領地
閑話です。
カルアとバドのその後です。
フロックスとアキレアの国境からやや離れた場所にある鬱蒼とした森、通称『忘却の森』。もはや探索されつくされた朽ち果てたダンジョンのみが残る森には訪れる者もおらず、時折獣の声が聞こえるだけの場所だった、つい最近までは。
しかし今は違う。ダンジョンの入口に近い場所には明らかに人の手で作られたであろう小屋があった。小屋とはいってもきちんと木材や石材を加工して作ったものではなく、切り出しただけの丸太を組み合わせ、大きな草の葉で雨除けの屋根と目隠しの壁にした簡素という言葉を使うことすら憚られるみすぼらしいものではあったが。
「こんな生活、久しぶりですわね」
「ああ、お前とコンビを組み始めた頃はよく一緒に野宿したな」
小屋の中に敷き詰められているのはベッドがわりの干し草、そしてそこに一糸纏わぬ姿で寄り添いあう一組の男女の姿。額から突き出た二本の小さな角が特徴的な筋骨隆々の男と、狼のような耳と尻尾を持った赤い巻き髪の女はお互いの顔を見つめあい小さく笑った。
「あの頃のお前はどうしようもなく貴族のお嬢様っぽかったからな」
「そういうあなたも露骨に嫌がっていましたわ」
フロックスの地方領主ミルーカ家の息女カルアは、その裸身を男へと絡ませる。バドは一瞬戸惑いを見せるが、その細い肩を抱いて自分のほうへと引き寄せた。今この森には人間は二人しかいない、その状況に身を任せるかのように二人は愛し合っていた。
貴族の息女と流浪の傭兵、通常ならば結ばれるどころか安易に言葉を交わすことすら許されない関係である。しかし今のカルアの身分はミルーカ領属領、通称『忘却の森』の主である。その主が自らの伴侶に相応しいと判断した男と共に暮らし愛し合ったとして、特段問題ではなかった。これがアキレアなどの凝り固まった貴族社会の国であればどこからか必ず横槍が入りそうなものだが、ミルーカ家は獣国フロックスの忠実な臣下であることが幸いした。
実力主義が大前提のフロックスにおいて、フェンリルからカルアを護るためにたった一人立ち向かったバドの功績は大きく評価されていた。結果的に神獣チャチャによりフェンリルは追い払われたが、それでもバドの功績は決して小さなものではなかった。もしバドが時間を稼がなければ、チャチャが間に合わなかった可能性が大きいからだ。
それだけの強さを持ち、カルアとも相思相愛となれば二人の間に障害は無くなった。この場所はもはやカルアの治める領地となり、それは正式にフロックス、アキレア両国に知らされた。領民も臣下もいないが、カルアはれっきとした領地持ちの貴族になったのだ。当面の間はミルーカの姓を名乗るだろうが、いずれ自身の家名を持つことになる。
「今じゃ本当に貴族の当主になっちまったからなぁ……こんなことしちまって大丈夫なのか、俺?」
「心配ありませんわ、私にとってあなたはとても大切な男性なのですから。フロックスの女は一途ですのよ?」
「当面は……開墾と環境づくりだろうな」
「ええ、まずはこの森をチャチャ様に相応しいものにしないといけませんわ。そして……誰も立ち入らないように厳重に管理する場所にしないと……」
カルアがこの場所を選んだのは、決してアキレアに対しての牽制だけではない。アキレア、フロックス両国に対しての牽制である。この森のダンジョンを通ってチャチャが現れたのなら、その逆も可能と考えるのが常である。そしてチャチャの住む世界では、とても貴重な品々が当たり前のように存在しているのをカルアは自らの目で見た。もしその情報が洩れて、こちらからお宝目当ての連中が入り込んでしまったら、きっとチャチャの逆鱗に触れてしまうだろう。もし本当にそうなったとしても、佐倉家の庇護を得られない者たちが辿る運命は最悪のものでしかないが、そこまで知らないカルアは本気で心配していた。
