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カルア

閑話です。ちょっと長いです。

 宗一達がドラゴンという別世界の生物との戦いに勝利したのとほぼ同じ頃、そのドラゴン、そしてシェリーとフラムがいた世界でも動きがあった。場所はアキレア王国と獣国フロックスとの国境に位置する場所、国境に広がる森林の中にある開けた草原でのことだった。


 草原を分断するように走る国境線に沿って互いに睨みあう完全武装の軍勢。銀色の鎧で統一された軍勢が掲げるのはアキレア王国の紋章が染め抜かれた軍旗、つまりアキレア王国の正規軍である。度々辺境の領主による攻撃が行われてはいたが、それはあくまで辺境領主の小競り合い程度であったが、今回の軍勢は軽く見積もっても一万は超える数だった。


 片や統一感のない武装、しかしよく使い込まれていることがはっきりと見てとれる鎧に身を包んだ軍勢が掲げるのはフロックスの辺境貴族ミルーカ家の家紋の入った軍旗。フロックスにおいて勇猛さと戦闘力では十指に入ると称されているミルーカ家を頂点とした混成兵団である。その数はおよそ三千、数の差であれば圧倒的に不利である。


 鎧が統一されていないのは、今回の戦いに志願した一般兵が多いためだが、一般兵とはいえ戦力的には申し分ない。そもそも獣国は獣人種の国であり、基本的な身体能力の高さはアキレア王国の兵士のそれを上回る。中には数倍から数十倍上回る者もおり、戦力差として考えるならばミルーカ側のほうが上回っていた。そしてその兵団の最後尾には今回の指揮を任された騎乗の女騎士の姿がある。ミルーカ家の息女であるカルアだ。


 カルアは冒険者として使いこなしていた鎧を綺麗に磨き上げ、さらにミルーカ家の家紋の入ったマントを身に着けていた。そこには冒険者の様相など全く見られず、既に貴族の子女としての立ち居振る舞いを見せていた。逐次入れられる状況報告を聞きながら、カルアは全軍に聞こえるように凛とした声で叫ぶ。


「我が街ミルーカを護るべく立ち上がった義勇の者達よ! 敵の数は多いが力では我らに敵う理由なし! 我らには神獣様の加護がある! 我らが敗れればミルキアの街は奴らの凌辱略奪に晒されると心せよ! 大事な家族を! 恋人を! 奴らの手から護るために戦え!」

「「「 おおおおおーーーー!! 」」」


 カルアの檄に勇ましい声が湧き上がる。基本的に獣人種は好戦的な者が多いとされているが、かといって侵略略奪が好きかといえばそうでもない。ただ単純に力比べが好きなだけで、それ以外は比較的温厚な種族なのだが、護るべきものを護るためには死力を尽くして戦うのだ。そして彼らと対峙するアキレア軍は完全に敵として認識された。


 小規模の小競り合いであれば流れの盗賊団という可能性もあるが、ここまであからさまにアキレア王国の証を見せつけられては動かざるを得ない。これだけの兵団で国境線を越えるということは、侵略行為として認識されるということ。見過ごしては国としての面子も丸潰れである。


「カルア様、奴らに動きがありました」

「どのような動きですの?」

「軍勢の後方から一千ほどの兵が離れました。右翼左翼にそれぞれ半数が移動しています」

「きっと挟撃のための移動でしょう。左右に戦闘経験の多い者を配置しなさい。それから弓兵は敵の弓兵を優先的に狙うようにしなさい」

「はっ!」

「敵の正面は主力です、こちらも主力をぶつけましょう」

「はいっ!」


 カルアの指示を聞いて伝令兵が走ってゆく。それを見ながら一般兵たちは感嘆の表情を見せるが、それも無理はない。カルアが軍を率いるのはこれが初めてのことだ。なのに堂々とした指揮ぶりは、金級冒険者として『剣姫』の異名を持つカルアならではと思わせるが、実際には別の理由があった。


「これでいいんですの、バド?」

「ああ、受けに回るのは性に合わねぇけど、防衛戦だから仕方ねえ。それに俺たちの役目はここで全滅させることじゃねぇ、出来れば捕虜を取って追い返して、後でアキレアに賠償金交渉できるようになればいい。まずは余計な被害を出さないようにすることが大事だ」

