7.もち
年の瀬も押し詰まったよく晴れた日、庭に出された臼と杵。数日前からよく洗って天日干ししておいたおかげで、一年ぶりに使うはずなのに黴臭さなんてどこにもない。庭の中央に鎮座した臼を前に待機してるのはアタシとお兄ちゃん、タケちゃんは少し遠巻きに心配そうな顔をしてる。
「初美ちゃん、危ないよ」
「大丈夫よ、こういうのは息が合ったほうがいいんだから」
そんなタケちゃんの横では簡易的な竈の上で蒸篭が激しく蒸気を噴き上げる。何をしてるのかって? そう、年末ならではの行事、餅つきだ。お父さんとお母さんが死んでから、しばらく餅を食べられなかった。というのは両親が絶妙のコンビネーションで搗きあげた餅は市販のどの餅よりも美味しくて、ほかの餅を食べる気がしなかったから。先祖代々うちに伝わる臼と杵でついた餅、ようやく今年はそれを味わえる。
どうして今年からなのかって? それは……アタシが実家に帰らなかったから。いくらお兄ちゃんでも一人で餅つきはできないし、家庭用餅つき機じゃ絶対にあの味は出ない。もう味わえないかと思ってたけど、こうして兄妹が揃ったんだから、両親の味には敵わないかもしれないけど、それでも近い味は出せると思うんだ。
当然だけど杵で搗くのはお兄ちゃん、アタシは返す役目。タイミングを間違えれば杵の直撃を受けるし、かといって返しが遅かったりタイミングがまちまちだと搗きあがりにムラが出ちゃう。絹のように滑らかな口当たりと強い粘りとコシ、そしてもち米の持つ甘味はどんな食べ方にも合うに決まってる。
「そろそろ蒸しあがるんじゃないか?」
「もち米も新米でしょ?」
「ああ、渡邊さんに分けてもらった。今年も出来が良かったって言ってたぞ」
「本当? 出来上がるのが楽しみ」
渡邊さんのところのもち米は完全無農薬のもの、そして両親が搗いた餅はいつも渡邊さんのもち米だった。あの味には追いつかないかもしれないけど、それでも市販のものより美味しいはず。そしてアタシとお兄ちゃんは両親が餅つきするところを毎年見てたんだ、タイミングや力の入れ方は覚えてる。
「本当に大丈夫? 代ろうか?」
「だってタケちゃん餅つきを間近で見たことないんでしょ? そんな人に返しは任せられないよ」
よくテレビで見て簡単そうだって考える人がいるけど、そういう人にはやってみてもらいたい。水で濡らした手で熱い餅を返して、さらには米粒が残った場所を臼と杵のスイートスポットに当たるように調整する。それを一定のリズムで振るわれる杵の一打一打の間にこなさなきゃいけない。さらに搗くスピードが遅ければ餅が冷えて固まっちゃう、時間との勝負っていうのもある。
アタシが中学生になった頃、お兄ちゃんとアタシも餅つきをやらされた。初めの頃は何度も失敗して怒られたけど、そのおかげでどうしたら美味しい餅が搗きあがるかは身体が覚えてる。安心してよタケちゃん、最高に美味しい餅を食べさせてあげるから。黄粉はもちろん納豆に大根おろしに粒あん、漉し餡、そして磯辺、搗き立てを味わう準備はもうできてる。
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「せーの」
「よいしょ」
「せーの」
「よいしょ」
お兄ちゃんとアタシは交互に掛け声をかけて、それと同じリズムで杵が餅を搗く音が響く。立ち上る餅のほのかに甘い香りが返す手の熱さすら忘れさせてくれる。ほぼほぼ十年ぶりくらいだけど、染みついた動きっていうのは忘れないもんだね。今考えれば、お父さんもお母さんもいずれ先立つことを前提で教えようとしてくれてたのかもしれない。だってアタシにとって我が家の餅はおふくろの味じゃなくて家族の味のようなものだから。
「ソウイチさん、がんばって」
「ソウイチ!やれー!」
「そこはアタシにも声援送ってよ!」
シェリーちゃんとフラムちゃんの声援がお兄ちゃんに集中するのはわかっていたこととはいえちょっと悲しい。そりゃ婚約者だから応援するのは当然だろうけどさ……
「ワンッ!」
「茶々、応援してくれるのは嬉しいけど、毛が入るから離れてて」
「クーン……」
茶々が悲しそうに吠える。アタシのことを考えて応援してくれたんだろうけど、茶々の毛が餅に入るのはよろしくないからここは厳しくするよ。とぼとぼとシェリーちゃんたちのところに戻っていく後ろ姿が可哀そうだけど、こればかりは仕方ないね。
兄妹ならではの連携で、リズムに合わせて餅を搗く。所々に残ってる米粒を潰すように、水で濡らした手で餅玉の位置を変えると、お兄ちゃんが杵を打ち付ける。次第にざらざらだった表面が滑らかな絹布のようになっていくと、ようやく折り返し地点だ。中に残ってる米粒を見逃さないように、柔らかい餅を捏ねるようにしながら返していく。熱いけど美味しい餅を食べるためだから我慢だね。
