7.悪夢よ醒めて
異形の魔獣はゆっくりと様子を窺っていたかと思った次の瞬間、俊敏な動きでその爪を振るってきた。でもその動きは読めてる、小さく右に身体を動かして躱すと、避け様に剣を振る。狙いは魔獣の左腕、このタイミングなら外さない……はずだった。
「キイッ!」
「……浅い!?」
僅かに風を纏わせることで切れ味を増したはずの私の剣は、魔獣の左腕を浅く切り裂いただけに留まった。ドラゴンのような強固な鱗を持っている訳でもなく、魔力すら纏うことが出来ない魔獣は私を警戒するように再び距離を取った。追撃のチャンスのはずだったけど、私は踏み出すことが出来なかった。その理由は……違和感。
今まであのタイミングで外したことなんて一度も無かった。狼の魔物の上位種ダークウルフの纏う魔力フィールドですら分断できる切れ味の風の付与魔法『ウィンドエッジ』を使った必殺の斬撃、にもかかわらず目の前の魔獣は掠り傷にも等しいダメージ。何かがおかしい、その違和感が私の踏み込みを鈍くする。
何がおかしいの? 剣の切れ味? タイミング? 魔法の強さ? 魔獣の攻撃を避けながら反撃するも私の剣は魔獣の身体に届かない。反撃しながら考えても全く答えが見つからない。それどころか攻撃が鈍ってしまい、魔獣に押し込まれはじめる。
「キキィッ!」
「このっ!」
苦し紛れに放った大振りの一撃も魔獣は大きく飛び退いて躱す。鈍った踏み込みの斬撃はもう魔獣の身体に傷をつけることすら出来ない。魔獣はそれを理解しているのか、私の逃げ道を塞ぐように部屋の入口を背にするように陣取った。きっと私がソウイチさんたちに助けを求めると思っているのかもしれない。
出来ることなら私もそうしたい。きっとソウイチさんならこの魔獣も簡単に倒してくれるだろう。でもそこに辿り着くまでが至難の業だ。走って逃げても追いつかれるのは間違いなく、そうなってしまったらあの爪と牙から逃れる方法は無い。きっとソウイチさんはこの部屋に戻ってくるはず、それまで魔獣の攻撃を凌ぎきることさえできれば……助かる。
そんな私の考えを見抜いたのか魔獣はさらに苛烈な攻撃をしかけてくる。右に左にと私を揺さぶるような爪の攻撃、かと思えば突然立ち上がり、両腕で私を捕らえようと飛び掛かる。付与魔法による牽制のおかげで何とか躱せてるものの、いずれ魔力は尽きてしまう。果たしてソウイチさんが来るのが先か、私の魔力が尽きるのが先か。先に魔力が尽きてしまえば、私は魔獣の餌になってしまう。
そんな焦りがほんの一瞬だけ、私の身体の動きを鈍らせた。剣に流し込む魔力が途切れ、纏わせていた風が消える。しかし魔獣はお構いなしに爪を振るい、私は咄嗟に剣で弾こうとする。何の効果も無くなった、ただの剣で。いや、もうそれは凡庸の剣以下だった。ダンジョン攻略という苛烈な目的のために駆使された剣は既に劣化していて、ただの金属の棒と同様だった。当然そんなものでは魔獣の鋭利な爪に拮抗できるはずもなく……
ぱきん
あまりにも弱弱しく貧弱な断末魔。長年使い続けた愛剣は魔獣の手により呆気なく折れた。私が物理的に攻撃する手段を失ったということを理解したのか、魔獣は攻撃の手を緩める。もう反撃の手段はない、だから安心して仕留められるとでも言うかのように、ゆっくりと私に近づいてくる。
まだ。まだだ。もっと。もっとだ。まだ私は終わってない。まだ手は残ってる。魔力が残り少ないことは身体の重さと疲労感から感じている。剣が使えれば魔力をセーブしながら戦えたけど、今はそれも無理。なら直接魔法を当てるしかない。この国には魔法が存在しない、なら魔獣は私が魔法で攻撃するなんて考えていないと思う。だから安心して攻撃を緩めたんだ、もうどうやっても私に勝ち目がないと理解して。狙うのはその油断。
