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巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者  作者: 黒六
炎の守護者
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2.奥義

 バドの掲げた剣から放たれた雷が彼の身体を貫き、これまで見たことがないくらいに筋肉が盛り上がっていきます。それに伴い肌の色が赤黒く変化していきます。鬼人族が大鬼オーガの血を引く種族だということは聞き及んでいますが、あの姿はまさに大鬼そのものではありませんか。


 これまで冒険者として一緒に行動してきましたが、こんなバドの姿は見たことがありません。バドは常に奥の手を必ず用意しろと私に言っていましたが、これが彼の奥の手とでもいうのでしょうか。一体これからどのような戦いが始まるのでしょうか?


「があぁぁっ!」

「は、速い!」


 先手必勝とでも言わんばかりにバドが攻撃を仕掛けますが、いつもの彼の動きではありません。移動速度、踏み込みの強さ、そして剣筋の鋭さ、いずれも私の記憶にないものでした。まさに大鬼の如き咆哮とともに振るわれた大剣がフェンリルを襲います。


『ふっ、なかなかやるではないか』

「があぁっ!」


 フェンリルの油断している隙を狙っての先手だったのでしょうが、フェンリルは油断せずに障壁を張って防ぎます。しかしその防ぎ方は障壁で正面から受け止めるのではなく、まるで盾術の熟練者が使うような、受け流すような障壁を張ってバドの剣撃を流しています。おそらくイタチとの戦いを経てまともに受け止めるのは危険ということを学んでいるのでしょう、フェンリルはイタチのような狡猾な敵を倒すことで、油断というものを極力しないようになってしまったのかもしれません。


 しかしバドはそんなことはお構いなしに猛烈な勢いで大剣を振るっています。どこか特定の箇所を狙っている訳でもなく、フェンリルの存在そのものを叩き潰すかのような攻撃に、次第に受け流していたフェンリルの障壁が少しずつ削り取られていきます。そもそもフェンリルもこのような障壁の使い方を多用したことがないのでしょう、完全に捌ききれなくなっているようです。このままいけば……いずれフェンリルの障壁が無くなり、バドの剣がその身体に届くはずですわ。


 まさに『轟剣』の二つ名に相応しい剣撃の嵐、巻き込まれたもの全てを力任せに斬り潰す破壊の暴風雨に晒されたフェンリルは防戦一方ですが、それでもなお余裕の表情を崩しておりません。バドの攻撃はさらに苛烈になり、障壁もどんどん薄くなっていきますが、それでもです。その余裕の根本には一体何があるというのでしょうか?


「ぐ……があぁっ!」

『どうした? 勢いが弱くなっているぞ?』


 バドの苦しそうな咆哮を聴き、彼に注視するとフェンリルの言葉のとおり、攻撃の勢いが若干弱まっているように見えます。私にもわかるくらいなのですから、フェンリルにとってははっきりとした違いとなっているに違いありません。ですが……どうしていきなり……


「ぐ……が……」

『ふん、それだけの攻撃を長時間放てるはずがなかろう。相手が悪かったと思って諦めよ』

「が……があぁぁっ!」


 先ほどの馬鹿な私を殺してしまいたい、そう思いました。そもそもこれだけの攻撃を常時放てるのであれば、それはもう奥義ではありません。奥義として出すということは、その攻撃が自身に大きな負担がかかるということ。それが長時間になればなるほどバドの身体はダメージを受けるということになります。先ほど攻撃が弱まったのは……もう彼の身体は限界を迎えているということにほかなりません。それでもなお、まさに命を燃やすかのような咆哮をあげたバドは明らかに弱まった攻撃でフェンリルに向かいます。ですが……そんな攻撃がフェンリルに通用するはずがありません。


『そんなにあの小娘が大事と見える……良かろう、楽しませてくれた貴様は褒美に最後に喰らってやる。そこで護るべきものが失われる様を見ているがいい』

「うがあぁっ!」


 もはや障壁で守ることもないと判断したフェンリルは剣を避けるとバドの右腕に噛みつきます。噛みちぎるほど強く噛まないのはフェンリルが手を抜いているからでしょう。もし噛みちぎった勢いでバドが死んでしまえば先ほど発した言葉のとおりに出来なくなってしまいますから。フェンリルはバドを噛むと、首を振って振り回した後に私たちのほうへと放り投げました。


