10.団欒?
「ワンワン! ワンワン!」
「ま、待っててくださいチャチャさん、今皮をむいてもらいますから」
「チャチャ、お行儀悪い」
「ワフッ!」
居間の座卓のまわりを嬉しそうに駆け回る茶々。シェリーとフラムが宥めてようやく落ち着いた様子を見せるが、視線は座卓の上にあるものにくぎ付けになっている。
「こんなに大きいの、食べきれるでしょうか?」
「茶々ならこのくらい平気だぞ?」
「チャチャはたくさん食べたからこんなに大きくなった?」
「いや、茶々は生まれつきだな」
「むぅ……私もたくさん食べれば大きくなると思ったのに……」
「それって横に増えるだけなんじゃないの?」
「ソウイチ、シェリーが酷いことを言って虐める」
「虐めてないわよ!」
座卓の中央に置かれた大きな梨を回るように追いかけっこを始めるシェリーとフラム。梨はこの近辺では珍しい果物ではなく、直売所でもシーズンになれば山積みになって売られている。しかしこの梨はサイズは特大、色艶形は専門家じゃない俺から見ても文句のつけようがない高級品だ。そしてこんな高価な梨を俺が購入するなんてことはない。ではなぜ高価な梨がここにあるのか?
シェリーとフラムが日本での自分たちの初めての労働報酬で俺たちみんなで楽しめるものが買いたいと言い出し、色々と選んだ結果こうなった。というのもやはり問題は茶々で、俺たちが食べるような菓子や肉類はほんの少ししか食べさせることができない。犬にとっては人間の味付けは濃すぎるので、病気の原因になりかねないからだ。
だが果物なら自然の甘味なので問題ない。そして茶々は果物の中でも梨が最も好きだということが決定打となった。その結果が今の茶々の状況である。いつもは利口な茶々が自分を抑えることに苦労するくらい、梨が大好物だ。放っておけば丸々一個平気で食べてしまうくらい好きだ。そして梨に関してはプロに匹敵する目利きである。茶々が喜ぶ梨はすこぶる甘くて果汁も豊富だ。
「梨くらいいくらでも安く買えるんだけどな」
「いいじゃない、二人の気持ちなんだから。ありがたくいただこうよ」
「そうですよお兄さん、皆で楽しみたいものを選んでくれたんですから」
「それはそうだが……」
正直なところ、ちょっと車で走れば梨農家も多いので、話をすれば完熟のものを格安でわけてもらえたりする。特に小さな擦り傷やシミ、若干形が歪で一級基準をクリアしなかったものならもっと安い。落果したものなんてタダでくれる時もある。だからといって一般の人が行ってもそういうことはできない。同じ農家だからこそのところも多分にある。
だが二人が考え抜いた末の行動だ、ここは大人しくいただいておこう。感謝の気持ちに対していちゃもんつけるなんて無粋にも程がある。ここで素直に楽しんでおけば、みんな満足できるのに、つまらないことで台無しにする必要なんてどこにもない。
「ソウイチ、早く剥いて。チャチャが限界に近い」
「ワンワン!」
俺に抗議するように吠える茶々はものすごい勢いで座卓の周りを走り回る。これ以上待たせると可哀想なので早々に果物ナイフを持ってきて剥いてやるとするか。
梨を手に取れば、ずっしりとした重さとともに爽やかな甘い香りが鼻に抜ける。この時期とこの肌質だと新高あたりか? 南水かもしれないが、南水はもっと肌がすべすべしてるからな。
果物ナイフを入れれば、切り口から滲み出た果汁が滴り落ちる。熟し具合も水分も申し分ない一級品だ。熟しすぎてもせず、かといって若すぎもしないところでもいである梨は肉質もきめ細やかで、ナイフを通して伝ってくるシャリシャリした感触が心地よい。これを思い切り齧ったらどれほどの旨味が広がるか想像もできない。
「とても甘い香りがします」
「こんな果実は初めて。やはり画像と実物では全く違う」
俺の手元をまじまじと見つめるシェリーとフラム。危ないのであまり近くに来てほしくはないが、この香りの誘惑に勝てないのは当然だろう。俺でもここまでのものはそうそう食べたことが無いくらいに良い梨で、正直言って値段を聞くのが怖い。東京の高級果物店で売られてるものと引けをとっていない。
「よし、剥けた。みんなで食べよう」
シェリーとフラムには小さなダイス状に、俺たちの分は大きめの角切り(うちでは昔からこの切り方だ)にして切り分けると、一斉に手を伸ばす。そして口に放り込んで……しばし無言になった。それはもちろん……美味いからだ。
「甘い! 甘いです!」
「やはり私の目に狂いはなかった。これを選んで正解だった」
「ここまで美味しい梨は初めてよ」
「久しぶりに食べたけど、梨ってこんなに美味しいものなんだね」
皆一様に味を堪能している。そして茶々もまた、シェリー達から小さく切ったものを食べさせてもらって尻尾を千切れんばかりに振っている。どうやら相当美味かったらしい。
「チャチャさん、美味しいですか?」
「どんどん食べて」
「ワンワン!」
まだまだ貰えると知って飛び跳ねて喜ぶ茶々。よほど嬉しいのか、まるでカモシカのように大きく飛び跳ね……飛び跳ね……
「……お兄ちゃん、アタシの目がおかしくなっちゃったのかな?」
「いや、おかしくないと思うぞ。たぶん俺も同じものを見てる」
「初美ちゃん、これ幻じゃないよね」
初美と竹松君が自分の目を疑うのも無理はない。俺も今見てる光景が現実のものなのかどうかわからないが、少なくとも茶々がそれを引き起こしているということは認めざるをえないだろう。
一体茶々はどうなってしまったのか。何か悪いものでも食べたんだろうか。それとも他にもっと大きな原因があるのだろうか。混乱する思考をなんとか整理しようとするが、一向に纏まる様子はない。
ただただ混乱する俺たちの視線を一身に浴びて、茶々は何もない空中を駆け回っていた。
これでこの章は終わりです。
次回は閑話です。
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