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巨人の館へようこそ 小さな小さな来訪者  作者: 黒六
恐るべき乱入者
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16.約束

 茶々が見上げるクヌギの巨木の一角、そこはクヌギならではの光景があった。木の表面から樹液が染み出し、そこに甘い香りに誘われた様々な虫たちが集まる。既に秋に入っているが、それでもまだ見ることができる光景である。


 カナブン、スズメバチ、そして……


「いやあああぁぁぁ!」


 後ろで初美の絶叫が聞こえる。だが森の中ではゴキブリは当たり前のようにいるので、ここでは初美に我慢してもらうしかない。そしてゴキブリを押しのけるようにしてくるのは羽化の遅れたカブトムシたち。カブトさんに比べれば大人と子供、グレートデンとチワワくらいの対格差があるが、これが普通のカブトムシの大きさだ。


「カブトさんの子供ですか!」

「いや、これで大人だよ。カブトさんが特別だったんだ」

「そうですか……」


 カブトさんを思い出したのか、シェリーが表情を明るくするが、あいにくこのカブトムシたちは普通のもので、シェリーを手に載せて近づけても逃げてしまうものばかりだった。他の虫たちもシェリーに興味を示すものはなく、肩を落とすシェリー。その様子を見ていたフラムが何か思いついたようにクヌギの表面に手を添える。


「……この大樹はドラゴンの血を養分にしている。いや、していたといってもいい。僅かだけど残滓を樹の中から感じる。でもごくわずかで今にも消えそう」

「そんなことが……いや、根元で血を流したのならそれもあり得るな。でもどうして急にそんなことを?」

「樹液は樹が作り出した栄養分。そのための土台としてドラゴンの血が使われたのなら、その力が混ざっていてもおかしくない。そしてきっと、あのハチはこの樹液に含有される力が最も強い時に摂取したので体と性格に変化を及ぼしたんだと思う」


 そう言われて思い出すのは異常なまでに巨大化したキイロスズメバチの女王。巣別れして単身越冬した後、この樹液でひたすら空腹を満たしたと考えれば、変化してもおかしくないということか。


「ドラゴンの血肉にはまだ謎が多い。かつてはドラゴンの肉を食べて強大な力を手に入れたという伝説もある。そう考えると、もしかするとミヤマさんもこの樹液を食べたんじゃ……」

「いや、その可能性は低いな。クワガタムシは幼虫の栄養状況で体の大きさが変わる。つまり樹液を摂取することはないんだ。だが別の考え方もある。これを見てみろ」


 フラムを手に乗せてクヌギの巨木の一部へと向かう。何らかの原因で折れた枝が土に突き刺さり、半ば朽ちていた。触ってみれば中身が詰まっているように感じなかった。


「クワガタムシはこういう朽木の中で幼虫が育つんだ。もしドラゴンの力を蓄えたまま折れて朽ちた枝で育ったのなら、その可能性は十分にある」

「カブトさんは違うんですか?」

「カブトムシの幼虫は腐葉土を食べるからな。でもひょっとして……」


 洞の中の腐葉土を掘り起こしてみると、そこには既に孵化した小さな幼虫がいた。だが大きさは目を見張るものじゃないが。


「きっとカブトさんはここで産まれたんだと思う。ドラゴンの血が染み込んだ腐葉土を食べて」

「そうか、だからあんなに知能が高かったのか。でももうドラゴンの力は感じないから、この子たちは普通のカブトムシになると思う」

「そう……カブトさんは特別だったのね」


 この幼虫がカブトさんのようになると思ったシェリーが表情を明るくするが、それが叶わないと知って肩を落とす。やはりカブトさんはイレギュラーだったんだろう。あんな巨大で利口なカブトムシたちが普通にいたらそれこそ大騒ぎだ。


「でもどこかにまだ存在してるかもしれないから……」


 二人を宥めようとして、ふと視界の隅に上の方からゆっくり下りてくる巨大な影を見つけた。それは俺たちが来たことで逃げ出した虫たちを押しのけるように、まさに王者の風格を纏って現れた。平べったい体は黒く、独特の太く平たい一対の大あごが印象的な、在来種の中では最大の大きさを持つクワガタムシ。


「マジか……今度はヒラタかよ.って後ろのはオオクワか?」


 オオクワガタは軽く十二センチオーバー、ヒラタは十五センチオーバーの、どう見てもギネス級の大きさだ。もしかしなくてもこいつらはこのクヌギの朽木で育った個体だろう。この山にもオオクワガタがまだ残っていたということに感動しそうになるが、事態はそれどころじゃない。気性が荒いはずのヒラタはオオクワを連れて俺の、いや俺の手に乗っているシェリーとフラムのところへやってきた。特に威嚇することもなく、じっと二人を見つめている。