「わかっていますわ」


 初陣のカルアの傍で助言しているのは仲間であるバド。彼は元々流れの傭兵であり、戦争の仕方についてはカルアよりはるかに詳しい。それどころか正攻法から搦め手、さらには卑劣な手段まで知っている。シェリーとフラムが行方不明になってからはミルーカ家の食客として私兵の訓練をしていたが、ようやく自分が役に立てるとわかって自信に満ちた表情をしていた。そのおかげか、フラムは初陣の緊張など全く見せていない。


 バドの言う通り、カルアにはここで敵を殲滅することは求められていない。もし彼女がここで敗走したとして、ミルキアの街はミルーカ家の主戦力である、兄二人と父親の率いる精鋭部隊が待ち受けているのだ。それゆえか、彼女は父親より劣勢になったら即座に撤退するように言われていた。彼女は領主の娘として兵を指揮する立場でありながら、息女として政略結婚の駒となる使命があるためだ。


「カルア様! 敵軍が進軍を始めました!」

「わかりました! 全軍進撃! 左右からの挟撃に注意を!」


 ついに痺れを切らしたアキレア軍が進軍を開始し、それに合わせてカルアも軍を動かす。ついに辺境の国境線で戦争の火蓋が切って落とされた。




**********




 ついに始まったアキレア王国との戦争の緒戦、数ではアキレア、兵士の質ではミルーカに分のある戦いは拮抗を予想され、それ故に消耗戦に雪崩れ込んで被害が大きくなることが予想されていた。しかし結果は誰も想定していなかった決着を迎えることとなったのだ。


 両軍が激突する直前、天空より舞い降りた一体の巨獣。白銀に輝く毛並みを陽光に輝かせながら、圧倒的な存在感を振り撒き周囲を見渡す双眸には強者であることを証明する凶暴な輝きがあった。フロックスの民であれば知らぬ者はいない、この世界の最強の一角を担う存在。


「し……神獣様……」


 誰かが零した呟きこそが真理だった。獣国フロックスが神獣として崇める白銀の巨獣、フェンリルが戦場に現れた。



 神獣フェンリルはまさに無敵だった。アキレア軍の放つ矢も魔法も白銀の獣毛を舞わせることすら叶わず、前足でじゃれるような動きだけで多くの兵士が吹き飛ばされる。その爪で、牙で、そしてブレスで、そしてその巨躯で、アキレアの兵士たちが次々に無残な残骸へと変わってゆき、さらにはフェンリルの胃袋へと消えていく。白銀色をした暴虐の嵐がアキレア軍を蹂躙する様を見ていたミルーカ軍は、やがてフェンリルに声援を送り始める。


 フェンリルという天災級の魔獣の襲来により、アキレア軍は瓦解した。兵たちはばらばらに逃げ出し、まさに蜘蛛の子を散らすといった有様で戦争どころではなかった。それもそのはず、もし戦争において戦死してもそれは戦った末でのこと、兵士の遺族にそれなりの褒賞が支払われる。しかしフェンリルが相手となれば魔獣相手に死んだことになり、褒賞は出ない。無駄死にである。それどころか戦争で魔獣に殺されるなど誰が誇れようか。なので兵士たちは我先にと戦場を逃げ出し、アキレア王国軍は撤退を余儀なくされたのだった。


 これを見て歓喜したのはミルーカ軍の兵士たちだ。フロックスが崇める神獣様が降臨し、敵兵を蹴散らしたのだ。神獣の加護を得たと喜び、フェンリルを称える声を上げる。おとぎ話のような展開に気分が高揚するのも当然だろう。


 しかし現実はおとぎ話のようにはいかなかった。アキレア軍を蹂躙したフェンリルはその凶暴な輝きを持つ双眸をミルーカ軍へと向けたのだ。高揚している兵士たちは未だその輝きに気付かない。かろうじて気付いたのは魔物や魔獣相手に戦う冒険者だった者たちのみ、そしてそれはカルアとバドも同様だった。


