5.洗い流す
まるで夢の中にいるような、心地よい空間が私の傷ついた心と体を優しく癒してくれます。たくさんのお湯に体を浸すことがこんなに気持ちのいいものだとは思いませんでした。とはいえ水さえ貴重なはずなのにそれを温めてお湯にして使うなんて、この館の主人はなんという贅沢な暮らしをしているのでしょうか。
こんな素晴らしいものならば我が領民たちにも味合わせたいものですが、そもそも貴重な水を身体を洗う目的のためにこんなに使うことは難しいですわね。わが領地も水は決して安価じゃありません。さらにそれを温めるためだけに火の魔法が得意な魔法使いを雇うなど理解してもらえるとは限りません。しかし……
「ふぅ……これは素晴らしいものですね」
「でしょう? 私もお風呂大好き」
「こんなにたくさんの湯を使う贅沢……ここは一体どんな場所ですの?」
「ここはソウイチの館。ここは巨人たちの暮らす世界。そして……私たちの世界とは全く異なる概念により成り立つ世界」
「全く……異なる?」
「この世界には魔法の概念がないの」
「しかしそれを補って余りある高い技術力がある」
「魔法が……無い?」
大きな湖のような器になみなみと注がれた湯、そこに浮かべられた不思議な材質の船に注がれた湯の中で体を投げ出す私とシェリーとフラム。二人とも一糸纏わぬ姿で湯の温かさに身を任せています。こんな贅沢な暮らしをさせてもらっているというのでしょうか?
魔法の概念がない世界という言葉は素直に信じることは出来ませんが、少なくとも高い技術力があるということは信じられますわ。これだけの湯を作り出すのに全く魔法を使っていないのですから。それに……
「シェリー、フラム、あなたたちいつもあんな破廉恥な下着をつけているのですか?」
「え……ええ、とっても肌触りがいいの。とっても動きやすいし」
「あれはハツミが作ってくれたもの。それにデザインも素晴らしい。あれなら意中の男性も飛びつくはず」
「た……確かに……そうですわね」
とても布地の少ない下着でしたけど、確かにあんな扇情的な下着で殿方に迫ったら、どんな奥手な方でもその気になってしまうでしょうね。遠目に見ただけでも生地の上質さもわかります。あんな艶のある薄い生地の下着なんてありえませんわ。
「大丈夫よー……ちゃんとカルアちゃんのぶんも用意してあるからー」
「ハツミさん……いつのまに……」
「お湯が溜まるまでの間にサイズの調整しただけよー」
「ハツミの作る下着は高位貴族でも手に入らないような上質なもの。カルアも覚悟するがいい」
「覚悟って……何なんですの……」
大きな器に溜められた湯に気持ちよさそうに体を浸らせる女巨人、名はハツミというらしいですが、彼女は針子なのでしょうか、あの破廉恥な下着を作った本人らしいですが……私の分もあるということは、私もあの破廉恥な姿にさせられてしまうのでしょうか……
「そういえばカルアちゃんの武器は……シェリーちゃんにあげた武器の中に片手剣あったわよね?」
「あれは……あの騒動の前に盗まれてしまったので……すみません……」
「あ、ごめん……嫌なこと思い出させちゃったね。いいのいいの、後でタケちゃんに頼むから」
シェリーが言っているのは、彼女がアキレアから逃げるきっかけとなった剣のことでしょう。彼女が持ち帰った剣はアーティファクトではないかと一部で噂されていましたから。
シェリーがどれほど辛い思いをしたのか、私には理解することはできないでしょう。もし私が同じ立場だったとして、貴族という後ろ盾のある私にあのような仕打ちはしないはずです。彼女が元の世界に戻りたくないと言う気持ちは当然のことでしょう。
この館の住人たちはシェリーとフラムに対して悪い感情を全く持っていません。種族の違いや体の大きさの違いも意に介さず、同等に扱ってくれています。エルフや魔族ということで迫害されることが多かった彼女たちにとってはまさに楽園と言ってもいいのかもしれません。
出来ることなら私の領地でもこのような考えが当たり前になるようにしたかったですわ。力あるものへの敬意を重んじるフロックスでもエルフと魔族に対する偏見のようなものは根強く残っていますから……
「そろそろ体を洗う?」
「うん、お願いハツミ」
「りょうかーい」
ハツミ殿の言葉にフラムが返事をすれば、私たちの入った器がつるつるとした床に降ろされました。シェリーとフラムは慣れた様子で器から出ると、小さな布を白い石のようなものにこすりつけています。するとその布はとても細かい泡を生み出しましたが、まさかあれは石鹸でしょうか。
石鹸なんて私の屋敷でも滅多に使えない高級品です。しかもこの石鹸からはとても良い香りがしますし、よく見ればシェリーとフラムの肌や髪はとても艶やかで冒険者だった頃とは比べ物になりません。一時は彼女たちがここで酷い仕打ちを受けていて、仕方なく巨人の味方をしているのかと思いましたが、この待遇の良さは貴族以上かもしれませんね。
「ほら、カルアもこっちに来て。背中洗ってあげるから」
「え、ええ……」
「髪もぼさぼさ、これじゃ見合いの話が来ても相手が逃げ出す」
「そ、そんなことありませんわ……数回しか……」
貴族相手に輿入れするのに金級冒険者という肩書は良いこともあれば悪いこともあります。中には貴族の妻はもっと淑やかなほうがいいと断られたりすることもありましたけど……
そんなことを考えていると、シェリーが体を、フラムが髪を石鹸の泡で洗い始め、花のような香りが辛い思い出を優しく洗い流してくれます。高級な香水のような華やかな香りの石鹸なんて今まで見たこともありませんし、当然ながら使ったこともありません。希少な水鳥の羽毛のようなふわふわで優しい泡が私の体や髪に染み込んだ汚れを包み込んで取り去ってくれるようです。
「どう? 気持ちいいでしょ?」
「……はい」
「カルアは勘違いしている。私たちはここでは家族として受け入れられている。だからこそありのままの自分でいられる。私も研究に没頭させてもらっている」
「そう……ですわね」
シェリーの親族については知りませんが、フラムは早くに両親を亡くし、頼った親族に売られそうになったと聞いたことがあります。フラムにとって家族というのはとても重要なものなのでしょう。だからこそ大事な家族に敵意を持つ者を排除することに躊躇いがなかったのかもしれませんわね。
「きちんと洗い流して温まったら出るわよ、きっとお兄ちゃんがデザートの用意をしてくれてるはずだから」
「ソウイチさんの用意してくれるデザートはとても美味しいのよ、カルアもきっと驚くから」
「ここの食事はとても美味しい。おかげでシェリーの肉が増えた……ごく一部に」
「な、なにを言ってるのフラム……」
「それを使ってソウイチを虜にするつもりだとは……シェリーは恐ろしい」
「そんなことあるわけ……ないと……思うけど……」
ここには女性しかいないという安心感もあってか、まるで子供のようにはしゃぎながら体についた泡を洗い流していくシェリーとフラム。冒険者のころには見たことのない二人の様子に、彼女たちはようやくここで自分たちの居場所を見つけたのだと思えてきました。果たして私は彼女たちのように無邪気に己をさらけ出す場所を見つけることができるのでしょうか……
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