8.ゲート
「フラムはチャチャさんを見つけられたかしら」
剣の手入れをしながら、ふとそんなことを思った。あの一件があってから、フラムはチャチャさんに甘えることが多くなった。チャチャさんはとても強くて優しいし、何よりあの毛の誘惑に勝つのは難しいから仕方ないとは思うけど。私だってあの感触には勝てないから。
剣の手入れの方法はタケシさんに教わった。こうして刃先を鋭くしておかないと、いざという時に刃が欠けたり剣が折れたりするんだって。でもこうして手入れをした後では魔法の鋭さも増すように感じる。元々の剣も手入れはしていたけど、自分でやることはほとんどなかった。せいぜい汚れを拭うくらいで、いつも鍛冶屋に任せきりだったから。
でも本当はこうじゃなきゃいけないのよね。だって剣は自分の命を預ける大事な相棒なんだし、それを他人任せにするなんてあり得ない。たぶんそう思うようになったのは、この剣に出会ったことが大きな要因だと思うけど。
この剣は私ととても相性がいい。まるで私専用に作られた武器のように手に馴染むし、何より剣そのものの美しさに見入ってしまう。剣に浮かび上がる波のような模様はいつまでも眺めていたくなるくらい綺麗。こんな素晴らしいものを他人任せになんてできないでしょ。
「……シェリー、ちょっときて」
「どうしたのフラム? 今剣の手入れ中なんだけど……」
「いいから来て! 大変なことが起きてる!」
「わ、わかったわよ。今行くから」
覚束ない足取りで部屋に戻ってきたフラムが半ば放心した様子で言う。その様子はいつものフラムじゃなかった。もしかしてチャチャさんに何かあったのかな? それとも別の何かがあったのかしら。彼女がここまで取り乱すなんて今まで数えるくらいしか見たことがない。つまりそれほど重大な何かが起きてるということなのかな。
ものすごい剣幕のフラムに気圧されるように、手入れ道具を広げたままにして彼女の後をついていった。
向かった先は居間、それも壁に開いた大きな穴。フラムがこの場所を嫌っているのは知ってる。敢えて言わなかったけど、きっと元の世界のことを強く思い出してしまうからだと思う。それが本人なりの割り切り方だと思うから、そこに私が口を挟むつもりはない。
ないんだけど……フラムはその穴に向かって歩いて行く。割り切ろうとしてるのにわざわざ思い出すようなことをするなんて、何か大きな意味があるのかしら。それとも新しい魔法の実験場所にでもしたのかしら。
「あ、チャチャさん。ここにいたんですね」
「ワンワン!」
穴の中ではチャチャさんが尻尾を振って待っていた。まさかチャチャさんがここにいることを知らせるために連れてきたの?
「シェリー、チャチャの後ろをよく見て欲しい。そしてチャチャの身体から何が感じられるかも調べてほしい」
「チャチャさんの後ろ……え? 何なのこれ?」
フラムの言葉に少しばかり不安になりながらもチャチャさんの後ろをよく見てみると、そこにはあり得ないものがあった。もう三度も見たこの光景は見間違うはずがない。私たちがこの世界にやってくる原因となったゲートに酷似したものが漆黒の口を開いていた。
さらにフラムの言葉に従ってチャチャさんの身体を見てみると、その身体からゲートらしきものに向かって魔力が流れているのがわかった。私のようなエルフは魔力の流れにとても敏感なので、フラムはそれを思い出してここに連れてきたんだと思う。
「……どう、シェリー?」
「……まさかとは思うけど……あれはチャチャさんがやったんですか?」
「ワン!」
恐る恐る聞いてみると、いつものように元気な返事が返ってきた。確かにチャチャさんは竜核を食べたし、その竜核がこの世界へとゲートをつなぐことのできるドラゴンのものだった。だけどまさかチャチャさんがゲートをつなげられるようになるなんて誰が考えつくの?
自然につながったものかもしれないという考えは、チャチャさんの身体からにじみ出ている魔力がゲートに向かっているからあり得ない。もし自然発生したのなら、チャチャさんから魔力が流れることはないから。となるとやっぱり……
「フラム、あのゲートはチャチャさんがつなげたみたい」
「やっぱり……でもどうしてチャチャが?」
「もしかしてだけど……チャチャさんはフラムが元の世界のことを思ってるのを見て、何とかしたいと考えたんじゃないかしら」
フラムは一時チャチャさんに嫌悪感を抱いた。それは元の世界に帰る可能性をチャチャさんがつぶしてしまったから。仲直りはしたけど、でもチャチャさんはそれでもフラムのために何とかしたいと考えたのかもしれない。自分なら、ううん、自分しか何とかできる者はいないと理解して……
「チャチャ、もしかして私のために?」
「ワン!」
「チャチャ……あれほど危険なことは駄目って……でも……ありがとう」
たぶんチャチャさんにも原理なんてわかってないと思う。ただ竜核に刻み込まれたドラゴンの記憶と知識を頼りに、私たちのことだけを考えて成し遂げたんだと思う。その優しさに思わずフラムも言葉に詰まってる。
「でもこれでいつでも帰れるのよね」
「……待って、このゲートが本当に元の世界につながっているのかを確かめる必要がある。チャチャを信じていない訳じゃないけど、万が一のことがある。チャチャもそれでいい?」「ワンワン!」
「竜核に残った記憶をもとにしておいればたぶん大丈夫だと思うけど、もし何かあったら皆が悲しむ。だからそれだけは理解して。いい?」
「ワン!」
チャチャさんの気持ちはとても嬉しいけど、だからといっていきなりゲートに飛び込むのは危険すぎる。もしこれが全く別の世界につながっていて、命を落とすようなことにでもなれば皆が悲しむ。チャチャさんだけじゃなく、ソウイチさんたちも。だから今はこのゲートの安全性を確かめることが大事。チャチャさんもそれは理解してくれてるみたい。
「まずはソウイチさんに相談しましょ」
「うん、きっといろいろと協力しながら確かめることになるはず」
「ワンワン!」
「チャチャさん、私たちのためにありがとうございます」
「ワン!」
チャチャさんとフラムは嬉しそうだけど、私は少し複雑な気持ちだった。このゲートが本当に元の世界につながっていたとしたら、私は帰らなきゃいけないのかな? ソウイチさんは私のことを引き留めてくれるのかな? もし帰ったら、二度とここに戻ってこられないのかな? そんな疑問が頭の中を駆け巡る。
そして複雑な気持ちの中の一番大きなもの……大好きなソウイチさんと離ればなれになりたくないと思う気持ちが私の胸を締め付けていた。
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