「あのイタチのような獣を入手しようとする輩が出ないとも限りませんわ」
「あいつは厄介だったな。あんなのが当たり前のようにいる世界なんざ、危険すぎて誰も行かねぇと思うんだが」
「バド、あなたは質の悪い貴族のことを知らないからそう言えるんですわ。ギルドでも面倒な依頼があったでしょうに」
「……俺は文字が読めねえからいつも依頼の選択はお前に任せてたじゃねえか」
「あら、そうでしたかしら? まあいいですわ、ギルドの依頼には依頼人が貴族らしいものもありました。巧妙に依頼人の名を誤魔化していましたが、明らかに無謀な依頼のいくつかは貴族が出したものでした」
「マジかよ……」
一般的な国では貴族は冒険者のことを蔑んでいる。金さえ積めばどんなことでもやる卑しい存在と考えて冒険者ギルドに危険な依頼や犯罪まがいの依頼を出すことも多く、さらには完全に違法な仕事を裏で直接持ちかけたりしている。イタチのような獣が闊歩するような場所に好んで行きたい者などいるとは思えず、相当な命知らずか、追い詰められてその仕事を受けるしかなくなった者くらいしかいないはずだが、そういった連中が入り込むのは避けなければならなかった。
もしこのゲートのことが公になれば、必ず争奪戦が起きる。そのためにカルアはここを領地として求めたのだ。そしてフラムがチャチャを使って脅しをかけたことも有利に働いた。カルアはここにチャチャを祀るためのものを作ろうと考えている。それが完成すれば、神獣崇拝の強いフロックスにおいては不可侵の場となるだろう。だがまずはそのための礎づくりである。そのためにこうしてバドと二人でここに来ているのだ。
「道らしい道もなく、あるのは獣道程度。入り込むには難しいでしょうけれど、出没する魔物があまり強くないのが問題ですわ」
「ある程度の強さがあれば入り込むことはできるだろうが……そのために俺たちがいるんだろ?」
「ええ、そうですわ。何か手立てを考えるとしても、それまでの間放置していいはずがありませんもの」
「……そうだな」
バドはカルアの衣類と共に置いてある剣に目を向ける。およそ街の鍛冶職人が仕上げたとは思えない精緻な拵え、魔力の増幅と剣の強度はバドが知るいかな高名な鍛冶師でも及ばない素晴らしいものだった。聞けばカルアは神獣の住む『巨人の国』で元の自分の剣を改良してもらったそうだが、生まれが鬼人族の鍛冶職人の家だったバドにとっては改良という生易しいレベルではなかった。剣が新たな力を得て生まれ変わったと言われたほうがまだ信じられるほどに、その剣は素晴らしいものだったのだ。一歩間違えば国宝として国に奪われてしまうくらいに。
「あの剣を簡単に作っちまうような国だ、だからこそ……誰も通すわけにはいかねえな」
「ええ」
バドの腕に抱き着くカルアの手に力が入る。ミルキアの街の住人たちはチャチャの姿を見ているので、反抗ととられかねない行動は起こさないだろうが、それ以外の人間がどう動くかなど全くの未知数である。この場所が他の誰かの手に渡るということは、間違いなく大きな争いに繋がっていく。そして争いの場になるのは、おそらくかなり高い確率でここから最も近いミルーカ領である。一部の権力者が富を得るためだけの争いに民衆が巻き込まれるなど、カルアにとってはとても許せるものではない。掴まれた腕の痛みにカルアの心境を察したバドは無言でカルアを抱き寄せる。カルアも半ば強引ともいえるその行為に抗うことなくバドの胸の中へと身を滑らせた。
こうして二人の過酷ではあるが幸せに満ちた生活は続いた。だが二人はまだ知らない。この森に向かって何かが近づきつつあることを……
次話より新章です。
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