神域
閑話です
獣国フロックス、ミルーカ領随一の街ミルキアの中心部に建てられた屋敷、領主であるミルキア家の一室に複数の獣人が集まっていた。大きなテーブルを囲むように座るのはミルーカ家の面々、上座に座るのは当代当主であるカルアの父、そして母、兄二人と並び、さらには親戚筋の者も席についていた。そして当主とちょうど正面になる席に座っているのはカルアだった。テーブルには炎の装飾の入った鞘に収められた剣が置かれている。
「カルアは神獣様に認められた、そしてこの街は神獣様の加護を賜った」
当主の言葉にざわつく室内。その声は主に親戚筋の者たちから上がり、一方当主も母も兄も口を開かずにその様子を見ていた。その声ははっきりとした喜びの感情が入ったものであり、神獣という存在を重要視するフロックスにおいては当然の反応であった。そして誰もが当主の次なる言葉を待っていると、カルアの父は静かに口を開いた。
「そこにある剣が神獣様より賜った剣だ。その剣は今後カルアの持ち物となる」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! そんな大事なものをカルアに渡すだと? こんな放蕩娘が持っていていいものじゃない!」
「そうだ! もっと相応しい者がいるだろう!」
当主の言葉に反論する声が上がる。放蕩娘というのは武者修行として冒険者をしていたカルアのことを揶揄した言い方ではあるが、その呼び方をするのはわずか数人だった。ほとんどの者がカルアの金級冒険者としての実力を評価しており、先だってのアキレアとの小さな衝突においても小規模ながら軍を率いるという課題をこなしたカルアの評価はミルーカでは決して低いものではなかった。では一体誰がカルアがこの剣を持つことを反対しているのか?
「カルアは神獣様から直々にその剣を賜ったのだ、そして我々もその場にいた。カルア以外の者が持つことは神獣様の御心に背くことになる」
「我々はそんなものは見ていない! いくらでも話を作り上げることはできるだろう!」
「神獣様の匂いを嗅いで失神したのはお前たちではなかったか?」
「う……」
神獣の出現という事態に急遽招集されたミルーカ家の重鎮たち、しかし茶々のことを見ていない者たちは神獣出現の事実を認めようとしなかった。ならばとばかりに茶々が施したマーキングの匂いを嗅いでもらうと、彼らは皆失神してしまったのである。茶々の残滓は彼らにとって想像もできない強者だったのだ。
「神獣様ははっきりとカルアに加護を与えたと仰った、我々がそれを違えることはできん。これは貴兄らに対しての相談や協議ではなく、当主としての命令だ」
「くっ……わかりました……」
異論を唱えた者たちが当主の冷静な一言に押し黙る。彼らは親戚筋ではあるが、フロックスのしきたりによって領主となることが許されなかった者たち、すなわち当代当主に実力が及ばなかった者たちだ。彼らはミルーカ領内の別の街や村を統治しているが、ミルキアほど栄えてはいなかった。それゆえに神獣より賜った剣を手に入れてどうにか優位に立とうとしていたのだが、当主の一喝に尻尾をまく姿はどう見ても負け犬のそれだった。いくら親戚筋とはいえ、その程度の者に大事な剣を任せることなどできるはずもない。
「ではこの話題はここまでとする。次に先日のアキレアとの争いについてだが、正式にアキレアから和議の打診が来た。今回は一方的にアキレアが攻め込んできたということで一部領地の譲渡が主となるようだ」
「おお、どのような領地ですかな?」
「我が街では農地が不足している、ぜひ私のところに」
領地が得られると聞いてやはり口々に好き勝手なことを言い出す親戚筋。あの時の戦いを率いたのはカルアであり、本来ならばカルアにその選択権があるのだが、やはりというべきかカルアのことは蔑ろにされていた。これが地方の小領主の実態であり、限界でもあるということを知っている当主は小さくため息を吐く。できれば余計な口出しはしないでほしいという心情が顔に現れているかのようだ。
「お父様、よろしいでしょうか?」
