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巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者  作者: 黒六
狡猾な襲撃者
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9.偽りの元気

少々長いです。

「ふんふんふふーん♪」


 腰につけたポーチから大振りの、といっても俺たちから見れば親指の爪ほどしかないナイフを取り出して上機嫌なシェリーは鼻歌まじりでイタチの死骸をくまなく見て回る。


「これだけ大きければ牙と爪もいい値段がつきますね。毛皮は……こんな上質な毛皮、王族でも手に入るかどうか……」


 嬉しそうなシェリーを見つめる俺たち。あまりにも嬉しそうなのでどう声をかけたものかと悩んでいた。流石に庭先でイタチを捌くわけにもいかないので、家の裏手にある洗い場に移動した。ここなら血が出ても洗い流せる。


「……お兄ちゃん、どうするの?」

「……本人がやりたいって言うんだから仕方ないだろ」


 まさかイタチをバラすなんて想像もしていなかった。だが考えてみればイタチはかつて毛皮が採取されていたこともある。毛皮のコートで有名なミンクもイタチの仲間だしな。


「ミンクの同類だと思えばいいんじゃねえか?」

「……ごめん、ちょっと無理。アタシグロ耐性無いから」


 イタチの腹に躊躇いなくナイフを突き立て、鮮やかな手際で捌いてゆくシェリーの様子を見ていた初美が顔色を青白くさせ、口元を押さえて部屋へと戻ってゆく。俺は小さい頃から親父と一緒に鶏を絞めたこともあるので何とか見ていられるが、初美はこういう場面は初めてなので仕方ない。俺だってイタチを捌いたことはない。一度猟友会の知人から肉を分けてもらったことはあるが。


「ハラワタを出して……あとは脂身に沿ってナイフを入れて……」

「シェリー、はらわたはこっちに……やっぱりこいつだったか」


 シェリーに手を貸すように内臓を引っ張り出し、カッターナイフで胃を開いてみればほぼほぼ消化された状態の何かがある。細かく噛み砕かれてはいるが、明らかに鶏の骨だ。こいつが渡邊さんのところを襲ったイタチだろうが、茶々の縄張りを侵してまで入り込む理由は何だろうか。たかだかイタチ一匹、次郎が出張るほどのことなのか? それともこれは全くの別物で、次郎には他の思惑があったということか?


「ふう。皮剥ぎは終わりました」

「よし、洗って陰干ししておこう」

「はい」


 考えに耽っていたら、いつのまにかシェリーが皮剥ぎを終えており、そこにはイタチの毛皮と内臓と骨と肉が分けて置かれていた。洗い場の蛇口を捻って勢いよく水を流し、イタチの皮についた余計な血と脂を中性洗剤で洗い流す。この後陰干しで軽く水気を切ったらなめしに入る訳だが、なめし剤がないのでとりあえずそこまでだ。といってもなめし剤は結構簡単に手に入る。その正体はミョウバンと食塩の混合水溶液で、ミョウバンは漬物の発色を良くするために市販されてる。なめしを行うことで毛皮に防腐処理が為されるが、親父に教えてもらった知識があるだけで、実際にやったことはない。


「こんな大きな魔獣の解体は久しぶりでした。いつもだったらギルドに依頼するんですけどね」

「手際よかったぞ」


 血と脂で汚れた手を石鹸で洗いながら満足気に言うシェリー。決してお世辞じゃなく、その手際は見事だった。もし俺が捌いたのなら、こんなにきれいに皮を剥げない。やはり経験者ということだろう。最初は蛇口から勢いよく出る水や液体石鹸に驚いていたが、今はもう慣れたようだ。


「ソウイチさん、今夜はご馳走ですね?」

「え? 何故?」

「何言ってるんですか! こんなに大きな獲物、私の国じゃみんなで宴になりますよ!」


 いきなり何を言い出すのかと思ったが、なるほどそういうことか。冒険者というものが何を生業にしているのかは知らないが、もし猟師のような生活をしているのならこれだけの獲物を仕留めたら大騒ぎになるだろう。でもな、シェリー。俺はイタチの肉にはいい思い出が無いんだよ。


