4.親友
「チャチャ、急いで! 嫌な予感がする!」
「ワンッ!」
満月の浮かぶ夜空を疾駆するチャチャに乗りながら急ぐようにお願いすると、チャチャはわかったとばかりに返事をして走る速度を上げてくれた。嫌な予感は存外に当たることのほうが多いのが世界の常、そして私の感じてる嫌な予感はもちろんシェリーのこと。
シェリーだけならイタチから逃げるくらいは何とかできると思う。あの時は奇襲に近いものがあったし、まさかあんな場所まで入り込んでくるなんて誰も思っていなかったから油断してた。でもシェリーは一度イタチと戦ってその狡猾さと俊敏さをよく知ってる。それに私たちで色々と調べたりソウイチに教えてもらったりして事前知識もある。油断さえしなければ倒すまではいかなくても脱出くらいなら私も心配してない。
一番危険なのは、フェンリルと鉢合わせしてしまうこと。カルアの話から割り出したフェンリルの来る日は三日後、本当なら気にすることがないけど……相手は神獣と崇められている強者だ、どう心変わりするかなんて私たちにはわからない。強い力を持つが故に傲慢になるのはいつの時代でもよくあること。そして獣であれば強者が弱者を蹂躙することは必定と考えるだろう。チャチャのように強い力があるけど優しいなんて稀有な存在だから。
もしフェンリルとシェリーが鉢合わせしたら……フェンリルはカルアよりシェリーを狙うはず。シェリーはエルフ、それも精霊の加護を持つ特殊なエルフだ。古来から言われてる俗説で、エルフの血肉を喰らうと魔力が大きく増大するといわれてる。しかも精霊の加護持ちならその効果はもっと高まる、と。そのおかげでエルフは迫害を受け続けてきた。
実際にそんなことがあるかといえば……ない。私はそれを検証するためにシェリーの血を飲んだことがあるけど、魔力に全く変化は見られなかった。親友の血を飲むなんてとても抵抗があったけど、それを証明しなければシェリーはずっと狙われると思ったから、そしてシェリーもそれに同調してくれた。いきなり血を飲ませてなんて言ったから、最初は私がおかしくなったんじゃないかって思ったらしいけど。
色々調べた結果、魔力が増えるというのは大昔に流された悪質なデマだった。エルフも魔族も一般的に見た目が良いことが多い(自慢じゃないよ)ので、人身売買をする者が少なからずいて、そいつらが商品を得るのに流したのが「エルフや魔族の新鮮な血肉を喰らうと魔力が増大する」というもの。新鮮な、というところが重要で、基本的に生け捕りがメインになる。まさか死体を愛でるなんて一部の猟奇的嗜好の持ち主だけだから。
幸いにも私たちが最果ての森に引き籠っている間に人間社会ではそのデマは廃れたけど、フェンリルのような知能ある獣は未だそれを信じているかもしれない。そうなったらシェリーでは対抗できない。強力な精霊を呼び出して力を借りたとしても、契約下では十全の力を出せない。そうなったらシェリーに抗う術がない。私でも一時的に抑えるのが精いっぱいかもしれない。
でも今はチャチャがいる。あのドラゴンの竜核を取り込み、自分の力でゲートを繋げられるくらいに力を得たチャチャならフェンリルとも互角に戦えるはず。チャチャは魔法の使い方を知らないけど、そのハンデがあったとしても私の目算ではチャチャがやや優勢。あくまでも私の、だけど。
しばらくするとミルキアの街を取り囲む石壁が見えてきた。そして私の予想は最悪の形で当たっていた。門の近くの広場で悠然と立っているのは白い体毛を持つ四本足の獣、実物は見たことがないけど、情報通りなら……あれはフェンリル! そしてたった一人で立ち向かい、フェンリルに放り投げられたのは……バド。少し離れたところにカルアに抱きかかえられたシェリーがいた。
放り投げられたバドは動く気配がなく、カルアもシェリーも傷だらけ、所々出血もあった。周囲に散らばってる小石が何があったのかすぐに理解させてくれた。シェリーはまた……存在を否定されたんだ。シェリーがここにいてイタチの姿がないということは、イタチはフェンリルと鉢合わせして負けたんだ。でも……本当の最悪の事態になってなくてよかった。間に合ってよかった、助けに来て本当によかった。
シェリーを傷つけたであろうフェンリル、そしてシェリーを苦しめたであろうミルキアの住人、どちらも許せるものじゃないけど、まずはシェリーの保護が最優先。精霊たちも自分たちが加護を与えた者が死ぬなんて許せないんだろう、私とチャチャの気配を自分たちが騒ぐことで攪乱してくれてる。これなら……声が届く、精霊たちが私の声を届けてくれる。
「シェリー! 助けに来たよ!」
「ワンワンッ!」
声の限りに叫べばチャチャも続いて吠える。そしてシェリーは私たちの声が聞こえたのか、ゆっくりと空を見上げて……私たちのことを見た。はっきりとその目で。所々血が滲み、埃だらけの顔が驚愕の表情になり、やがてその大きな瞳から大粒の涙を零し始めた。
ずっと一緒に暮らしてきた私の親友、ここではない別の世界で、同じ人を好きになり、二人で一緒に幸せになろうと誓った大好きな親友。私は来たよ、一緒に幸せになるって誓いを違えないために。迎えに来たよ、大好きなソウイチのところに一緒に帰るために。だから……そんなに泣かないで。大事な親友を傷つける奴は私がやっつけてあげるから。
『お願い……愛し子を……』
「大丈夫、私に任せて」
精霊たちの声が聞こえる。私は精霊の加護を持っていない、でもそんな私にも聞こえるように、精霊たちがシェリーを助けてと懇願してくる。大丈夫、あなたたちに言われなくても私は助ける。私とチャチャがいればきっと助けられる。助けてソウイチのところに帰って、またいつも通りの暮らしに戻るんだ。
「行くよ、チャチャ!」
「ワンッ!」
私の声にチャチャが準備万端とばかりに吠える。チャチャだって大好きなシェリーを攫われてとても怒ってるんだ、でもそれ以上にシェリーが生きていてくれて嬉しいと思ってる。だって後ろを振り返ればチャチャの尻尾が思い切り振られてるから。
精霊たちの騒ぎに乗じて、フェンリルや街の住人たちに気付かれないようにシェリーに近づく。そしてそれを見たシェリーはようやく涙で濡れた顔を綻ばせた。
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