2.姫の帰還
12月24日に前章最終話と閑話2話を差し替えています。ご注意ください。
長い闇のトンネルを歩き続けて、ようやく私はあのダンジョンの最下層へと戻ってきました。シェリーとフラムにあんなところで再会するなど微塵も考えておりませんでしたが、二人ともとても幸せそうに暮らしていたので安心しました。もしやと思ってフェンリル討伐の手助けを乞うたのですが、返事は当然の如く拒否でした。でも仕方ありませんわ、彼女たちは全くの未知の世界で一生懸命生きる術を探し、そしてようやく安寧の地を見つけたのですから、私の領地の問題に巻き込んでしまう訳にはまいりませんもの。
まるで雲をも突き破りそうな巨人の暮らす世界、そして二人はお世話になっている館の主と婚約までしたと聞きました。聞けば二人ともその巨人に対してかなりの好意を抱いており、自分の好きな相手と婚約できた彼女たちがとても羨ましく思えてきました。
私はいずれミルーカ家の為に、親の決めた相手と婚姻することになるでしょう。そのお相手が私の好みの方かどうかは全くわかりません。親よりも年上の殿方かもしれませんし、赤子同然の子供かもしれません。でもそれが貴族として生まれた者の責務だと理解しています。そうあるべきであって、それ以外の生き方など知りません。
ですが、そんな私の責務ですら果たせそうにありません。私はじきにフェンリルの玩具としてこの身を差し出さなければならないのです。そうしなければフェンリルの暴威が無力な民に降りかかります。それだけは領主の家に生まれた者として何としてでも避けなければなりません。まずは何より一刻も早くミルキアに戻りませんと……でも私は家出同然に出てきてしまいました。私の愛馬ラーダも繋いでおかなかったので、一人でミルキアに戻っていることでしょう。
「こうなったら……力の続く限り走るしかありませんわね」
ダンジョンから出て途方に暮れかけていた私の耳に、森の下草をかき分けて近づいてくる何者かの音が聞こえてきました。こんな森の中でたった一人で魔物と相対するようなことは避けたいですが、相手がそれを許さない場合は仕方ありません、早々に片づけてミルキアに向かいましょう。
腰の剣に手を伸ばすと、森の木々の間から出てくる見覚えのある姿に思わず言葉を失いました。深い緑の葉とのコントラストの美しい純白の体を持つ馬が私のほうへ近寄ってきます。まさかここで私のことを待っていてくれたのですか?
「ラーダ……なのですか? 本当に?」
何とか発した問いかけに、そうだと言わんばかりに低く鼻を鳴らすラーダ。このダンジョンが下草の多い森にあったことが幸いだったのでしょう、痩せ衰えた様子などどこにも見られません。これならミルキアまですぐに戻れるはずです。
「ラーダ、ミルキアに戻りますわ。再会を喜びたいところではありますが、もうひと頑張りしていただけますか?」
「ぶるる」
わかったと言うように私に体を摺り寄せてくるラーダ。こんな森の中で魔物にも襲われずに無事再会できた、しかも今すぐにミルキアに戻らねばならない時に。この巡りあわせに数奇な運命を感じざるを得ません。きっとこれは神が私にフェンリルを討てと告げているのかもしれません。
「行きますわよ!」
ラーダに飛び乗ると、ラーダも私の気持ちを察してか全速力で木々の間を駆け抜けます。私が指示を出さなくても望んだ通りの方向に進んでくれるのは、ラーダが仔馬の頃から世話をしていたこともあるのでしょう。とても心強い愛馬の存在に助けられながら、ミルキアへの道すがらこれからのことを考えました。
フェンリルを討つという行為がフロックスにおいてどれほど大きなことかは理解しているつもりです。私も幼い頃から乳母や侍女たちからフェンリルのおとぎ話を何度も聞かされて育ちましたから。強大な力の象徴たるフェンリル、それに歯向かうということを理解してはもらえないかもしれません。
ですが、私が犠牲になって全てが丸く収まる確証なんてどこにもないのです。フェンリルが約束を絶対に守るという保証は誰がしてくれるのでしょうか? 私を食べて満足しなかったフェンリルが領民たちをその牙にかけることは十分考えうることです。いえ、むしろ強者の振る舞いとしてはそれが当然なのかもしれません。
弱者は蹂躙される……フロックスでもその考えは古くからありますが、蹂躙されるのが我が領民たちとなれば話は別です。施政者として、領地を預かる者として領民を護るのは絶対の責務です。領民あっての領主、貴族なのです。そのために我々は特別な権力を持つことを認められているのですから。領民たちから尊敬されているのですから……その尊敬の思いにはっきりと応えなくてはなりません。
やがて見えてくるのは懐かしい我が生まれ故郷の街の防壁。門番が私の姿を見て騒いでいる姿が見えます。私の身勝手な行動で余計な心配をさせてしまったのかと思うととても心苦しいですが、それはすべてフェンリルにこの身を捧げることで帳消しにしてもらいましょう。
「開門! 開門! 開門願います! ミルーカ家の息女カルア、ただいま戻りました!」
「姫様だ! 姫様がお戻りになられたぞ! 開門しろ!」
門番たちが慌てて防壁の門を大きく開けるのを待たずに、門の隙間にラーダを駈けこませます。少々荒っぽいですが、今は一時を争いますから勘弁していただきたいですわ。何よりも先にフェンリルの動向を確認しなければなりません。果たしてフェンリルはまだ約束を違えてはいないのか、それらを知るとともに、私の決意をお父様にお話ししなければなりませんから。
すぐに受け入れられることではないことは十分理解しています。ですが、これから先もフェンリルに生贄を差し出すようなことだけは絶対に避けなければなりません。今ここで禍根を断ち切っておかなければなりません。その為ならこの私の命など、どうなっても良いのですから……
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