6.深夜の来訪
「それじゃ俺は寝るからな。シェリー、おやすみ。フラムも夜遅くまでネット見てるんじゃないぞ」
「はい、おやすみなさい」
「むぅ……私の扱いが酷い」
「いつも夜更かししてるからだろ、きちんと睡眠とらないと肌に悪いぞ」
「わかった、ソウイチのために綺麗になるよう早く寝る」
ここ最近のお約束のような会話を交わしてから自分の部屋へと向かう。部屋に向かって敷布団を敷くと、若干肌寒く感じたので羽毛布団の上掛けと肌掛けを押入れから出して用意する。天気予報では気温が下がると言っていたので、昨日のうちに日干ししておいたのだが、柔らかなお日様の匂いが温かさを感じさせてくれる。
最近の初美と武君は共同で仕事をすることが多く、食事以外は部屋にこもるようになった。何やら新しいフィギュアのブランドを立ち上げるようで、その下準備に奔走しているようだ。とはいえ広報的なものは武君に一任して、初美は製作に没頭しているようだが。武君もそれを受け入れているようなので、こちらとしても言うことは無いのだが。
ちなみに武君は食費と家賃代わりにと毎月いくらか渡してくれている。食費など一人分増えたところでどうということはないし、家賃といっても使っていない部屋を貸しているだけなので正直なところ貰うつもりは無かったのだが、光熱費や水道代、通信費という名目で貰っておいた。確かに電気代は以前に比べて増えているから助かることは助かる。ちなみにうちは井戸水をポンプでくみ上げているので上水道代はかからない。
部屋の灯りを消し、スタンドライトの灯りだけになった部屋で布団に入ってテレビを見る。とはいえこれといったお気に入りの番組があるはずもなく、天気予報をメインに各局をザッピングしていく。恋愛ドラマは見たところで共感するものもなく、かえって今の自分の状況が無意味なものに見えてくるので見ないことにしている。バラエティ番組もあまり見ない。
最近では近所の人たちとの会話に困らないように流行ものの話題や時事ネタを収集することに利用するのがほとんどで、他には日々の献立の参考になればと料理番組を見る程度だ。その程度なら見なくても同じじゃないかと言われそうだが、こうして漠然とテレビを見ながら眠気がやってくるのを待つのも自分の中では良いものだと思ってる。
秋も深まり肌寒さを感じるようになってきた部屋の空気と、次第に温かくなってきた布団の中との温度差が絶妙な心地よさを味あわせてくれる。これが大事な異性の温もりだったらどれほど幸せだろうと思い悩んだこともあったが、元々女性の機微に疎い俺が真剣に向き合ってくれるような相手に巡り合えることなどあるはずもなく、上辺だけしか見ない連中に振り回されて苦しんだ末に振られるという結果を何度も味わい、もう懲りた。偽りの温もりよりも絶対に俺を裏切らないこの温もりのほうが今の俺には大事なことだ。
テレビはやがて深夜帯に入り、どこの局も軒並みニュースを放送している。明日の天気を知るのにいつもこの時間帯の天気予報を参考にしている。出来るだけ遅い時間の天気予報のほうが信頼性も高いし、その予報によって明日の予定を変える必要があるからだ。冷え込みが厳しいようならハウスの気密性を高めなきゃいけないし、場合によってはボイラーを入れてハウス内の温度を上げてやらなくてはならない。
明日の天気が今日と大差ないことを確認すればもうテレビは視る必要がない。電源を切って部屋の灯りを豆球だけにする。真っ暗にしないのは周囲に民家がないので外から入ってくる灯りが全くなく、何も見えなくなってしまうからだ。そうすると夜中にトイレに起きた時に茶々を踏んでしまう危険性があるので、必然的にこうなった。最初こそ眠れないこともあったが、慣れれば問題なく眠れるようになった。さて、そろそろ眠るとしよう。
目を覚ましたのはまだまだ夜明けには程遠い深夜だった。部屋の入口の襖をかりかりと引掻く音が虫の声に混じって聞こえてきて、ふとここ最近の生活リズムの変化によっていつもの行動を忘れていた。
「……茶々か?」
「くーん……」
小さな声で呼びかければ、即座に小さな返事が戻ってきた。今までは茶々は俺の部屋で眠っていて、寒くなると俺の布団に潜り込んできて眠っていた。犬は喜んで庭を駆け回る、というような童謡の一節があるが、茶々は俺と一緒に家にいるときは寒がりになる。外で縄張りを見回る時は凍てつく木枯らしが吹こうとも平気なのに、家では一緒に温まろうとしてくる。おそらく多少の甘えもあっての行動だと思うが、甘えてくる仕草が可愛いので問題はない。
そして茶々が一緒に寝てる時は茶々がトイレに行きやすいように襖を少し開けて眠っていた。最近ではシェリーとフラムの護衛に忙しいのか、二人の近くで眠ることがほとんどだった。つまるところ二人の部屋が置いてある初美の部屋で、だが。なので襖を閉めていたんだが、どうやら今夜はこの部屋で眠りたいらしい。一体どういう風の吹き回しやら……
「どうした? 今日はシェリー達の護衛はいいのか?」
「くーん……」
「ほら、早く入れ」
静かに襖を少し開ければ、足元には見慣れたポメラニアンがお座りをして待っていた。入るように促すと、部屋の中には入るがいつものように布団に潜り込むようなことはなかった。最近構っていなかったから遊んで欲しいのかとも思ったが、そんな素振りも見せずに部屋の隅でお座りをすると、何かを待つように入口のほうをじっと眺めている。
「どうした? 何かあるのか? もしかしてトイレが汚れてるのか?」
「くーん……」
茶々は実はとても綺麗好きで、家にいるときは必ず決められたトイレでしか用を足さないし、トイレが汚れていれば掃除してくれと目で合図を送るほどだ。もしかしてトイレが汚れているから催促に来たのかと思ったが、どうやら違うようだ。もしトイレ掃除を要求しているのならすぐに俺を先導してトイレに向かうはずだ。
しかし茶々はずっと入口のほうを見たまま動こうとしない。抱き上げられるのを待ってるのかと思って手を伸ばせばその手をするりと掻い潜って反対側の隅に行っては再びお座りをした。何かを待っているようにも見えるが、こんな夜更けに何を待っているのだろうか。
「……ワンッ」
待ち続けることに痺れを切らしたのか、茶々は小さく一声吠えた。まるでいつまでたっても巣立ちをしない雛鳥に飛び立つように囀る親鳥のように。そしてその声に背中を押されたのか、襖の陰から小さな人影が出てくるのが見えた。それも二つ。
「そ、ソウイチさん……こんばんは……」
「ソウイチ……」
現れたのは寝間着姿のシェリーとフラム。ご丁寧に二人とも自分用の小さな枕を抱えている。シェリーもフラムも若干俯いて上目遣いで俺を見てくる。豆球の灯り程度ではよくわからないが、二人とも顔を真っ赤にしているようにも見える。最近はゴキブリも滅多に顔を出さないし、そもそもこの時間はシェリーの見回りも終わっている時間なので、いつもなら眠っている時間だろう。フラムはネット動画を見ているかもしれないが。
しかし初美の部屋で寝ているはずなの二人がどうしてここにいるのか。思いつく理由が全く見当たらない俺は二人にどう返していいのかわからなくなった。
「あ、ああ、こんばんは……」
我ながらとんでもなく間抜けな返しだとは分かってる。でもその程度の返ししかできないのは当然だと思う。何故なら二人の寝間着はいつもの者と全く異なっていたのだから。
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