「そろそろいいんじゃないか?」
「……うん、そうだね」
「じゃあお供え用と保存用のだけ取り分けておこう」
お兄ちゃんはそう言うとビニール手袋をはめて大きな餅玉を半分にちぎって、さらにそれを二つに分ける。一つはお供え用にと餅取り粉が撒いてあるビニールシートの上に、もう半分は切り餅用の袋に入れる。切り餅用はこうして早いうちに餅袋に入れないと綺麗な伸し餅にならないからね。余計な雑菌が繁殖する前にビニールで密着させるのがカビを生えさせないコツでもあるんだよ。
「ソウイチさん、それは何をしてるんですか?」
「そんなに大きなモチを誰が食べる?」
「これは年神様の分だよ」
お兄ちゃんが手早く餅取り粉をまぶしながら鏡餅を作ってる。うちじゃ鏡餅は家長が作るものって決まってるから、アタシは別の準備に入る。別のって? それはもちろん……食べる準備! 搗きたての柔らかい餅の味を楽しむには、手早くしないといけないからね。
「タケちゃん、手伝って!」
「う、うん……」
タケちゃんはどうしていいのかわからない様子だから、アタシが手本を見せる。といっても水で濡らした手で餅をちぎって用意した絡めだれに放り込むだけなんだけど。手早く手早く、それだけを考えて一口大にちぎった餅を放り込んでいく。そしてもちろん忘れちゃいけないのは、アタシの小指の爪くらいに小さくちぎった餅、そう、シェリーちゃんたち用の餅。茶々も欲しそうにしてるけど、喉に詰まらせたらいけないからお預けだよ。
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「「「「「 いただきます 」」」」」
「ワン!」
暖かい縁側で皆で並んで餅を食べる。シェリーちゃんとフラムちゃんは初めて食べる餅に興味津々だったけど、あんこ餅を一口食べてからはもう夢中になってた。あんこ餅は食事というよりお菓子みたいな感じだし、甘いものが好きな二人には堪らないみたい。他のおろし餅や黄粉餅、納豆餅はいまいちだったみたいだけどね。茶々も一緒になってあんこ食べてるけど、本当にあんこ好きね、あんたは。
「フラム、この甘いおもち美味しいわね」
「シェリー、餅を侮ってはいけない。餅は毎年死者を出す恐ろしい食べ物。この美味しさの裏には死神の手招きする姿が垣間見える」
「え? どうしよう、私もう三つも食べちゃったんだけど……」
うーん、フラムちゃんの言ってることは間違いない。でもそれは高齢者が喉に詰まらせることが多いだけで、二人はきっと大丈夫だよ? ていうかフラムちゃんのあの顔、絶対確信犯だよね? 知ってて言ってるよね?
「心配ないぞシェリー、喉に詰まらせると危険だっていうだけだ」
「フラム! 嘘つかないでよ!」
「シェリーの食欲だと詰まらせる可能性が高いから言っただけ」
「ひどい! そんなことないですよね、ソウイチさん?」
和気藹々とした空気が流れる。この家でこんなに穏やかな気持ちでいられるなんて思わなかったな、だってお兄ちゃんが両親を説得してくれてようやく家を出たけど、高校最後の夏休みなんて親と言葉も交わさなかったし。それでも毎年餅を送ってきてくれた親の優しさを今になってようやく実感する。
「初美ちゃん、大丈夫?」
「……大丈夫、ちょっと昔を思い出してただけだから」
タケちゃんがアタシの様子を見て声をかけてくれる。こうして機微を感じ取ってくれる人がいる、それはとても幸せなことだと思う。
「初美、食べてるか?」
「ハツミさん、あんこ美味しいですよ?」
「ハツミはもう少し食べてこの餅のように柔らかい武器を持つべき、でないとタケシが不憫」
お兄ちゃんが心配してくれて、シェリーちゃんとフラムちゃんがちょっと明後日の方向の言葉をかけてくれる。こんなのは一人暮らししてた時には考えられなかったよ、だって仕事場じゃ皆自分の仕事で手一杯だし、社長がダメだったせいで会社のことも考えなきゃいけなかったし、誰もが余裕なんてなかった。今のこの暮らしが夢みたい。
でも夢じゃない、現実なんだ。とても儚い現実で、周りからの攻撃で簡単に壊れる脆い現実。だから何としても護らなきゃいけない、アタシに充実した時間を手に入れるきっかけをくれた小さな二人の家族を何としても護らなきゃ……
それからフラムちゃん、武器を持ってないのは自分も同じだってわかってるよね?
読んでいただいてありがとうございます。




