。この近辺は山の中とはいえ降雪は決して多くない。ここまで積もるのも年に数える程度で、俺も初美も小さい頃は一心不乱に遊んで親に怒られたものだ。雪に接することが無かった二人にとってはとても興味深く、楽しいことだというのはよく理解できる。
「茶々、二人のことを頼むぞ」
「ワン!」
二人が遊んで身体が冷えた時のことを考えて、何か温まるものを用意しておこう。いくら家の中とはいえ、あのはしゃぎっぷりだと加減が効かない可能性も十分ありうるが、茶々ならやりすぎる前に止めてくれるだろう。二人も茶々の言うことなら大人しく聞くだろうし。
茶々にこの場を任せて、台所に行って準備をする。こんな寒い日にはやっぱり暖かくて甘いものがいいだろう。作っていると、匂いに誘われた初美が寝間着姿に上着を羽織った姿で顔を出してきた。
「いい匂い、お汁粉?」
「ああ、寒い時にはこれだろ」
「やった! お汁粉大好き!」
俺と初美が小さい頃、ずぶ濡れで帰ってきた時はいつもお袋がお汁粉を作ってくれた。漉し餡をお湯で伸ばした簡易的なものだが、ひとしきり叱られた後で出してくれるこのお汁粉がとても好きだった。俺と初美にとってはお袋の味というやつだ。冷えきった体に温かくて甘いお汁粉が浸透していく心地よさはこの年齢になっても未だ忘れることはない。
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「さ、寒い……」
「ソウイチ、寒い……」
「クーン……」
「茶々、お前まで……」
玄関から戻ってきた二人は予想通りずぶ濡れだった。それどころか監視役の茶々まで濡れているのは、きっと二人が遊んでいる姿に我慢が出来なくなって参加したんだろう。シェリーはともかく、最近のフラムはクマコにかかりきりで茶々と遊ぶ機会が少なくなっていたので、楽しそうな二人を見て自然と体が動いてしまったのかもしれない。
「早く部屋に入れ、それから初美、ドライヤーを貸してくれ」
「じゃあシェリーちゃんとフラムちゃんはアタシが面倒みるわね」
そう言いながらドライヤーを持ってきた初美は二人を連れて自分の部屋に戻っていった。いくら婚約者といえども女の子、むさい男が扱うよりは同性のほうがいいだろう。たぶん着替えも必要だし、そういうところを俺に見られて嬉しいとは思えない。
「茶々、おいで」
「クーン……」
ぶるぶると震える茶々を呼び寄せて、ドライヤーの温風で濡れた身体を乾かしてやれば、気持ちよさそうに目を細める。寒さにはそれなりに強いだろうが、いくらなんでも濡れたままにさせておいては風邪をひいてしまうかもしれない。ついでとばかりにブラッシングをしてやれば、オレンジの獣毛が再び艶を取り戻す。
「チャチャさん、綺麗ですね」
「やはりチャチャは神獣にふさわしい神々しさを持ってる」
髪を乾かして着替えを済ませた二人が部屋に戻ってきた。二人とも初美が作った部屋着という名のジャージを着て、褞袍を羽織った姿だが、素材がいいので田舎っぽい感じがしない。こんな雪の中訪ねてくる人なんているはずもないし、身内だけならそれで充分だと思う。
「雪はとても危険、扱いを間違えれば命にかかわる」
「フラムがはしゃぎすぎただけだと思うんだけど……」
はしゃぎすぎ、と指摘するシェリーのもの言いたげな視線から咄嗟に目を逸らすフラム。たしかにあの様子はちょっと、というよりかなりはしゃぎすぎだと思うが、俺や初美も似たような経験をしているので深く追求するつもりはない。豪雪地帯の人たちにとっては雪は危険と隣り合わせのものだが、この近辺では積雪そのものが珍しいので、子供の頃は心が躍ったものだ。後を継いで畑やハウスの心配をするようになって、ようやく親父たちが降雪時に険しい顔をしていた理由がわかったが。
「寒かっただろ、これでも飲んで温まるといい」
「お餅のないお汁粉だけどね」
二人用のカップに入る餅となるとほぼ米粒くらいになってしまうので、今回は餅なしだ。だが俺たちもこの餅のない汁粉を飲んで育ってきており、この味はいわば佐倉家の味ともいえる。二人はもう家族なんだから、この味をぜひ知っておいてほしいと思ったからこそ、あえてこれを選んだ。
「甘くて美味しいです」
「この甘さはとても優しい、ソウイチの優しさを感じる」
「このお汁粉はアタシたちのお母さんが作ってくれたものなのよ」
「ソウイチさんのお母様の味……」
「きっとソウイチの母親はとても優しい人だったと思う。この味が教えてくれた」
「……確かにそうだったな」
口数が少なくて、あまり笑顔を見せたことがない親父、一体この不愛想な親父のどこに惚れたんだと疑ってしまうほど優しくて穏やかだったお袋。しかしただ優しいだけでなく、芯の通った心に強さもあった。初美が高校を卒業して東京で就職したいと言い出した時は親父よりも厳しい言葉をぶつけていた。俺が口添えしていなかったら、今の初美はいなかったかもしれない。
果たしてあのお袋が今のこの状況を見たらどう思うだろうか。シェリーとフラムを受け入れてくれていただろうか。非現実な存在として拒絶されてしまったかもしれない。
だが心配しないでほしい、都会での暮らしで人間の汚さに傷ついた俺はこの二人に出会うことで再び前向きに歩いていけると思えるようになった。純粋に俺のことを想ってくれて、その優しさがとても心地よいと思える存在に初めて出会った。だから多少の非現実的な現象が起こるだろうが、広い心で見守っていてほしい。
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