1.フラムの朝
新章スタートです。
「フラム、私はソウイチさんと畑に行くけど、どうするの?」
「私は調べたいことがある。シェリーだけで行って」
「うーん……チャチャさんがいてくれるから大丈夫よね」
シェリーが冒険者の格好で出かける準備をしている。まだもう少し寝ていたいけど、お腹もすいたのでそうも言っていられない。起きだしてみると、館の中がいつもより静かなのが気になるところ。いつもならまだ寝ているはずのハツミの姿もない。
「……ハツミは?」
「ハツミさんならタケシさんと一緒にお仕事で出かけたわよ。『ソクバイカイ』の打ち合わせとか言ってたわね」
「なるほど、それで静かなのか」
いつもならかなりの音を出しているはずのハツミのパソコンが静かなのにようやく気付いて、なるほど主がいないなら動くはずが無いと納得する。最近はタケシのパソコンも増えたから音も倍増してきている。タケシの話だと静音設計というものらしいが、それでもうるさいことはうるさい。でもおかげでソウイチの部屋で眠ることが多くなってきたので、悪いことばかりじゃない。ソウイチは私たちに真摯に向き合ってくれているので、婚約してもまだ部屋は別だけど、理由があれば部屋に入れてくれる。もうあの勝負下着は着ないでくれとお願いされたから、普通の寝間着姿だけど。
「食事は座卓の上にあるから食べてね、お昼には戻るから」
「わかった、行ってくるといい」
「ちょっと心配なんだけど……チャチャさん、フラムのことよろしくお願いしますね」
「ワンワン!」
「シェリー、どうしてそこでチャチャに頼む? 私だけじゃ不安?」
「不安も何も……まだそんな格好でいるような人が心配じゃないはずがないでしょう?」
「むぅ……可愛いのに」
「可愛いのは認めるけど……」
今私が身に着けてるのはハツミが作ってくれた『パンダ』という獣を模した上下一緒になった寝間着。フードを深く被ればパンダそのものになれるという優れもので、テレビでパンダの子供が戯れる姿を見て作って欲しいと頼んだ。ソウイチも可愛いと言ってくれたから最近のお気に入りになってる。シェリーも頼めばいいのにと思ったけど、シェリーはハツミ特製のシンプルな寝間着が気に入ってるらしい。二人で一緒にソウイチに可愛いって言ってもらえればとても嬉しくなるはずなのに。
「と、とにかく、私たちはもう行くから。お留守番しっかりね」
「わかった、私に任せるがいい。完璧にこなしてみせよう」
そう言い残してシェリーが玄関に向かって走っていった。やがて鍵をかける音とソウイチの自動車のエンジンの音が聞こえてきたので、しばらくは戻ってこないだろう。でもこれで私のやりたいことに没頭できる。まずはこの空腹を何とかしないといけない。
「チャチャ、朝食を食べに行こう」
「ワンワン!」
チャチャと一緒に居間に向かえば、座卓の上に私用の食器が並べられていて、朝食が用意されていた。今朝のメニューはパンとソーセージにフルーツ。いつも思うけどソウイチの朝食はとても美味しい。使われている食材も滋養に満ちた美味しいものばかり。
まるで雲を食べているような錯覚(実際に雲を食べたことはないけど)に陥るほど白くてふわふわのパンは小麦の香りとバターの香りが秀逸、ソーセージは程よく効いた塩味とふんだんに使われたスパイスが肉の旨みを引き立て、フルーツとして用意されたリンゴ、カキ、ブドウは瑞々しくてお菓子のように甘い。こんな美味しいものは貴族以上の有力者でなければ食べられない。シェリーがいつも美味しそうに食事をするのも頷ける。
「はい、チャチャにもあげる」
「ワン!」
リンゴをひと切れチャチャに差し出せば、嬉しそうに尻尾を振りながら食べてくれる。チャチャはもう自分の朝食を食べた後らしく、ひと切れだけ食べると座卓の脇に座ってこちらを見ている。誰もいない館で独り食べる食事は寂しいけど、チャチャが私を護ってくれているから安心して味を楽しむことができる。
テレビをつければ様々な巨人が画面の中で様々な情報を伝えてくる。とても重要そうなものからどうでもいいものまで、この国の情勢からこの世界の様々な国の情勢まで、たくさんの情報が手に取るようにわかる。元の世界ではこんなことはあり得ない。もし元の世界でこんなふうに情報が入手できたなら、世界そのものが変わる可能性が非常に高い。そう考えると、今私が経験していることとは途轍もない偉業に触れているのだろう。
ソウイチと婚約を交わしてから、毎日が楽しくて楽しくて、心が弾む私がいる。この世界の知識は私が想像しているよりもはるかに多く、そして細分化され、そして深い。これまで自分が誇っていた知識量が、この世界ではほんの数秒で手に入る程度のものでしかない。それは私に大きな衝撃を与えるとともに、新たな知識を得るための機会が訪れたことへの感謝の思いを抱かせた。
私がずっと探し求めていた、帰りつく場所。独りぼっちの私を優しく受け止めてくれる大切な人。心を許せる頼り甲斐のある親友たち。温かい部屋に美味しい食事。私を護ってくれる守護獣。そのどれもが元の世界では手に入らなかったものばかり。それが今私の元にある。世界を渡った先で、ようやく見つけることができた。
元の世界に未練はないかと聞かれれば、絶対にないと言えば嘘になる。かつての冒険者仲間やアキレアの街で世話になった人たちに、今の幸せに満ちた私の姿を見て欲しい気持ちはある。それが叶う願いではないことは十分理解しているけど、それでもやはり完全に忘れることはできない。嫌なことのほうが多かった世界ではあるけど、そこで暮らした時間もまた私を作り上げたものなのだから。
「ふぅ……ごちそうさま」
「ワンワン!」
「うん、今日も美味しかった」
「ワン!」
食器を座卓の隅に片付けてチャチャと一緒にハツミの部屋へと戻る。本当は自分の食器くらい水場で洗いたいけど、私じゃこの館の水場には到底届かない。だからいつもこうして隅に纏めておくだけしかできない。ソウイチはそれでいいって言ってくれてるけど、いつかは自分のことは全部自分でやれるようになって、ソウイチの役に立つようになりたいと思う。
アニメでは小さな女の子が大人になったりする魔法があったりするけど、私の知る魔法にはそんなものはない。でもこの世界の知識と私の魔法の知識を融合させれば、いずれそれも可能だと思っている。そのためにはもっともっと知識を得なければならない。もっともっと深く理解しなければならない。
だから私は今日も知識の海へと挑む。私の好奇心を、知識への欲求を満たしてくれるこの世界の文明の利器を使い、知識の海を泳ぎ回る。これは私に課せられた使命であり、未来を繋ぐための希望でもある。決して遊びなんかじゃない。
だからここではっきりと言っておく。私は決して『にーと』などではない、と。
カルアさんの登場はもう少し先になります。
読んでいただいてありがとうございます。




