9.隠し事
「こんな美味しいお茶が飲めるなんて思いもしませんでしたわ!」
「そうなのよ、私もこんなに香りの良いお茶が飲めるなんて思っていなかったのよ」
「それに……このお部屋もとても素敵ですわね。部屋の造りも調度品も精巧なものばかり、色彩も素敵ですわ」
「そうでしょ、まるでお姫様になったみたいよ」
カルアがシェリーの部屋でテーブルに座りながらお茶を飲んでいる。あれは通販で買った有名な茶葉で、シェリーが自分のモデル料を使って購入したものだ。私も一度飲ませてもらったことがあるけど、元の世界で今まで飲んできたお茶が泥水かと思えるくらいに芳醇で果実のような香りを放つ紅い茶は素晴らしい味だった。貴族として王族主催のお茶会に招待されることも多いカルアは当然その味の違いが理解できているようだ。
彼女がこの館にやって来てから数日経過したが、彼女の様子を見ていると様々なものを見て衝撃を受けているようだった。何を隠そうこの私が衝撃を受けたほどだから、カルアの受けた衝撃は言葉で言い表すことは難しいだろう。道具に驚き、食べ物に驚き、この世界の情報の多さに驚き、そしてその情報が手軽に手に入ることに驚き、驚いていない時間のほうが少ないんじゃないかと思ったほどだ。
しかし彼女のことを以前からよく観察していた私にはわかる。彼女は何かを隠している。それが何なのかはわからないけど、どうやらこの館の住人に被害が及ぶようなことではなさそうだ。その隠し事については大方予想はついている。彼女はその隠し事を達成することを最優先事項にしているのだから。
だからこそ、それをきちんと聞き出すためにハツミには席を外してもらった。カルアのことだ、隠し事の内容をハツミに聞かれて逆上されたら絶対にと思っているだろうから。そのくらい彼女の隠し事は私たちにとって許容できないものだと思ってる。このままにしておけばカルアが手段を択ばない可能性もある。だからここではっきりとさせておかなければいけない。私たちのためにも、ハツミやタケシ、チャチャのためにも、そして大事な大事なソウイチのためにも。
「……カルア、私たちに言いたいことは無い?」
「え? どうしたのフラム? カルアが私たちに言いたいことなんてあるの?」
「それは……ここまで良くしてもらったお礼を……」
「そうじゃない、それを言うなら相手が違う。ソウイチやハツミに直接言うべき。私が言いたいのはカルアが未だ言い出せないでいること」
シェリーは不思議そうな顔をしているけど、私の言葉にカルアの顔色が明らかに変わった。当たってほしくはなかったけど、どうやら私が予想していた結果になってしまいそうだ。絶対に許容できない結果に。
「やはりフラムは誤魔化せませんわね……わかりました、お話します。二人とも、聞いてください」
「ど、どうしたのカルア? いきなり畏まって……」
「しぇりー、黙って話を聞こう」
カルアは今までの柔和な笑顔を、戦場にて軍を率いる将のような厳しい顔に変えたに。それは今まで冒険者としてパーティを組んでいた時には見ることの無かった威圧のこもった顔で、何かしらの覚悟を心に秘めた顔のようだった。そしてカルアは私たちの顔を何度も見比べながら、静かに言った。
「神獣フェンリルを討伐します。是非とも力を貸していただけませんか?」
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「フェ、フェンリルを……討伐? そんなこと出来るはずないでしょう?」
シェリーが信じられないといった様子で言葉を返す。神獣フェンリルの伝説は私たちの世界には広く知られている。世界に君臨する覇者の一角としてその力の大きさもだ。でもシェリーが危惧しているのはそれだけじゃない。
「フェンリルはフロックスでも崇められているでしょう? そんなことをすればカルアの立場が……」
そう、フロックスにおいて神獣フェンリルは守護神の如く崇められている。それをフロックスでも中堅貴族であるミルーカ家が討伐したとなれば穏便には済まされない。良くてミルーカ家の降格、悪くて爵位の剥奪、最悪の場合一族全員の処刑すら有りうる。フロックスが強者を称える風潮があるとはいえ、神獣を殺されたと知って怒らないような腑抜けた国民性じゃない。だからシェリーは心配している。強大な力を持つフェンリル相手に勝てる可能性なんてほとんどない。仮に勝てたとしてもその後に最悪の結果が待ち受けていれば何の意味もない。
