6.出撃
きちんと手入れの行き届いたライフル、親父の形見のフィンランド製ボルトライフルが太陽の光を鈍く反射する。いつ鹿が現れてもいいように、ケースから出して肩に担ぐ。腰には弾丸と弾倉の入ったポーチと、非常用にチョコレートやクッキーを入れたポーチをつける。そしてベルトに水筒をぶら下げる。
本来なら蛍光色のベストと帽子を身に着けるところだが、あれはそもそも誤射などの対人事故を防ぐためのもので、あんな目立つものを着ていては、こっちの居場所が丸わかりだ。それにこれから向かうのは佐倉家の私有地の山だ、他人が入り込む可能性はとても低い。
「行くぞ、茶々」
「ワン!」
茶々は俺とお揃いのポーチを初美に作ってもらい、それを首輪がわりにつけてご満悦なようだ。こうして本格的な猟をするのは初めてだが、緊張している様子はない。あの猪やドラゴンと俺との対峙を見ていたせいか、自分が何をすべきかはっきりと理解しているようだ。
「じゃあ頼むぞ、初美」
「うん、わかった。雨戸閉めて大人しくしてる。連絡もらったら渡邊さんに伝えればいいのね?」
「ああ、仕留めたら運ぶのが辛いからな。一頭ならいいが数が多くなるとな」
「任せといて」
「ところでシェリーたちは?」
「お兄ちゃんがダメって言うから部屋に引き籠ってるんじゃない? あんなに頭ごなしに言うから……」
「そんなこと言われてもな……危険すぎるだろ」
今見送りに出てきてるのは初美と武君、シェリーとフラムの姿は見えない。というのも、二人が鹿撃ちに付いて来たいというのを俺が断ったからだ。俺だって本格的な駆除は初めてだし、何が起こるかわからない。そんな危険なところに二人を連れていけるはずがない。だからダメだと言ったんだが、二人ともふくれっ面をしながら部屋に戻ってしまった。
「お兄ちゃんが護ってあげればいいじゃない」
「悪いがそんな余裕はない。遊びじゃないんだからな」
「それはそうだけどさ……」
ここで初手をミスれば鹿の好きなようにさせてしまうことになりかねない。だから短時間でできるだけ大きなダメージを与えておかなければいけない。正直なところ二人の面倒を見ている余裕がないというのが本音だ。それに何かあった場合、渡邊さんに助力を乞わなきゃいけないので、二人が見つかる可能性も高くなる。それだけは絶対に避けたい。
「ま、そのへんのことはなるようにしかならないと思うから。とりあえずお兄ちゃんは鹿撃ちに専念してよ」
「ああ、そうだな」
流石は初美、都会に出ていたとはいえ山育ちなので今回の件の重要性をいよくわかってる。笑顔で見送ってくれているのは俺の精神的な負担を出来るだけ軽くしようと頑張ってくれている証だろう。こうして誰かに笑顔で見送られるというのは……うん、悪くない。これが妹だとしても、だ。本当はシェリーとフラムに見送ってほしかったんだが……まあこうなってしまったことは仕方ない。きちんと危険性を説明できなかった俺の不手際ということで諦めよう。
「茶々、先導頼むぞ」
「ワンッ!」
気合を入れるかのように一声吠える茶々。クマコはどうやら山に帰ったらしく、用意してやった止まり木にも姿が見えない。今回使うのはライフル弾なので、散弾のように広範囲に流れ弾が放たれることもないので、迂闊に近寄ってこなければ平気だろう。周囲に他の人間の姿がないことを確認しつつ山へと踏み入れば、そこかしこに鹿とおぼしき食み跡が見受けられる。間違いなく群れがこの山に入り込んでいる証拠だ。
いくら自分の家の持ち山とはいえ、うっかり人を撃ってしまったなんて洒落じゃすまされない。だが今の時期ならまだ春の山菜には時期が早すぎるので、山菜取りの人間を気にする必要はない。必要があるとすれば、如何にして気付かれることなく鹿の群れに接近するか、そして茶々が俺の想定した場所に追い出してくれるかの心配だけだ。
「茶々、もうすぐ追い出し予定の場所だ、きちんと覚えろよ?」
「ワンッ!」
大きいとはいえポメラニアンを連れた猟師なんて世界中探しても俺くらいのものだろう。ポメラニアンの祖先といわれるサモエドはトナカイ狩りにも使われる猟犬で、ごく薄くではあるがその血を受け継ぐ茶々は素養がないわけじゃないと思う。ただ一般的には眠っている猟犬の血を呼び起こすまでは三代に渡って厳しい訓練をする必要があるというから、茶々の強さはある種の先祖返りと考えたほうがしっくりくる。竜核を食べて強くなったとはいえ、元々茶々は自分の力でこの山の頂点に上り詰めたのだから。
器用に下草の間をすり抜けては時折匂いを嗅ぎ、低い唸り声をあげる茶々。このあたりは茶々の散歩コースらしく、そこにはっきりと残された余所者の匂いは彼女の神経を逆撫でするに十分なものだったようだ。俺に向かうときには嬉しそうな顔を見せようと努力しているようだが、偶に俺の顔を見て唸ったりしてるのは大目に見よう。
これから先は茶々の動きに全てかかってる。今までならともかく、今の茶々は知性もあるので俺がどういうことを望んでいるのかはしっかり把握できてるはずだ。やや先に見えてきた少し開けた場所に向かって歩いていく茶々は、首に着けられたポーチが周りに当たらないように気を配っているのがはっきりとわかる。おそらく初美におやつを入れてもらってるんだろうが、そんなにおやつが大事か?
心配するな、終わったらきちんと休憩入れるから。いくらお前が犬でも、ブラックな労働環境で働かせるつもりはこれっぽっちもないからな。
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