初美の真意
閑話です
田舎の古民家ならではの八畳の和室に高く組まれたパソコンラックに並べられた高性能パソコン達が駆動音を響かせる中、並べて置かれたデスクでモニターに向かう初美と竹松。初美は自分が請けた仕事の仕上げ、竹松は初美と一緒に売り出すことになったフィギュアの広告ウェブページの作成中である。無言の作業が続く中、竹松が手を止めて一息入れると初美に声をかける。
「ハツミちゃん、そろそろ休憩にしよう」
「そうだね、タケちゃん。コーヒーでも入れるね」
作業の手を止めて小さく伸びをした初美が席を立つと、やがて小さなトレイを手に戻ってきた。まさか初美でもコーヒーくらいはまともなものを出せるだろうと心配していたが、幸いなことに彼女が持ってきたトレイには市販のクッキーの箱と缶コーヒーが乗っていた。
「ごめんね、本当は手作りしたいんだけど、忙しくてさ」
「全然平気だよ!」
手作りではないと知って満面の笑みを浮かべる竹松。その様子を見てどこか腑に落ちない表情を見せた初美だったが、好きな男の満面の笑みというレアなものを見ることが出来た幸運に、もやっとしたものは吹き飛んでしまった。
「初美ちゃんさ……アレはやり過ぎだったんじゃないの?」
「アレって何?」
「シェリーちゃんとフラムちゃんを焚きつけたことだよ。お兄さんがうまく纏めてくれたから良かったけど、どうしてあんなことしたのさ」
竹松はコーヒーを飲みながら自分の考えを吐露する。竹松が心配していたのは、初美がシェリー達に勝負下着をつけさせて宗一の部屋に向かわせたことだ。自分たちが盛り上がってしまったということもあるが、それでも初美のしたことはかなり危険が伴うものだったからだ。宗一が二人のことを気遣ってくれたから良かったものの、これが特殊な性癖の持ち主だったらどのような結末になっていたかわからない。実の妹だからそこを見誤ることはないのだろうが、それでも何故そこまで初美が急いだのか分からなかった。関係を深めさせるのであれば、もっとじっくり時間をかけるべきだと竹松は思っていたからだ。
「もし何かあったらどうするつもりだったのさ」
「んー……お兄ちゃんにその心配がないのは分かってたし、シェリーちゃんとフラムちゃんはちょっとばかり急がなきゃマズいかなって思ってさ。シェリーちゃんもフラムちゃんも、不安を必死に押し殺してるのが分かっちゃったんだよね。ほら、アタシ浩二のとこで働いてたでしょ? あそこは超ブラックな会社だったから、新入社員がいつも辞めちゃってたんだ。新人教育なんてほとんどしないで仕事させてさ、当然ミスするに決まってるのに、それを上が怒ってさ、忙しさにかまけてたアタシもいけなかったんだけど、それに対して何も対処できてなかったんだ」
初美はコーヒーを一口飲んで、何気なく天井を見上げる。そこにあるのは年季の入った天井板だが、遠くを見つめるような初美の瞳には違うものが見えているようだった。竹松はそんな初美の独白を黙って聞いている。
「新しい環境で不安なのに、それを支える人がいない。しかも仕事でミスするから他の社員は仕事を回さなくなる。周りは連日徹夜の忙しさなのに、自分のところには全く仕事がない。孤立した新人が不安に圧し潰されるのは当然だよね。だからさ、皆心を病んで辞めていったんだ。その時の新人さんたちの目が忘れられなくて……こっちの言うことには笑顔で応えるんだけど、その目に感情があるように見えなかったんだ。その目がすごく怖かった、どのくらいストレス抱えればこんなになっちゃうのかなって。でさ、シェリーちゃんもフラムちゃんも、時々そんな目をしてたんだ」
初美はコーヒー缶をテーブルに置くと、大きく息を吐いた。竹松も浩二の会社がどれほど酷い労働環境だったかは知っている。クリエイター業界はこんなものだと言い切ってしまうのは簡単だが、それでは若手が育たない。それどころかエースクリエイターが身体を壊して仕事が回らなくなるなんてことも良くある話で、マルチにこなせる竹松クラスになれば別だが、小規模の会社であればそれこそ死活問題だ。環境を変えなければいけないのは理解しているが、そう簡単にいかないのも事実だ。
「不安を心の中に押し込めても、小さく押し固められるだけで無くなるはずないし、それを抱え続けることで新しい不安が生まれる。表面上は取り繕ってても、それは確実に心を壊すの。シェリーちゃんもフラムちゃんもこの世界では二人っきり、独りじゃないとはいえ、それがどれだけ不安かなんてアタシ達にはわからない。でも何とかしなきゃいけないのはわかってたから、わかりやすい形で二人に気付かせる必要があったの。お兄ちゃんが二人を支えてくれるって」
「でもやっぱりあれは危険だったんじゃ……」
だからと言われても、いきなり色仕掛けなど普通は考えない。いや、それを安易に受け入れてしまう二人もまた溜め込んだストレスにより正常な判断力を失っていたとも考えられる。となれば初美の言う通り一刻を争う状態だったのかもしれない。いつも二人に自分の作った服を着せて楽しんでいるだけだと思っていた竹松は初美の観察眼の鋭さに驚くとともに、それでも危険な方法をとったということはきちんと言っておかなければならないと感じていたのだが、初美は竹松の言葉を遮るように言葉を続ける。