「全員戦闘準備! フェンリルの攻撃を避けて!」


 フェンリルの初撃はその前足による攻撃だった。しかしカルアの叫びによってかろうじて直撃を避けることができた兵士たちは元冒険者の兵士を中心に立て直し、フェンリルの攻撃を防ぐことに集中した。まともにぶつかれば獣人種といえども致命傷は免れないが、アキレア軍が撤退した以上、これ以上無駄に命を散らすことは許されないので防御に専念するしかない。そもそもフェンリルに確実にダメージを負わせる手段を持つ兵士が圧倒的に少ないのだ。


「カルア! 俺が前に出る!」

「私も行きますわ!」


 攻撃を受け続ければジリ貧だと直感したバドとカルアは即座に武器を抜いて前線へと出た。魔獣相手には兵士よりも冒険者のほうがまだ戦いを有利に進めることができる。高い破壊力の攻撃を当てればそれだけフェンリルを引かせることができ、その間に撤退することが可能だからだ。


「おお、『剣姫』と『轟剣』か!」

「兵士たちは撤退を! 元冒険者は私とともにフェンリルの迎撃を!」

「わかった!」


 いくら神獣とはいえ、ここでむざむざエサになるつもりはない。敵兵を喰らうだけならまだしも、自らを崇める民すら喰らおうなどとは神獣といえども許せるものではない。そしてここで足止めできなければ、フェンリルがミルキアに向かう可能性が高い。その結果がどうなるかなど考えるまでもない。


 カルアとバドが先陣を切り、フェンリルに渾身の攻撃を当ててゆく。フェンリルもさすがにその攻撃を受けるのは嫌なようで、防御中心の動きを見せるようになっていた。


「このまま……押し切る!」

「もう一息ですわ!」


 カルアとバドは周囲の兵士たちを鼓舞するように、そして自分自身も鼓舞するように声を上げる。既に立っているのはバドとカルアのみ、他の兵士たちは疲弊してまともに立つことすらままならない。カルアとバドも膝が笑い、かろうじて剣を構えるのが精いっぱいだったが、それを悟られればフェンリルは攻勢に転じるだろう。となればこの場に残る者の命はない。なのでカルアとバドは身体に鞭打ってフェンリルと対峙する。


『ふん……腑抜けた獣人種かと思いきや……貴様は見どころがあるな』

「え?」


 フェンリルが突然カルアに話しかけてきた。一瞬驚いたカルアではあるが、会話してくれるのであれば時間を稼ぐことができる。その間に回復したバドが攻撃すればあるいは、と考えたカルアは何とかフェンリルの機嫌を損ねないように話をすることにした。


「何が目的ですの?」

『ここ最近、我の好敵手が姿を消したのでな、身体を動かす相手を探していたのよ。貴様らはよく戦った、おかげで準備運動くらいにはなったというものだ。その褒美に貴様らは見逃してやろう、もう腹いっぱい喰らったのでな』

「準備運動……」


 カルアとバドは絶句する。自分たちが死力を尽くしたのがフェンリルにとっては準備運動の相手でしかなかったということに。しかし見逃してくれるというのであれば、それに乗らない手はない。もうまともにフェンリルと戦える状態の者はいなかったのだから。胸を撫でおろしたカルアに対し、フェンリルはさらに続けた。


『そこな娘、貴様の剣はなかなかだったぞ。褒美に我が相手として正式に迎えよう、我が飽くまで戦いの相手をし、我が飽いたらその身を喰らってやろう。貴様らの崇める神獣の糧となるのだ。誉れであろう、ひと月の後に我が迎えにゆくから腕を磨いて待っているがよい』


 それだけ言い残すとフェンリルは身を翻し、空高くへと駆けていった。後に残ったのは疲弊しきったミルーカ軍の残党のみ、その姿からは敵兵を退けたことによる高揚した気分はどこにも見受けられなかった。




**********



「わ、私に……受け入れろと仰るのですか……」

「私もお前にこのようなことを言いたくはない。だが上層部には神獣の妃となることを誉とせよと言う連中もいる。それでなくてもこれを拒めばフェンリルの怒りはこの街に向けられる。それだけは何としても避けねばならんのだ」