魔獣はその細長い異様な身体を見せつけるかのように立ち上がる。そのまま倒れ込むようにして私を捕らえるつもりだろうけど、それが命取りだって気付いてない。焦りと恐怖を必死に押さえつけながら、身体に残った魔力を掻き集めると、前に突き出した両手に集中させる。
ゆらり、と魔獣の身体が前のめりになったその時、溜めこんだ魔力を使って魔法を発動させる。
『ウィンドスラッシュ!』
発動した魔法は魔力を不可視の風の刃へと変える。狙いは魔獣の首、倒れ込んだ魔獣には躱す手段がないはず。そして風の刃が真っすぐに魔獣の首目がけて飛んでいくのは魔力の反応で分かっていた。魔法という未知の攻撃、しかも必殺の威力を込めた一撃、体勢を崩している魔獣、それらの条件が私の勝利を確信させてくれる。
はずだった。
「うそ……でしょ……」
そうだ、これはきっと夢だ。夢だからこんなあり得ないことが当然のように起こるんだ。うん、そうだ。絶対そう。だって……魔法を直前で避けるなんて……そんなことあるはずないじゃない。うん、絶対夢。悪い夢を見てるのよ。目が覚めればいつもの宿屋で、酒場に行けばいつもの仲間が笑顔で迎えてくれる。そう、そうに決まってる。だからお願い……誰か私を起こしてよ、これが夢だって教えてよ……
でもこれは夢じゃない。思考が瞬時に現実に引き戻される。それは目の前の魔獣が大きく口を裂けさせたからだ。あたかも喜色を浮かべて笑っているように歪に口角を上げ、新鮮な血肉の味を想像してか、耳障りな水気のある音を立てながら舌なめずりする。
魔獣は私の魔法を直前で避けた。しなやかに身体を捻らせ、やや離れた場所に着地した魔獣は全くの無傷。反面、私はもう攻撃する手段がない。いや、それ以前に立ち向かうだけの気力がなかった。奥の手すら躱された時点でもう終わってしまったんだ。
「嫌……いや……嫌だよ……」
立ち上がることすら出来ず、ただ重い身体を引きずって後退るしかできない私。それに合わせるかのようにゆっくりと距離を詰める魔獣。口から出てくるのはただただ拒絶の言葉ばかり、でも魔獣にそれが通じるはずもなく、その歩みを止めてくれない。
「嫌だ……誰か……助けて……」
背中に何かが当たる感触とともに後退が止まる。それが何かはすぐにわかった。壁だ、それはすなわち絶望、私のほんのわずかな希望を粉々に打ち砕く現実。そして魔獣と私との距離は、私に残された命の時間。
「嫌あぁぁっ! 助けてぇぇぇっ!」
もう何もわからない。死にたくない。食べられたくない。助けてほしい。この悪夢を終わらせてほしい。そんな願いを込めるかの如く叫ぶ。魔獣は何度か私の前を右に左に動きながら様子を窺い、もう反撃の手段がないと確信したのかゆっくりと立ち上がる。そして飛び掛かるために身体に力を込めているのがわかった。
終わる。悪夢は終わる。私が食べられてしまえば悪夢は終わる。夢を見ている本人が死んでしまえば、もう夢なんて見ることができないから。そして私の命が未知の国で呆気なく終わるという現実だけが残る。
新鮮な獲物を喰らうという欲望に逆らえなくなったのか、魔獣はついにその身を躍動させる。迫りくる恐怖に耐えられなくなった私は目を閉じ、頭を抱えて蹲るしかできなかった。願わくば苦痛もなく終わってくれることだけを祈りながら……
あれ?
痛くない?
魔獣に丸飲みにされたのかな?
それにしては身体に違和感がない。
不思議に思って静かに目を開けると、確かに魔獣はいた。その長い身体を見せつけるように、宙に浮いた状態で。
憤怒の表情を浮かべた、炎を纏ったかのような巨大な獣にその首を噛まれてだらりと脱力しながら……
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