10.みんなの気持ち
「おはよう、お兄ちゃん。ゆうべはおたのしみ……痛っ! 何すんのよ!」
「何すんのよ、じゃねえ。昨夜のはお前の仕業だろ」
「あ、ばれた?」
「ばれるに決まってるだろ。あんな服作るのはお前くらいしかいないだろうが」
珍しく朝早く起きてきた初美がぬけぬけと挨拶してきたので、とりあえず脳天に拳骨を落としておいた。あれでばれないと思っているのが不思議だ。すぐにわかりそうなものだと思うが。
ちなみにシェリーとフラムは起きるなり初美の部屋に置いてある自分たちの部屋へと戻った。初美の部屋の戸が閉め切られていないかが心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。
「タケシさんが私たちと茶々さん用の扉を付けてくれたんです。なのでいつでも出入りできますよ」
とのことだった。勝手にそんなことをして、と怒るようなことはしない。武君には色々と俺たちだけでは気付かないことを対処してもらっているので、こちらとしては礼を言うことはあっても怒るのはお門違いというものだ。本人は家を勝手に弄ることに抵抗があるようだが、既に築数十年、下手をすれば百年は経っていようかという古民家だ。所々に親父の代でリフォームしてはいるが、それでもかなり古いことには違いないので、今更少しくらい弄ったところで目くじら立てるほどでもない。全面改修となれば話は別だけどな。
「そりゃ焚きつけたのはアタシだけど、シェリーちゃんもフラムちゃんも心の拠り所が欲しかったのは本当のことよ。でも他の人になんか絶対に任せられないでしょ、こんなことは。この世界でシェリーちゃん達に一番長く接してるのはお兄ちゃんなんだから」
「そうか……そうだな」
初美の言う通り、シェリーと最初に出会ったのは俺だ。この世界において一番長い時間接している人間だ。そして一番最初に理解者になったのも俺だ。
「あんな小さな身体なのに、悩んだり苦しんだりするのはアタシたちと大差ないんだから、それだけ負担が大きいかもしれないじゃない。小動物みたいにストレス抱えたら大変なことになる可能性だってあるんだから。だから二人が本当に心の底から安心できる存在になってほしいの。一緒に暮らしてるのにあの二人だけが苦しみを抱えてるなんて誰も望んでないから」
「まあな……」
俺も会社員時代はたくさんのストレスを抱えて身体を壊した経験がある。俺ですらそこまでになったのだから、シェリーたちの小さな身体で耐えきれるかどうかわからない。かといってそんな限界値を調べるようなことをするつもりは無いが。
「で、どうだったの? 一気にいった?」
「いくわけないだろ。とりあえず婚約ということで落ち着いた。焦る必要もないからな」
「そっか、でもきちんと受け止める姿勢を見せてくれたから、二人とも嬉しそうだったんだね。シェリーちゃんに聞いても何も教えてくれないし、フラムちゃんはベッドに潜っちゃったしで状況がわからなかったんだ」
「あの二人は真剣なんだよ。だからそんなに根掘り葉掘り聞こうとするな。お前だって色々聞かれるのは嫌だろう?」
「うん……まあね」
昨夜のことを思い出したのか、途端に顔を真っ赤にして言葉を濁す初美。
元はと言えば初美が武君とあれやこれやと始めてしまったから、シェリーとフラムが居場所が無くなった。まぁ恋人どうしが盛り上がってしまえば流れでそういうことになることもあるだろうし、それを否定するつもりはない。
でも俺はシェリーとフラムに対して、初美達に倣うようなことはしない。盛り上がった流れでとか、そういうことから始めるとかいう話もテレビや雑誌で見かけるが、それは基本的な知識や常識があることが大前提だと思う。しかし彼女たちはまだ知らないことのほうがはるかに多い。相手の無知に付け込むような真似をしたくないというのが俺の本音だ。
二人の存在そのものが非常にデリケートなものであるが故に、対処も細心の注意を払わなければいけないが、残念なことにどういう注意を払えば彼女たちにとっての最良なのかはまだ手探りの状態だ。しかしこれからより関係を深くしていくにつれて、次第にお互いにとっての最良を見つけていけばいい。決して急ぐ必要はないんだ。
「ま、お兄ちゃんが奥手なのはよく知ってるし、変な女に騙されやすいってことも知ってる。シェリーちゃんとフラムちゃんならそんなくだらない女みたいな真似はしないだろうし」
「……あんなのと一緒にするな」
初美の言葉に過去の嫌な記憶が甦る。さんざん振り回されたあげく、俺の心の中を全く見てもらえなかった、とても嫌な記憶が。
「ソウイチさん、どうしたんですか?」
「ソウイチ、何か嫌なことでもあった?」
「……いや、なんでもない。ちょっと嫌なこと思い出しただけだ」
昔を思い出して苦い顔をしているところを見られたらしく、居間へとやってきたシェリーとフラムに心配そうな顔をさせてしまった。彼女たちだって俺の過去の嫌な恋愛話なんて好んで聞きたいとは思わないだろう。だがいずれこんな話でも笑って話せるようになれればいい。そのためには少しずつ、一緒の時間を積み重ねていこう。
「何かあったら相談してくださいね、もう他人じゃないんですから」
「将来の夫を支えるのは妻の務め」
「あらあら、もう奥さん気分なのね。でもよかったわね、二人とも」
「はい、ありがとうございます」
「ハツミのおかげで私たちは幸せになることができた。いくら感謝してもたりない」
「そんなの気にしなくていいよ、この家に住む人はみんな幸せになってほしいって思ってるだけだから」
初美の口にした言葉はこの家に暮らす誰もが思っていることだ。誰かの辛い思いの上に成り立つ幸せなんて誰も望んでいない。家族の誰かが苦しんでいるのを見ながら、楽しく暮らすなんてできるはずがない。それは俺や初美も然り、武君も然り、シェリーやフラムは当然、さらには茶々だってそうだ。
甘ったるい考えだと一蹴されるかもしれないが、ここは世知辛い都会じゃない。自然に囲まれた田舎の一軒家だ。こんな辺鄙な場所の家の中くらい、甘い考えがあってもいいじゃないか。
無理だダメだと頭ごなしに拒絶するよりも、皆で力を合わせて頑張ってみることが先だ。もしそれがうまくいかなくても、また皆でやりなおせばいい。
シェリーとフラムはこの世界では異物とも言えるだろう。でも俺たちにとっては大事な家族だ。そして俺の婚約者だ。そんな大事な存在が悲しみにくれることなんてあっちゃいけない。誰かが悲しむなんてあっちゃいけない。それがこの家に暮らすみんなの気持ちだから……
この章はこれで終わりです。次回は閑話の予定です。
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