「タケちゃんの心配はわかるよ、だからお兄ちゃんなの。お兄ちゃんは流れで二人に何かするなんて絶対にないし、二人が抱えてるものと正面から向き合ってくれるってわかってたから。二人が色仕掛けなんて最終手段に出るくらいに追い詰められてるってこともちゃんと理解してくれるってわかってたから、こんな方法をとったんだ」
「……」
確かに初美の言う通り、宗一は二人を婚約者とすることで二人の精神的な支えになった。竹松の見る限りでは、宗一は二人のことを性的対象ではなく、一緒に生活していくパートナー的な意味合いで考えているように見えた。もちろん体格差はあるが、お互い対等であるように心がけているようにも見えた。世間一般に言われている草食系のような行動にも受け取れるが、宗一の行動はそういう陳腐な言葉では言い表せないものが感じ取れた。
確かに翌日からの二人はどこかすっきりした様子だった。目に見える形での支えよりも、心の支えのようなものが出来たための強さのようなものが感じられた。まだ二人との付き合いが短い竹松ではあったが、そんな彼の目にもあの夜以降の二人の姿は別人のようにすら感じられたのだ。
だがそこでふと竹松に疑問が浮かぶ。何故宗一はそこまで相手の内面を理解できるのか。宗一はお世辞にも女性にもてるような外見ではない。にもかかわらず何故二人の決意を理解できたのか。女遊びが激しいようにも見えず、むしろ奥手と思える。初美のように社交的な性格でもない。そんな宗一が何故、という疑問が頭から離れない。
「お兄さんってさ、そんなにもてるようには見えないんだけど……」
「ああ、お兄ちゃんが相手の内面に敏感なのはちゃんとした理由があるの。あれでも言い寄ってくる女は結構いたんだから。でも全員まともじゃなかったけどね。タケちゃん、お兄ちゃんってお金持ちに見える?」
「いや……そういう感じには……」
「お兄ちゃんさ、両親からこの近辺の山を遺産で受け継いでるの。相続税で半分くらい山を売ったけど、それでも裏山とほかにいくつかの山は残ってるから、所謂大地主なの。で、当然その遺産目当てに近づいてくる女は多くて、一時高速道路が通るかもしれないって噂が出た時は本当に酷かったんだ。で、お兄ちゃんも女慣れしてないから最初はすごく喜んでたの、だってモデルやアイドル、女優さんみたいに綺麗で可愛い女がたくさん言い寄ってくるんだから。でもそれが全員自分の持ってる土地目当てだって気付いて、すごく傷ついたの」
「その中には本気で好きになってくれた女もいたんじゃ……」
「ううん、それはなかったって言ってた」
確かに言い寄る女が多ければ、その中の数人くらいは本気で恋に落ちた女がいる可能性も捨てきれない。そもそも竹松でも付き合った女が本気で自分に恋しているかなど簡単にはわからない。初美のようにストレートに伝えてくる女は別だが。
「お兄ちゃんが昔言ってたんだけど、相手が自分を見てるかそうじゃないかが分かるって。言い寄ってきた女はみんなお兄ちゃんのことを見てるようで見てないって。お兄ちゃんを通り越して、お兄ちゃんの後ろにある土地やお金を見てるんだって。それって悲しくない? 自分は相手のことを見てるのに、相手は自分を見てなくて、見てるふりをされるって」
「それは……辛いね……」
宗一は自分のことをあまり話さないし、常に落ち着いた印象を持っていた竹松にとって初美の言葉は意外だった。どれだけの数の女性が宗一に言い寄ったかまでは知らないが、少なくとも自分であれば一度そのようなことをされれば十分女性不信に陥ると竹松は感じた。さらに言えば言い寄ってきた女全員が皆そうだったとは、もはや拷問の域である。
「でもさ、シェリーちゃんもフラムちゃんもお兄ちゃんのことをちゃんと見てくれてる。もちろん彼女たちの世界にも政略結婚みたいなのはあるらしいけど、あの二人はそんなのとは縁遠いからお兄ちゃんのことを素直に理解してくれてる。だから彼女たちの想いはお兄ちゃんにとっても必要だと思ったの」
「そうか……あれはシェリーちゃんとフラムちゃんの為だけじゃなくて、お兄さんのためでもあるのか」
「うん、だってお兄ちゃんはアタシのたった一人の肉親だし、それに……やっぱりこの家に暮らす皆が幸せなのが一番だと思うから……」
「そうだね……」
てっきり興味本位だとばかり思っていた竹松は自分の安易な考えを恥じた。行き過ぎた悪ノリであれば釘を刺そうと思っていたのだが、初美は彼の想定以上にシェリーとフラムのことを、そして宗一のことも考えていたのだ。楽観的な考え方の多い初美ではあるが、それは皆がそうあって欲しいと望むことを自分が率先して表現しているだけだったのだ。
そしてふと竹松は気付く。
「でもさ、お兄さん裕福なのに、どうしてこんな質素な暮らししてるの? もっといい家建てたりすればいいんじゃないの?」
「何言ってんの、タケちゃん。あの土地はアタシたちの両親を含めた先達が遺してくれたものなんだよ? 税金でかなり持ってかれたけど、生活費なんかのために売る訳ないじゃない」
「そっか……良かった」
「え? 何が?」
「初美ちゃんはとてもいい奥さんになってくれそうだなって」
「……馬鹿。そんなこと言ってないで仕事に戻るよ」
いきなりの予想外の言葉に顔を赤らめる初美と、それを嬉しそうに見ている竹松。宗一との婚約によって精神的にも支えられたシェリーとフラムだったが、そんな三人もまた大事な家族である初美に支えられているのだと改めて感じた竹松だった。
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