5.突然の訪問
「とにかく顔を拭け。涙でぐしゃぐしゃだぞ」
「う、うん……」
寝起きにこの状況を知ったのだろう、涙でぐしゃぐしゃになった顔は我が妹でもちょっといただけない。妹自慢するつもりはないが、体型はともかく顔はいいレベルだと思う。眼鏡をやめてコンタクトにすればもっとモテるんじゃないかと思うんだが、本人曰く強いこだわりがあるようなので口出しをしないようにしている。
だがどれだけの時間泣き続けていたのか、真っ赤に腫れあがった目はなかなか元には戻らない。あまりこんな姿を男が見て良いものじゃないな。いくら身内とはいえ、ある程度の節度は必要だろう。
「俺は昼飯の支度してくるから、悪いが初美の相手を頼む」
「わかりました」
「わかった、任せて」
とにかく俺たちに出来る手立てはしたんだし、後は状況の変化を見守るしかない。もしこのまま終息してくれればそれでいいし、駄目ならまた何か方法を考えればいい。それをするにはまず体力だ。いくらトラブルに見舞われたといっても、動けるだけの体力をつけておかなきゃ対処することすらできない。
「あまり乗り気じゃないが、初美の好物を作ってやるか……」
幸いにも冷蔵庫の中には材料は揃ってるので、取り出して下拵えに入る。俺の基準では初美には物足りないかもしれないが、そこは勘弁してほしいところだ。ようやく部屋から出てきた初美がテレビをつけたのか、昼のバラエティ番組のテーマソングが聞こえてくる。このままうまく収まってほしいと願いながら、俺は準備に没頭した。
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「道はこっちで合ってる……んだよな?」
スマートフォンの地図アプリに住所を打ち込み、さらに地図と照らし合わせながら確認するけど、いまいち方向感覚がわからない。最寄りの駅までは辿り着けたが、駅員に話を聞こうにも無人駅なので聞く相手がいなかった。当然そんな駅にタクシーなんているはずもなく、仕方なくこうしてアプリに頼っていた。
とにかくランドマークになりそうなものがない。駅周辺にも商店らしいものはなく、周囲を見渡せば紅葉のはじまった山ばかり。ツーリングで来たのなら最高のロケーションだけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。あの初美ちゃんの動揺っぷりは尋常じゃなかった。浩二と別れた時だってあんなに狼狽したことなかったはずだ。
「とりあえず行ってみよう。ここで時間を潰すよりも、まずは動こう」
初美ちゃんの様子だと、事態は一刻を争う類のものだと思う。ならこんなところで油を売っていていいはずがない。周囲の風景に全く変化がないから不安になるが、とりあえず自分の勘とアプリを信じて進もう。そう決めて再びバイクに跨ると、山の奥へと進む道へとバイクを走らせた。
もう三十分以上進んだだろうか、途中にあった農家で話を聞くと、道は間違っていないらしい。この格好のせいでずいぶん疑わしい目で見られたが、初美ちゃんの友人だと言ったら妙に納得された。『東京の連中はすげえな』なんて言われたけど、東京の住人が皆こんなではないし、俺よりも奇抜な格好の人間は掃いて捨てるほどいるから。
鬱蒼とした森の中を続く道を山奥に向かってバイクを走らせる。道路わきには街灯もまばらにしかなく、夜になれば住人でなければ確実に道に迷いそうな場所だ。四輪であればカーナビが使えるだろうが、バイクではかなり厳しい。初美ちゃんに連絡したのが朝で良かったと本気で思った。
電線が続いているから民家があるのは間違いない。信じられないことだけど光ケーブルも来ていると以前初美ちゃんが言っていたことを思い出す。となればきっとこの先のはず。さっきの農家でも、この界隈では一番奥地に住んでると言っていた。田舎育ちだとは聞いていたけど、これほどとは思っていなかった。
うっかり見落とすといけないので、できるだけゆっくりとバイクを走らせると、脇道にまだ新しいタイヤの跡を見つけた。初美ちゃんのお兄さんは農業をしてるということなので、きっとこの道で間違いない。そのまま舗装されていない道を進めば、一軒の古民家がある。生垣のせいで中の様子はわからないけど、明らかに生活の気配がある。開け放たれた門からは軽自動車も見え、門の横には大手通販サイトの梱包箱が置いてあるから、誰かがいるのは間違いない。慎重に進むと、門には『佐倉』の表札があるので、ここで間違いない。
門の中まで乗り付けるのはさすがに無礼極まりないので、門の外にバイクを止めて歩いて中に入る。思わず視界に入ってしまったけど、すぐに目を逸らしたけど、あれは間違いなく女性の下着だった。しかも若い女性が好むようなタイプ。ここに来るまでに出会った女性は皆かなり成熟された女性ばかりだったので、やっぱりあれは初美ちゃんのなのか?
じっくり見てみたい衝動に駆られつつも足を進めれば、小さくだけど初美ちゃんの声が聞こえる。誰かと会話してるみたいだけど、相手の声は聞こえない。少なからず特別な感情を持ってる相手の声を聞き間違えるはずがない。しかも……その声は涙声だ。初美ちゃんの涙声なんて今まで一度も聞いたことが無かったので、聞いた途端に頭の中が真っ白になった。そして無意識のうちに走り出していた。
「初美ちゃん! だいじょ……ぶ……」
確かに初美ちゃんはそこにいた。目を真っ赤に泣き腫らして、全くのノーメイクだけど見間違うはずがない。居間のような部屋で座っていたけど、既に俺の目は初美ちゃんが向かう座卓の上にあるモノへと釘付けになっていた。
いや、モノじゃない。それは走ってきた俺のほうに向かって顔を向け、驚愕の表情を浮かべたからだ。しかも二体いる小さなフィギュアのような生き物、そしてそのうちの一体は浩二のアップした動画のキャラクターにとても酷似していた。服装こそ違っているものの、どうみても同じにしか見えない。
「初美ちゃん……それって……」
「どうしてタケちゃんがここにいるのよ……」
初美ちゃんは俺を見るなり、ゆっくりと立ち上がった。そして静かに口を開くと、衝撃的な言葉をぶつけてきた。
「タケちゃん、お願いだから……死んで?」
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