 ミルキアの中心部にあるミルーカ家の屋敷ではカルアが当主である父と向かい合っていた。屋敷に戻ったカルアが事の顛末を父に報告したところ、父から返ってきたのはカルアにとって受け入れがたいものだった。


『フェンリルの要求を呑み、カルアをフェンリルに差し出す』


 つまりカルアに人身御供になれということだ。カルアとて貴族の子女、家の為には自由な恋愛を捨てて親の決めた相手に嫁ぐことは当然の責務だと考えている。もし自分が王族の関係者に嫁ぐことが出来ればミルーカ家の地位も確固たるものになる。自分の身体一つで家の未来が安泰なものになるのだ、カルアとしても本望である。


 しかしフェンリルのところに行くのは妃になるなどという温いものではない。命の限りフェンリルを満足させるために戦わなければならず、飽きればフェンリルの餌に成り下がる。自分の命はフェンリルの気分次第であり、最悪の場合、気に入らないという理由でミルキアが蹂躙される可能性すらあるのだ。


「少なくともお前が生きている間はこちらも準備を整えることができる。お前も覚悟を決めろ、いいな」

「お父様……」


 父から放たれた最後通告、それはカルアにとって最悪のものだった。ミルキアの街を、領民を護るということはカルアとしても誇れるものではあるが、自分の最期がフェンリルの餌で終わるという結末は受け入れたくなかった。しかし受け入れなければフロックス内でのミルーカ家の立場が悪くなるどころか、フェンリルによって滅ぶ可能性すらあるのだ。カルアには拒否権など最初から用意されていないのだ。


「おい……カルア……しっかりしろ……」

「バド……少し一人にさせて……ひと月後までには戻るから……」

「お、おい……」


 カルアには心配するバドの声もまともに聞こえておらず、ふらふらと愛馬に跨ると街を後にした。最終的には受け入れなければいけないことなのだが、それまでに心の整理をつけたかった。バドと一緒にいると彼を頼ってしまう、弱い自分がすべてを投げ捨てろと心の隙間に囁くのを止められなくなってしまう。そう感じたからこそ、独りで街を出たのだ。フェンリルによる理不尽な死という結末を受け入れる覚悟を決めるために……


 いったいどこをどうやって進んできたのか、それはカルアにもよくわかっていない。ただ気付けばとあるダンジョンに辿り着いていた。それは全ての歯車が狂い始めた場所、大事な仲間が二人も行方不明になった場所。覚束ない足取りで最下層まで進めば、そこはかつて訪れた寂れた部屋だった。何もない広い部屋には何らかの戦闘の跡と思しき残骸が散らばるが、そのうちの一つにカルアの目が釘付けになった。


「これは……フラムの……」


 転がっていたのは魔導士が使う杖に付けられている宝玉の欠片。しかしその色は鮮やかなブルー、かつて自分の仲間だった魔導士が大事にしていた杖についていた宝玉と同じ色。自分の髪の毛と同じ色だとよく自慢していた宝玉と同じ色。もし仲間の魔導士の宝玉が砕けた欠片だとすれば、よほどの死闘が繰り広げられたのだと理解する。魔導士の宝玉は極限まで魔力を注ぎ込まなければ砕けるようなことはないのだから。そして宝玉を失った魔導士は極端に戦闘力が下がるのは誰でも知っていること、それは魔導士の敗北と同義であるということもまた周知の事実だ。


 いつまでもあのメンバーで冒険者を続けていられると思っていた。危険な目に遭うこともあったが、とても楽しい日々だった。しかしそれはもう戻らない。これから先に再び取り戻すことも出来ない。何より自分の命はあとひと月なのだから。楽しい過去と絶望の未来が交互にカルアの脳裏に浮かび、ただただ涙が零れていくのを止められない。どうしてこうなってしまったのか、それを恨もうにも誰に向けたら良いのかすらわからないジレンマがさらに悲しみを誘う。


 そして彼女は見つける。今までそこはただの石壁であった場所に突如現れた異変を。大きく開いた暗い穴を。 

読んでいただいてありがとうございます。

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