「フラム! もしかしてこの子たちは……」

「たぶんドラゴンの力により変質したクワガタ。私たちに攻撃する気はないの?」


 フラムの問いかけに応えるように、触覚を動かすクワガタたち。恐る恐るフラムがヒラタの大あごに触れるが、それを嫌がるような素振りはない。それどころかもっと触れろと言わんばかりに体を押し付けてきた。


「フラム! また騎獣に乗れるわよ!」

「……」


 新しい騎獣の出現に喜ぶシェリー。しかしフラムはやや考え込んでから、静かに口を開いた。


「シェリー、この子たちは駄目。もう冬が来る。もう辛い別れはしたくない。だから連れていけない。ミヤマさんみたいな別れはもう嫌」

「フラム……」


 てっきりフラムが一番喜ぶかと思っていたので、この言葉は予想外だった。確かにミヤマクワガタが越冬したという話を聞いたことはないが、ヒラタもオオクワも確か……


「フラム、ヒラタもオオクワも冬越しするはずだぞ。五年くらいは生きるって聞いたことがある」

「……本当?」

「ああ、だけどまだこいつらは成長しきってない。ヒラタもオオクワも越冬してから成熟するはずだからな」

「よかったわね、フラム。一緒にいられるわよ」


 ヒラタとオオクワの生態を聞いて喜ぶシェリー。しかしフラムはそれでも表情を崩さない。ヒラタの身体を優しく撫でながら、さらに口を開く。


「それでも駄目。まだ未熟なうちは連れていけない。だから……冬を越して成熟したら来て欲しい。私はそれまで待ってる。それでいい?」

「フラム……」

「「……」」


 ヒラタもオオクワは当然ながら何も語らない。フラムはミヤマさんとの別れが相当ショックだったんだろう。そして未熟なうちに連れていき、冬を越せなかったときのことを危惧している。もう二度と悲しい別れを繰り返さないようにと自分を戒めている。それだけシェリーもフラムもカブトさんやミヤマさんのことを大事に考えていたんだな。


 正直なところ、俺はそこまでカブトさんたちのことを重く受け止めていなかった。たぶん子供の頃から何匹ものカブトムシやクワガタを飼育しては死なせてを繰り返してきたことで麻痺していたのかもしれない。シェリーとフラムにとってのカブトさんやミヤマさんは俺にとっての茶々のようなもの、日々の暮らしを支えてくれる精神的支柱だったんだ。そういうことも理解できないなんて、俺はどうしようもないヤツだな。


「私は次の夏まで待ってる。だからまずは自分たちのことを優先して考えて。しっかりと成長した姿を見せてほしい」

「「……」」


 フラムの言っていることを理解したのか、クワガタたちは黙ってクヌギの樹液のほうへと戻っていった。しかし樹液を舐めるでもなく、いまだにこちらを向いていたが。フラムはそんなクワガタたちに小さく手を振ると、俺の方へと向き直った。


「これでいい。私もまだこの世界のことについては未熟。でも次にあの子たちに再会する時はもっと研鑽を積んでいる。そうでなければあの子たちの信頼を得るには至らない」

「そうね、私たちももっと強くならないといけないのよね。今度は私たちがあの子たちを護れるくらいに」

「うん、だから約束した。次の夏に会おうって」


 フラムの顔はこれまでにないくらいにすっきりとしていた。それは自分のするべきことを見つけたような、心の靄が晴れたような表情だった。ドラゴンが死に、元の世界に戻る手段を失って自分を見失いかけていたが、これから目指すものを見つけて頑張ろうとしている強さがにじみ出るようなとても良い表情をしていた。


 ドラゴンについてはまだまだわからないことも多いらしく、これからはドラゴンの死骸を詳しく調べていく作業が続くらしい。俺に出来ることといえば食事の世話くらいのものだが、少なくとも初美に料理を作らせるようなことはしない。シェリーもフラムもあのドラゴンの惨状を見て食べたいなんて気は起きないだろうからな。


「ねぇお兄ちゃん、早く戻ろうよ。Gがいるよぅ……」

「そうだな、戻って朝飯にするか」

「私もお腹が空きました」

「私もすいた」

「ワンワン!」


 フラムの表情が明るくなったのを見て茶々も尻尾を振って喜んでいる。茶々がここに導いてくれたからこそこの結果があったと思うと、茶々には感謝してもし足りないくらいだ。今日の朝食には大好物のチーズ入りササミジャーキーを一枚追加してやろう。そんなことを考えながら、母屋へと向かう道すがらふと思った。


 茶々をあのクヌギの木のところに連れて行ったことは一度もなかったはずなんだけどな。

この章はこれで終わりです。次回は閑話の予定です。


読んでいただいてありがとうございます。

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