「……喜んでるところ悪いんだけどな、イタチの肉は食えないんだよ」

「え……」


 イタチの肉を以前おすそ分けで貰った時、その匂いのキツさは耐えがたいものだった。ニンニクにショウガやネギはもちろんのこと、セージやマジョラム、ナツメグなどの香りの強いハーブまで使った。それでも臭みが消えずに、トドメとばかりにカレーにぶち込んで煮込んでみたが、カレーのスパイスの香りをも凌駕する獣臭に食べるのを断念した。殺した命を戴くのが猟師ではあるが、流石にこれは無理だった。後で持ってきた知人を問い詰めたところ、匂いがキツいから食べたくなかったので持ってきたとのことだった。


「臭みが強くてな、もう二度と食いたくない。たぶん茶々も食べないと思うぞ」

「そ、そんな……」


 がっくりと肩を落として落胆するシェリー。そんな姿も可愛らしいと思えてしまうのはちょっと失礼かもしれないが、あれはとても食えた代物じゃなかったので諦めてほしい。


「ま、毛皮がほぼ無傷で手に入ったのは良かったけどな」

「はい……」


 主だった傷は茶々の噛み傷のみ、それも確実に首の骨を狙って噛み砕いているので余計な噛み傷はない。シェリーの解体の腕も相まって上質の毛皮が取れた。俺の言葉は決して慰めではなく本心からだったが、シェリーは相変わらず落ち込んだままだった。だがその落ち込み方に、若干の違和感のようなものを感じた。



**********



 結局その日はシェリーのことを考慮して外出を控え、初美と共に色々と話を聞いていた。主に初美のほうがそれを聞いて納得したり、意気投合したりしていたが。そしてその日の食卓にイタチ肉が並ぶことはなく、シェリーと初美による女の子らしい会話という普段の我が家では絶対にありえない光景が夕餉の団欒を彩っていた。とても楽しそうな光景に、昼間感じた違和感は俺の思い過ごしだったのだろう。


 深夜トイレに起きた俺は微かに聞こえる声を耳にする。か細く、悲し気で、何かを押し殺すような声は居間から聞こえてきた。そっと室内を覗き込むと、豆球の灯りの下で困惑したように歩き回る茶々と目が合った。だが茶々は俺の下に来ることはなく、しきりに首である方向を指し示していた。示す先は……シェリーのために用意したドールハウス。


「うう……ぐす……」


 そっと覗いてみれば、小さなベッドの上で折れた剣を前に座りこんで泣くシェリーの姿がある。その様子はまるで怯えた子供のようで……そして昼間から感じていた違和感の正体が見えたような気がした。もし俺がこんな状態だったらどうする? 過去に似たような状況は無かったか? 孤独と恐怖に苦しんでいた時、俺がどうやって救われた?


 ある答えに行き着くと、静かに縁側に行き雨戸を開ける。周囲に灯りがないせいか、天頂から差し込む月明りはとても明るく、しかし眩しさのない柔らかな光を振りまく。突然の状況の変化に、泣き腫らした目をそのままにシェリーが顔を出す。


「……シェリー、ちょっといいか?」

「……」


 何かを察したのか、シェリーは黙って頷くと折れた剣を持ってゆっくりと縁側へとやってきた。隣に座るように促すと、若干躊躇った後に静かに腰を下ろす。冒険者としての装備品が小さく音を立てると、その音に反応して茶々がシェリーをガードするように傍へ座る。しばらくそのまま座っていた俺たちだったが、やがてシェリーが口を開く。


