4.推論
「ソウイチさん! 大変です! ハツミさんが!」
昼飯の支度に家に戻ると、困惑した様子のシェリーが玄関先まで出てきていた。最近体調を崩しがちだった茶々も今日は動けるようで、ややいつもより大人しいながらも護衛するように後ろで座っている。初美が大変とはいったいどういうことだろうか。
「どうした? 何があった?」
「それが……ずっと泣いてばかりで何も話してくれないんです。今はフラムがついていますけど……」
シェリーはどうしたら良いかわからないといった感じで、話す言葉にも元気がない。そもそも初美が泣いているところなんてそう多くあることじゃない。特に大人になってからはよほど感情的に抑揚が激しくなった時くらい、それまかなりマイナスの方向に働かない限りじゃなければ泣いたりしなかった。となれば今はかなりヤバい状況だってことか?
「わかった、とりあえず行ってみよう」
シェリーを手に乗せて初美の部屋へと向かえば、扉の外にまで初美の泣き声が聞こえてきた。大人のしんみりとした泣き声ではなく、まるで子供のようなガン泣きの声だ。これほどまでに泣く初美の姿は両親が死んだ時以来かもしれない。猪の時とはまた違った感じの泣き方だ。
「初美、どうした?」
「お、お兄ちゃん……うわああぁぁぁん」
「お、おい、泣いてちゃわからないだろ」
俺の顔を見るなり、ベッドに座りこんだままさらに勢いよく泣き始めた初美。これじゃまるで俺が泣かせたみたいじゃないか。だがここまで泣きじゃくる初美の様子に少々心に引っかかるものがあった。一体何があってここまで泣いているんだ?
「ソウイチ、たぶんあれが原因」
声のするほうへ視線を落とせば、初美の足元でシェリーと同じように不安そうな顔をしたフラムが初美の作業デスクのパソコンを指差す。そこには動画投稿サイトの画面が表示されており、何らかの動画が再生された後だった。シェリーとフラムをデスクの上に乗せてその原因となったであろう動画を再生してみて、身体が動かなくなった。
「……これはシェリー?」
「え? 私?」
「……嘘だろ、どうしてこの動画がここにあるんだよ」
そこに映し出されているのは間違いなく俺が撮影したシェリーの動画で、初美に送ったものだった。だがそれがどうしてこんなサイトにアップされているのか。あれほどシェリーの存在を秘匿するべきだと主張していた初美がこんなことをするはずがない。この画像にはこの家を特定するような情報は映っていないが、もしここを特定されるようなことがあれば間違いなくシェリーとフラムに危険が及ぶ。書き込まれたコメントを見る限りはこの動画はCGだと思われてるようだが、もし現実に存在すると知れた場合にどんな事態に発展するのかなんて想像もしたくない。
「……アタシがいけなかったの……アタシが……」
「どうした? 何があったんだ? 落ち着いて話してみろ」
「うん……実はね……」
ようやく泣き止んだ初美がぽつりぽつりと話し出した。真っ赤に泣き腫らした目がどれほどの時間泣き続けたのかをうかがわせる。いつも飄々としている初美がこれほど取り乱すなんて、どんな裏事情があるんだろうか。だが決して初美がこの状況になることを望んでいなかったということだけは理解してやろう。初美が時折シェリーとフラムに向ける目がとても優しいものであることを知っているのは兄である俺だけなのだから。
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初美の話してくれたことは半ば推論のようなものではあったが、信用できると思った。これは決して身内びいきな訳ではなく、もし初美の話したことを俺だったらと想定したら、俺も同じように推測するからだ。
まず初美が昼食のために外出した時にデータを抜かれたのは間違いないだろう。となればそれを誰が行ったのかということだが、初美の部屋に飾られた寄せ書きから見ても同僚の犯行ではないと思う。そのメッセージのどれもが離職する初美に向けた感謝の言葉ばかりで、そんな人間に対してスマートフォンのデータを抜くなんてことをするとは思えない。
では外部の人間かというとその可能性は限りなく薄い。そもそも昼休み中に外部の人間が簡単に入り込めるような職場などないと思うし、規模もそんなに大きくない会社だったそうだから、知らない顔がいれば間違いなく誰かが気付く。そんな奴が社員のスマートフォンを弄っていたら、声くらいはかけるだろう。
それに、だ。初美はしっかりとロックをかけていたという。聞けばその番号はかなり特殊なもので、初美のお気に入りのアニメのキャラクターの一人の誕生日だという。初美曰く、ファンの間ではあまり人気が高くないキャラクターとのことで、そんなレアな情報を誰もが知っているとは考えにくい。それに初美がそのキャラクターを好きなことを知ってる同僚は少なく、初美の把握している限り一緒に昼食に出たという。
そうして消去法で該当する人物を消していった結果、残った人物がただ一人。初美と付き合っていて、シェリーが我が家にやってきた少し前に自然消滅的な形で別れた男。初美の会社の代表であり、昼休みに会社内をうろついていても誰も違和感を感じない人物。初美の借りていた部屋にも泊まりにきたことがあり、初美の趣味もよく知っている男。そして決定的なのは、あの動画を投稿したIDの持ち主であること。
初美の元彼、新村浩二という男がこの動画を投稿した張本人だということだった。
「でもこのサイトって通報すれば削除してもらえるんじゃないのか?」
「明確な理由がないと駄目なの……ただ削除してもらっただけだと、むしろこの画像が本物だって言ってるようなものだし」
「でもこのままにはしておけないだろ?」
「一応、あれは個人所有のものだからって理由で削除依頼はかけたけど、それがいつになるかわからないし……」
初美の言うことはもっともだ。あのサイトはかなり際どい画像も投稿されたりする。もちろん明確な犯罪画像などは運営側で即削除するが、特に有害と認められない画像はそのまま素通りされることが多い。後でそれが違法コピー動画だったりして、著作権が絡むという理由で権利所有者から削除依頼が出されて、いきなり動画が閲覧できなくなることがほとんどだが。
だが初美の言う通り、今の状況ではいつ削除されるかがわからない。もし削除されたとしても、その新村という男が再度アップする可能性だってある。そうなればイタチごっこでいつまでたっても終わることはない。なら俺たちに今出来ることは、二人を絶対に外に出さないようにして、あの動画についての対策を練ることだ。
だが果たして俺たちだけでどこまで出来るか……猪の時よりも、ドラゴンの時よりも大きな不安が心の奥底から湧き出してくるのを止めることはできなかった。
読んでいただいてありがとうございます。