「私の立場などどうでもいいですわ。もしミルーカ家が断絶したとして、新たな領主が来て治めることでしょう。ですが今フェンリルをどうにかしなければ、今後も領民が狙われます。領民は領主が変わっても暮らしていけますが、フェンリルの脅威は領民の暮らしを脅かします」
「それは……そうだけど……」
カルアの言いたいことはよくわかる。カルアがフェンリルに身を捧げたからといって、それで全てが丸く収まる保証なんてどこにもない。むしろ自分の要望が受け入れられたことに味をしめて同じようなことを繰り返す可能性が高い。強者を崇拝するフロックスの国民性を利用されつくした後には何も残っていないなんてことだってあるかもしれない。もしフロックスが消えるようなことがあれば諸国も黙っていないだろうが、そこで討伐されたとしてもフロックスという国が戻ってくることはない。諸国がこぞって肥沃な土地を奪い合い、新たな戦争が起こる。
どうしてそんなことにわざわざ巻き込まれなきゃいけない? カルアが話し出さなかったのはたぶん私がいたから。良くも悪くもシェリーはお人よしだから、熱心に頼み込めば情にほだされてしまうかもしれないけど、私が一緒なら止められる。だいたいそんなことに首を突っ込んで私たちにメリットなんてどこにもない。フェンリルに勝てなければ皆揃ってフェンリルの胃袋に収まるだけだし、勝てたところで戦力を欲しがる貴族連中の争奪戦だ。そこに私たちの安息の場なんてない。それに……もし死んだらソウイチが悲しむ。ソウイチと一緒にいられなくなることの恐怖のほうが私にはフェンリルの恐怖よりも大きい。だから私の答えは決まってる。
「私は協力できない。協力することで失うもののほうが大きすぎる。ミルーカの領民たちよりも大事なものがある」
「我が領民よりも大事なものなんてありませんわ!」
「フロックスでも魔族に対しての風当たりは強い。でもここにはありのままの私を受け止めてくれる人がいる。それを捨ててまで協力するつもりはないと言っている」
「フラム、もうちょっと言い方が……」
「シェリーも考えてみるといい、もしソウイチと二度と会えないようなことになったらどうする? 命を落としてソウイチを悲しませることがシェリーの望み?」
「そんなことないわ……」
「なら答えはひとつ。カルア、悪いけどフェンリル討伐はそっちでやってほしい」
「……わかりましたわ、この話は聞かなかったことにしてくださいませ」
「カルア……」
いまいち納得のいかない様子のカルアとシェリー。特にカルアは私のことを憎らし気に見つめているけど、これでいい。シェリーのことだから話を続ければ協力を申し出てしまうかもしれない。でもシェリー、私とシェリーは二人でソウイチの婚約者になるって決めたんだ。シェリーがいなくなって、平然とソウイチと一緒にいられるほど私は人でなしじゃない。大事な親友を失って、平然としていられるはずがない。
でもこれで大丈夫だと思う。いくらカルアでも私と事を構えるようなことはしないはず。フェンリルを討伐しようというのだから、ここで大怪我するようなことは避けるはず。あとはカルアを向こうに返して、チャチャにゲートを閉じてもらえばいい。チャチャが閉じ方がわからなければ、閉じるまでの間結界で封じておいてもいい。
最近ソウイチの様子がおかしいことも知ってる。私たちが元の世界に戻ってしまうんじゃないかと不安になっている。でもそれを言い出すことができなくて悩んでいるのも知ってる。大好きな人を悩ませてしまうなんて婚約者として失格だと思う。それはシェリーもよくわかってるはず、でも彼女の持つ優しさがカルアに対しても向けられていて、未だに揺れ動いているのも事実。
シェリー、ソウイチのお嫁さんになるときは二人一緒じゃなきゃダメなんだよ。私たちはお互い辛い過去を持ってるけど、そんな私たちでも当然のように受け入れてくれるソウイチのことが好きになったんだ。だから……幸せになるときも二人一緒じゃなきゃダメなんだよ。お願いだからそれをわかってね……
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