「……私、弱いですね。どうしようもないくらい」


 だがそこで相槌は打たない。ただ黙って聞いている。


「……これでも私、冒険者としてそれなりに名前も知れ始めたんですけどね……でも全然ダメでした」


 シェリーの独白が続く。


「剣も折れて、魔法も避けられて、今までそんな敵に遭ったことがありませんでした。同じくらいの大きさの魔獣とも戦ったことはありますけど、こんなに圧倒的だったことはなかったんです。そしてあの魔獣の勝ち誇った顔を見た時、知ったんです。いいえ、ずっと見ないふりをしていただけなのかもしれません」


 シェリーは優しく照らす月を見上げる。その瞳から大粒の涙が零れる。


「この国……いいえ、この世界は私のような者にはとても厳しい世界です。ずっとどこか遠く離れた国なんだと自分に言い聞かせてたのかもしれません。自分自身で納得したつもりでも、心の奥底では受け入れられていなかったんだと思います。自分でもなんとか生きていける、そう信じたかったのかもしれません」


 未だ冷たさの残る夜風が俺たちを撫でてゆく。僅かに寒そうな顔をしたシェリーを思ってなのか、茶々がシェリーに寄り添う。柔らかなオレンジの獣毛をそっと撫でると、シェリーは再び口を開く。


「元の世界といつ繋がるかはわかりませんけど……その時まで私を助けてもらえませんか? 私の出来ることなら何でもしますから……もしお望みなら夜伽だってしますから……だから……お願いします……助けてください……お願いします……」


 もう最後のほうは嗚咽まじりで聞き取るのが精いっぱいだった。きっとシェリーは俺たちが平然と暮らしているのを見て、ここは絶対安全だと考えていたのだろう。何かあっても自分の力で対処できると。だが現実はイタチ一匹に全く歯が立たなかった。剣も魔法も通じないという事態はシェリーの心を折るに足り得る衝撃だったに違いない。


 俺の感じた違和感は、シェリーが自分の心が折れかけていることを知られたくなくて虚勢を張ったことによるものだと思う。弱みを見せれば何をされるかわからないという恐怖から逃れるための、精一杯の空元気。あまりにも痛々しいその姿に思わずかける言葉を失ってしまう。


「そ、そんなこと……」

「そんなことするはずないでしょう!」


 ようやく言葉を選び終え、そろそろ声をかけようと思って口を開けば、思いっきり被ってきたのは初美の怒声。目の下の隈が酷いので、きっと今まで起きていたんだろう。一体何をしていたのかは大方予想出来る。間違いなくシェリーのための夜更かしだと思うので追求する気は全くない。


「シェリーちゃんはまだこの世界のこと何も知らない。こっちに来てまだ一日ちょっと、その程度で何がわかるの? そりゃ私たちが心から信用されてないのは辛いけど、だからっていきなり遭った人を完全に信用しろなんて言わない。だけどさ、伝えてくれなきゃわからないよ? 怖いなら怖いって教えてよ、もっといろんなこと教えてよ、助けてほしいなら助けてって言ってよ、少なくともアタシもお兄ちゃんも茶々も、シェリーちゃんを利用しようなんて思ってない。出来ることなら無事に元の世界に帰ってほしいと思ってる。それにさ、シェリーちゃんは弱いって思ってるけど、シェリーちゃんより大きな鶏はもっと簡単にイタチにやられてる。あれだけやり合えたのは凄いことなんだよ?」


 確かに初美の言う通り、腹を空かせたイタチの攻撃を凌いだ手腕は評価に値すると思う。シェリーの身体のサイズは鶏のヒヨコよりやや大きい程度、イタチから見れば襲いやすい手頃な獲物にしか見えないだろう。しかしそこは野生動物、嬲るといった余裕を持った考えなど持たない。自分が生き延びるために、獲れる獲物は確実に仕留めにかかる。たらればの話をするべきじゃないとは思うが、もし剣が折れなければ、魔法が当たっていれば、イタチの動きを事前に理解していれば、勝つまでは至らずも追い払うくらいは出来たと思う。