突然カルアが発言を求めた。この中では最も年若いカルアではあるが、小競り合い程度ではあるがアキレアの兵を退けたことと神獣の加護を得たこと、フェンリルの本性を暴いたことで一目置かれる存在になりつつあった。親戚筋はそれを恐れて加護の証である剣を取り上げようとしたのだ。
「私は『忘却の森』を欲しいです」
「……んな場所を得てどうする?」
「あの森はアキレアと我が国との間にあります、アキレアに睨みをきかせるには都合の良い場所かと」
「……わかった、そのように伝えておく」
「あんな場所を貰って何になる! 既に採りつくされたダンジョンがあるだけの不毛の地だ! 開墾にも手間がかかるじゃないか!」
再び異を唱える声が噴出するが、当主はカルアの真剣な眼差しに何かを感じ取ったのか、声を荒げる親戚筋を静かに制した。
「では貴兄らがアキレアとの戦争になった場合先陣を切るのだな?」
「え……いえ、それは……」
カルアがそこを欲した理由はアキレアに対する防波堤となるため、誰もがそう思った。事実アキレアが攻めてきたことなどここ数十年は記録に無く、それはすなわち今後のための前例を作ったことに他ならない。一度起こってしまった以上、二度目三度目があると考えるのが普通である。しかしそこまで考えが及ばなかったのか、声を荒げる者たちは一気に静まった。
「カルア、本当にあの場所でいいのか? 何もない場所だぞ?」
「構いません」
強い口調で言い切るカルアに最早誰も反論する者はいなかった。そもそもこの場はカルアに対する論功行賞の場であり、元の流れに戻っただけではあったが。
「カルア、どうするんだよ、あんな森を貰って」
「バド、あの森には何があるか知ってますわよね?」
「そりゃもちろん、あのダンジョンが……」
目的の場所まで二人で連れ立って進むバドは、そこまで言いかけてカルアが何を考えているかようやく気付く。忘却の森とはあのダンジョンのある森だ。その呼び方はかなり古い呼称で、歴史のあるフロックスでも知る者の少ない森である。といっても秘境にある訳でもなく、はるか大昔にダンジョンはほとんど採りつくされており、忘れ去られてしまっただけのことである。かなり昔には宝があったとされていたらしいが、今は無残にも見る影もない。カルアたちがここを攻略しようとしたときは、その事実を知らずに新しいダンジョンだと思っていた。
「おい、もしかして……」
「ええ、このダンジョンを通ってチャチャ様がいらっしゃいました。シェリーとフラムも。ここを厳重に管理すれば、万が一にも彼女たちに迷惑をかけることはなくなりますわ」
「そう……だな。助けられた俺たちが出来ることといったらそのくらいか」
カルアが持ち帰った品々はどれも貴重品ばかりで、カルア本人もそれを公にできずにいた。砂糖などの甘味やスパイス類だけでも売り捌けば数年は働かなくても済むくらいの価値があったのだ。故に広くそれが知られれば誰もがここを通りたいと思うのは必至だ。友好的な者だけであれば良いが、不届き者が現れる可能性はある。ならばここを自分が管理してしまおうというのだ。
シェリーとフラムの話ではここのドラゴンは既に退治されているらしく、となれば危険性は低い。街での暮らしに比べれば厳しいものになるが、二人とも冒険者だったので多少のことは平気だ。それに何より、こうして二人で暮らせることは何より嬉しかった。そのきっかけを作ってくれたシェリーとフラム、そして茶々のためならこの森で暮らすことなど大したことではないのだ。
「バド、これからよろしくお願いしますね」
「ああ、こちらこそな、カルア」
こんな森に移り住むことは放逐とも追放ともとられるかもしれないが、ここではカルアの思い通りの生活ができる。バドと一緒になることもまた然りで、カルアの父はそれを見越して許可をしたのだろう。そして茶々がここから現れたことも察しているだろうが、現状茶々の恩恵を受けられるのはカルアだけだ。カルアしかいないのであれば、カルアに任せるのが妥当ということだろう。
そしてこの森はフロックスの住人達にとって、神獣の住まう「神域」と呼ばれることになる。しかしそれはずっとずっと後の話ではあるが……
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