 奥義を放った反動か、バドは全く抵抗することも出来ずにされるがままになっています。そしてまるで襤褸布のように投げ捨てられる彼の身体は既に元の大きさに戻っていました。肌の色からは赤黒さは抜け、筋肉は萎み、覇気が全く感じられません。まだ生きてはいるようですが、決して放置してよい状態ではありません。噛みつかれた右腕は半ば千切れかけ、剣を握ることなど出来るはずがありませんし、早急に治癒魔法を使わないともし命をつないでも片腕を失うことになるでしょう。


「バド! しっかりしてください! 誰か! 彼に治癒魔法を!」


 こんな時に治癒魔法を使えない自分がとても情けなくなります。しかし今は恥も外聞も気にしている場合じゃありません。兵士の中には治癒魔法の使い手もいるはずですので声を大きくして助けを呼びますが、それに応えて出てくる者は誰もおりません。私たち以外の者にとってバドは神獣フェンリルに盾突いた愚か者でしかありません。そんな者を助けようなどと思うはずがないのです。


 彼らにとって私たちはフェンリルへの供物、死ぬことが決まっている生贄です。そんな者に治癒魔法を使うなど無駄だとでも思っているのでしょうか。怒り、悲しみ、他にも様々な感情が私の心に生まれます。彼らにとって領主の娘である私などいてもいなくても良いものなのでしょう。姫と呼んで慕っているのは、私の機嫌をうかがって自分たちの印象を良くしようとしているのかもしれません。そんな者ばかりではないと思ってはいますが、それでも絶望的な状況では悪い感情ばかり生まれてきます。


 まさか自分の領地でこのような最期を迎えるなんて誰が思うでしょうか。私の腕の中ではシェリーが未だぶつぶつと何かを呟いていますが、その目の焦点は全く合っていません。おそらく今自分がどのような状況にあるのかも理解できていないのでしょう。私も彼女のように自分を見失えたらどれだけ良かったことか、この恐怖を理解することなく命を終えることが出来るのですから。


『さあ、覚悟は良いか?』


 フェンリルは最早止める者がいなくなったことを確信し、ゆっくりとこちらに歩みを進めます。開いた口から見える鋭い牙は涎に塗れて月光を反射して怪しく輝きます。涎を垂らしているのはエルフであるシェリーを喰らった時の味を想像して我慢が出来なくなっているのかもしれません。もう私たちに出来ることは……まだ一つだけ残っています。ほんの時間稼ぎにしかならないかもしれませんが、この街とは無関係のシェリーを逃がすことくらいは出来るかもしれません。


 彼女よりも私がフェンリルに喰われ、その隙に……攻撃します。超至近距離であれば障壁の影響を受けませんし、大概の獣の弱点である目を狙うこともできます。目ならば深く攻撃が出来れば差し違えることも夢ではありません。その時には私の身体は噛みちぎられているでしょうが、私の命で勇気ある仲間を救えるのなら……


「……大丈夫」

「え?」


 フェンリルに気づかれぬように剣柄を握る私の手にそっと重なる手、目を落とせばシェリーが私の手を包むように握っていました。しかしその目は私を見てはいません、私ではない何かを見るその目は天空に光る月を見ており、そしてその瞳から大粒の涙が零れだしました。その涙は死を覚悟した者の流す涙とは思えませんでした、何故ならシェリーの顔は涙でくしゃくしゃになりながらも嬉しさでいっぱいのものでしたから。


 フェンリルに喰われることが嬉しいと感じるシェリーではありません。では一体何が彼女をそうさせているのか、恐怖のあまり錯乱し、月が自分を救う救世主だとでも思っているのでしょうか。こんな錯乱状態に陥るまでにしてしまった私は彼女にどう詫びたらいいのでしょうか。この命を使い潰して、ほんの僅かだけでも彼女の命を長らえさせることしか出来ない自分がとても恨めしいです。


「大丈夫……大丈夫……来て……くれた」

「え?」


 シェリーの言葉に違和感を感じて空を見上げます。彼女の言葉には錯乱した者の発した言葉とは思えない強い説得力を感じたのです。こんな場所に一体誰が来てくれるのかという疑問はありますが、彼女の涙が喜びの涙であるのなら……私たちは助かるのかもしれません。


 では一体何者が来たというのでしょうか、シェリーの視線を追うように見上げたのは明るく輝く満月です。しかしそこに私の目にもはっきりと映りました、巨大な月に浮かぶ小さな点が。そしてその点は次第に大きくなっていきました。

読んでいただいてありがとうございます。

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