「だからね、もっと胸を張っていいの。もしシェリーちゃんがそんなことを本当に望んでいるならそれもいいけど、前向きに頑張るのならアタシはどんなことがあっても応援するからね」

「ハツミさん……」

「それにさ、アタシはシェリーちゃんにこの世界を気に入ってほしいと思ってる。いつか元の世界に帰ったとき、こんないい所があったんだよって自慢してもらいたいと思ってる。命からがら逃げ帰って、もうこんな世界に来たくないなんて思ってほしくない。確かに人間関係は嫌なことも多い世界だけど、少なくともここはそんなものは心配ない。危険なのは動物くらいだけど、それはシェリーちゃんの世界も変わらないんじゃないかな?」

「……はい、魔獣も魔物もいます。力の無い者は簡単に命を落とします」

「……お兄ちゃんはどう思う?」


 突然振られて困ってしまう。正直なところ、全部初美に持っていかれた状態だ。むしろシェリーのいた世界についての理解が深いぶん初美の言葉に強い説得力があるとさえ感じてしまう。俺としては……これ以上思いつくことは無いが……


「なあシェリー、そっちの世界の魔獣?ってのはどんな攻撃をしてくるんだ?」

「え? ……そうですね、そのほとんどは身体に魔力フィールドを張って防御しながら戦います。だから鈍らな武器では攻撃が通りません」


 なるほど、そういう戦い方をしてるのであればイタチにてこずったのは十分理解できるな。そもそも戦い方の前提条件が違うんだから、むしろそれでよくあれだけ持ち堪えたと改めて感心するよ。


「こっちの動物は魔力フィールドなんて持ってない。だから相手の攻撃を見切って避ける。そんな防御があるなら多少の攻撃を無視して攻撃するだろうから、基本的な戦い方から違いすぎるんだよ。決してシェリーが弱い訳じゃない」

「戦い方が違う……」

「ああ、素早く避けることを前提とした相手に対して、攻撃なんぞ多少喰らっても平気に思ってる相手との戦い方をすれば通用しないのも当然だ。いきなり大技をぶつけようなんて思ってたら、避けられ続けて消耗して、動けなくなったところでトドメを刺される。違うか?」

「はい、その通りでした……」

「ならこれからそういう戦い方をすればいいじゃないか。茶々を出来るだけ傍にいさせるから、色々覚えればいい。少なくとも無駄にはならないんじゃないか」

「……はい!」


 そう、それでいいんだ。ここはシェリーがいたような殺伐とした世界じゃない。確かに自然界は厳しい弱肉強食の世界だが、少なくともうちの敷地内は茶々が支配する場所だ。今回のイタチのようなことがそうそうあるとは思えない。


「で、でも……私の剣が……」

「あ、それは任せて。もうじきとってもいいモノが届くはずだから。アタシとお兄ちゃんからの出会いのしるしってとこ」

「またお前は勝手に……」

「シェリーちゃんを丸腰でいさせる気? 大丈夫、アタシの財布で賄えるからさ。さあさあこんな夜中に起きてたらお肌の老化が早まるわよ。シェリーちゃんはアタシの部屋で寝ましょ」

「あ、はい」


 シェリーを右手に乗せ、左手でドールハウスを持って部屋へと戻っていく初美。確かにイタチに襲われた部屋で寝るってのはどうかと今更ながらに思うし、男の俺には話せない内容のこともあるだろう。美味しいところを初美に持っていかれた感が凄いが、シェリーが納得してくれたので良しとしよう。夜伽とか言われても、身体のサイズが違いすぎてどうしたらいいかわからないよ。


 でもうまく収まってよかった。初美が準備しているものがとても気になるんだが、あいつの様子から予想するに決してシェリーの害になるようなものじゃないだろう。それよりも茶々まで一緒についていったことが気になる。これってもしかすると男は一人だから俺孤立するかもしれない……


イタチ肉はとても臭いです。


読んでいただいてありがとうございます。

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