1.前兆
新章スタートです。
「シェリーちゃん、フラムちゃん、あけましておめでとう」
「ハツミさん、おめでとうございます」
「あけおめことよろ」
「フラム、何の呪文なの?」
「新年のあいさつの省略型。これで意味が伝わる」
「まぁごく一部だけなんだけどね」
山から下りてベッドに入ると、気付けばもう日は高く上ってた。いつもなら焦るところだけど、皆から今日は特別な日で、寝坊しても怒られないって聞いてたから、ちょっとだけそれに甘えちゃった。
「二人とも、お兄ちゃんのこと驚かしてみない?」
「ソウイチさんを、ですか?」
「うん、今お兄ちゃんはご近所に挨拶に行ってるんだけど。たぶん昼くらいには戻ってくるはずだから」
「面白そうだけど、一体どうやって?」
「実はね、フラムちゃん。こういうものを……用意してるんです!」
ハツミさんが私たちの前に出してくれたのは、今までテレビで何度か見たものだった。その時にも目が奪われたけど、実際に目の前にしてみるとテレビなんか全然比べ物にならない。フラムも恐る恐る触って感触を確かめてる。
「ハツミ、もしかしてこれは……」
「そう、その通りよ。二人のためにずっと準備してたんだ。だからさ、これを使って……」
「うん、おもしろそう」
「驚かすのは少し気が引けますけど……でもこれは私も興味あります」
私もフラムも女の子だから、こういうものに興味がないわけじゃない。ただそういうものに触れる機会が全然無かっただけ。だから……ごめんなさい、ソウイチさん。でもこういう形であなたを驚かせてみたいって思う心を抑えることができないわ……
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「渡邊さん、あけましておめでとうございます」
「おう、宗ちゃん。おめでとう」
渡邊さんの自宅に新年のあいさつに向かえば、まだ午前中だというのに真っ赤な顔で玄関に出てきた。息の酒臭さからみてたぶん昨夜ずっと飲み明かしていたんだと思う。まぁ正月だし、決まった休みなんて存在しない農家にとっては正月は思い切り骨休めできる貴重な休みだ。好き勝手に過ごしてもいいじゃないか。
「上がって一杯やってくか?」
「ダメダメ、車だから。また今度な」
「ちぇ……偶には宗ちゃんと飲めるかと思ったんだけどな……そうだ、宗ちゃん。この前でかい鳥見たって話しただろ? また見た奴がいるんだよ」
「え……」
新年早々緊張が走った。あの時はドラゴンが現れたが、今はあのゲートにはフラムが結界を施しているので、何者かが侵入してくれば誰かが気付くはずだ。もしかして茶々が空を駈けているところを見られたのか?
「支所の北のほうなんだけど、でかい鳥を見たって奴が何人もいるんだよ。この辺りに鷲とかいたんかと思ってな」
「鷲……いや、見たことねぇな」
大きな鳥といえば鷲の類、種類でいえばオオワシ、イヌワシ、オジロワシくらいだが、北海道や東北地方での目撃例はあるがこの近辺では聞いたことがない。当然俺も見たことはない。大体こんな人里に近い場所まで飛来してくるとも思えない。
「そんなもんがいたらもっと大騒ぎになってるだろ」
「そうだよな……何かと見間違えてるんかな?」
「もしかしてうちの同居人が時々飛ばしてるドローンかもしれない。支所のほうで飛ばしてるって話は聞いてないけどな……」
「そうか、それならいいんだけどな。最近はカラスが増えてるんで猛禽がいてくれたら助かるんだけどよ」
渡邊さんの家から帰る車の中で、さっき聞いたことをずっと反芻していた。まさかあの時と同じようなことが起こるとは思えないが、かといって放っておいていいものでもない。確かにオオワシやイヌワシなんてものが飛んでくれば、カラスなどの害鳥がいなくなる。しかしそれが明るみに出れば、カラスよりも怖いバードウォッチャーという連中が入り込んでくる。
あいつらの中には勝手に庭に車を停めたり、畑に入り込む奴もいる。全部がそうだとは言わないが、性質の悪い連中がいるのも確かだ。所かまわず写真を撮ろうとするので、何度か注意したことはあるが……もしそいつらがシェリーとフラムを見つけたらどうなる? 静かに暮らしてるから見逃してやろうなんて殊勝なことを考えるだろうか?
もし捕まって連れ去られでもしたら……そんな最悪の想像が頭の中を巡る。新年早々こんなことを考えたくはないが、悪い結果だけが頭の片隅から消えず、不安だけが急速に大きくなっていく。鳥だとしても、鳥以外の何かだったとしても、悪い方向に進んでしまうのは間違いないだろう。
ようやく手に入れた生活なのに、どうしてこうも邪魔なものが入り込んでくるんだろう。都会での人間の汚さと無神経さに疲弊して、田舎の農村で半ば引き籠り状態だった俺がようやく手に入れた充実した生活を脅かすようなことがどうして起こってしまうんだろう。
シェリーとフラムには籠の鳥のような暮らしをしてほしくない。だから家の中だけは自由にしてもらっているんだ。本当なら茶々と一緒に野山を駆け回ることができるのに、それを許してやれない自分の無力さが恨めしい。この辺り全てを買い取って、誰も入れない私有地にしてしまえばいいのだろうが、それだけの財力もない。有利に買い取れるだけのコネも実績もない。ないない尽くしの自分が本当に情けない。
いっそのこと土地を全てを売り捌いて、どこぞの無人島にでも引っ越してみようか、そんな荒唐無稽な考えさえ浮かび始める自分に嫌悪感を抱く。これは俺が一人で判断していい問題じゃない。今は新たな家族が増えてるんだから、戻ったらまずは皆に相談してみよう。願わくば俺が戻る前に厄介なことになっていないことを……
読んでいただいてありがとうございます。




