7.慢心
来た。ついにイタチが現れた。月の光に照らされて夜の闇に浮かび上がるその姿は私を絶体絶命の窮地に追いやったあのイタチと同じだった。あの時のイタチはチャチャさんが倒してくれたから違う個体だと思うけど、それでも異様な雰囲気はあの時と同じ、ううん、きっとぎりぎりまでお腹を空かせてるからもっと強くなってる。
建物の陰に潜んでいたミルーカ家の私兵たちは見たことの無い異形を相手にも怯むことなく、カルアの号令を合図に魔法を放つ。だけどイタチは飛んでくる魔法を大きく飛び退って躱した。やっぱりあの時と同じ、あいつも信じられない身体能力を持ってる。だったら迂闊に飛び込むのは危険すぎる。
「カルア! 迂闊に近づいちゃダメ! 距離をとって牽制しながら戦って!」
「わかりましたわ! 攻撃部隊は近づきすぎないように!」
私の言葉を聞いてカルアは素直に兵士たちをイタチから遠ざけてくれた。私がイタチとかつて相対したことがあるから意見を尊重してくれたんだと思う。事実あの時は私の魔法も当たらず、イタチの爪の攻撃も完全に躱しきれなかった、斥候で身軽さにはそこそこ自信があった私が。でも今はあの時とは違う、あの時はたった一人だったけど、今は違う。それがきっと戦いを良い方向に導いてくれるはず。
「あいつあんな図体でなんてすばしっこい動きしやがる! フェンリルとは違う意味でヤバイ奴だぞ!」
「カルア! あいつは魔力障壁を持ってないわ! 魔法は減衰しないのよ!」
「障壁を……持たない? 魔法兵は三部隊に再編成! 交替で魔法を撃って体力を削りなさい! 障壁を持たないなら直撃しなくても余波でダメージを与えられるはずです!」
私のアドバイスを聞いたカルアは即座に兵士たちに指示を出して、兵士もまた迅速に対応してくれた。そう、あの時は私一人だったから魔法も単発でしか放てなかったけど、今は一緒に戦う人たちがいる。交替で魔法を撃ち続けていればいずれイタチの動きが鈍ってくるはず。その時がチャンスだ。
降り注ぐ魔法を嫌がって避け続けるイタチだけど、流石に全部を躱すことが出来なくて、体のあちこちに小さな焦げ跡が付き始めた。もしこれが魔力障壁を持つ相手ならそうもいかないけど、イタチは魔法の存在しない世界の獣、こうしていけばいずれ力尽くはず。
戦いが始まってどれくらい経ったかしら、イタチの動きは明らかに鈍っていた。体中に魔法による焦げ跡がついて、さっきまで反撃しようと何度も試みていたけど、今は逃げ回るだけ。逃げることに専念したイタチには魔法が当たらなくなってきたけど、さっきまでの勢いは無くなってる。そしてついにイタチは……動きを止めて蹲った。
「今です! 全員直接攻撃に移りなさい! 私に続け!」
「「「 おおおおお! 」」」
明らかな優勢に兵士たちの士気は未だ高く、各々剣や槍、斧を構えてイタチに斬りかかる。先頭を行くカルアはタケシさんに改良してもらった剣に魔力を通すと、剣身が真っ赤な炎に包まれる。カルアの深紅の髪にも匹敵するような赤い炎が月夜に鮮やかに浮かび上がる。
「これでも……喰らいなさい!」
「キイィィッ!」
カルアの放った斬撃がイタチの左足を薙ぐ。斬り落とすまではいかなかったけど、斬った場所に炎が生まれて傷口を焼いていた。イタチが激痛に悲鳴をあげ、その様子を見た兵士たちが声を上げた。これなら勝てる、誰もがそう思った。私だって思った。ただ一人を除いては。
カルアの斬撃は確実にイタチを傷つけている。その重大さはカルアも理解していた。理解してたからこそ、気分が高揚していく。これならいける、これなら勝てる、このままいけば。そんな希望を戦いの場で、しかも魔物のような獣を相手に持つことがどれほど危険かなんて冒険者時代に何度も味わったはずなのに、私たちは優位に思えたこの状況に酔っていた。
それはほんの一瞬のことだったのかもしれない。カルアが勝利を確信して剣筋が大振りになった瞬間、イタチは今までため込んだ力を解放するかのような動きを見せた。そうだ、ソウイチさんが言っていた。巨人の国の獣は傷を負ってからが怖いって。手負いの獣ほど怖いものはないって。そういえばあの時のイノシシも大きな傷を負っていて、ものすごく凶暴になってた。
当たると思っていた剣を躱され、大きく体勢を崩したカルアめがけてイタチの爪が襲い掛かる。今までとは比べ物にならないくらい速く鋭いその一撃を、カルアは躱すことができない。鎧ならあの爪を弾けるかもしれないけど、狙いはカルアの頭。獣の本能が確実にカルアの急所を狙わせる。
この場にいた誰もがカルアの死を覚悟した。カルア本人もそう思っていたと思う。でもこの場でたった一人、戦いが私たちに優位じゃないことを理解してた人がいた。カルアを襲うイタチの爪がその体を引き裂こうとした瞬間、鈍い音が響いた。
「……こういう手合いほど厄介な奴はいねえ、最後まで気を抜くなよ」
「バド!」
自分の身の丈ほどもある巨剣を構えたバドがイタチの爪に打ち勝った。爪を斬り落とすまではいかなかったけど、奇襲を防がれてイタチが大きく飛び退って距離をとる。まだあんなに動けたんだ、もしあのまま全員で向かっていたら、全員あの爪にやられていた……
「獣なんざ止め刺すまでは反撃してくるもんなんだよ、早く体勢を整えろ、指揮官が先陣切るなんざありえねえっての」
「わ、わかりましたわ!」
バドがイタチを牽制するようにカルアの前に立ち、カルアが下がって再び兵士たちの動きを纏める。イタチは自分の奇襲が不発に終わったことを怒っているのか、鋭い牙をむき出しにして私たちを威嚇しはじめた。私が相対した時にはなかったイタチの動き、それは……イタチが私たちを仕留められないことに苛立ってる証拠だ。
「獣相手にゃ勿体ねえが、こいつを思う存分くれてやる。覚悟しやがれ」
巨剣を肩に担ぐようにしながらバドがイタチに向き合う。筋骨隆々の体がさらに筋肉の盛り上がりで大きく見える。いつものバドならカルアの立場を考えて後方支援に徹しているはずなのに、どうしてこんな先陣まで……
そうか、やっぱりカルアを失いたくないんだね。やっぱり好きな人を護る時には信じられないくらいの力を出せるんだね、だってイタチと正面から打ち勝つなんて信じられないもの。でもこのままバドに任せておいていいはずがない。今この時に皆で力を合わせてイタチに勝たなくちゃ。
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