15.巨木
「ワンワン! ワンワン!」
「ん……どうした茶々、こんなに朝早く」
「ワンワン! ワンワン!」
フラムが正式にミヤマさんに別れを告げた翌朝、昨夜は体調が悪そうだった茶々が元気いっぱいに部屋に来て吠える。元気になってくれたのはいいが、まだ夜明け前で外も暗い。こんな時間に何をさせようっていうんだ?
「ワンワン! ワンワン!」
「わかった、わかったから上に乗るな」
いつまでも布団から出ようとしない俺に痺れを切らしたのか、布団の上に飛び乗って跳ね回る。ただのポメラニアンなら可愛らしい行動だと言えるだろうが、中型犬サイズの巨大ポメに跳ね回られたら苦しくて堪らない。こいつ、それをわかってやってるな。
眠い目を擦りながら起き上がれば、早くしろと言わんばかりに吠えながら部屋の中を走り回る茶々。いくら元気になったからといって、ちょっとテンション上がり過ぎじゃないのか?
「お兄ちゃん、茶々がうるさいんだけど。アタシの部屋まで来て吠えてたんだけど、お兄ちゃんのところにも来たのね」
「チャチャさん、元気になって嬉しいんでしょうか?」
部屋から出れば初美とシェリーが居間に来ていた。どうやら俺のところより先に初美の部屋でひと騒ぎしたようだ。初美は露骨に寝不足の顔で、シェリーはいつも通りの顔で茶々の行動を不思議がっていた。
「ワンワン! ワンッ!」
「どうした? 何があった? 何かいるのか?」
「ワンッ! ワンワンッ!」
「ん? 外? 外に誰かいるのか?」
しきりに外に向かって何度も視線を送るので、もしかしたら誰か来てるのかとも思ったが、いくらなんでもこんな夜明け前にこの家に誰かが訪ねてくるなんてないはずだ。渡邊さんなら来る前に携帯に電話くれるし、そもそも常識人だからこんな時間にはよほどのことがない限り連絡してこないはずだ。
少しだけ雨戸を開けて外の様子をうかがうが、夜明け前の紫色の星空が広がるだけで、人の気配なんて全く感じられない。獣の類が入り込んでるのかとも思ったが、いくら耳を澄ましても虫の声が聞こえるだけで、異変と呼ぶほどのものはない。
「ワンワン! ワンワン!」
「どうした茶々、何がしたいんだ」
「……チャチャはきっと一緒に来て欲しいんだと思う。違う、チャチャ?」
「ワンッ!」
遅ればせながら入ってきた、枕を抱えて眠そうな顔のフラムの言葉に茶々は『正解』といわんばかりに一際大きく吠えた。茶々が一緒に来て欲しいところなんてあるのか? ここ最近はシェリーたちの護衛があるから毎日の日課だった周囲の山の見回りは出来ていなかったが、何か異常でも起こってるのか?
「……わかったよ、一緒に行くから待ってろ。今着替えてくるから」
「あ、アタシも行くよ。何だか妙に目が冴えちゃったし、たまには昔みたいにこのへんの山歩いてみたいし」
「お邪魔でなければ私も一緒に行ってもいいですか? このあたりの森の様子も見てみたいですし」
「私も行く。チャチャがここまで強く主張するには何か理由がありそうだから」
「ワンワン!」
結局皆で茶々と一緒に行くことになった。一緒に来てくれる人数が増えたことがよほどうれしかったのか、茶々はいつも以上に激しく走り回っていた。
**********
「茶々、本当にこっちなのか?」
「ワンワン!」
先導する茶々についていく俺たち。俺はいつもの作業着、初美は相変わらずの高校時代のジャージ、シェリーとフラムはそれぞれ冒険者装備に身を包んで俺の左右の胸ポケットに入っている。茶々は時折振り返ってきちんとついてきてるかを確認しながら先に進むが、日の出が近いとはいえまだ薄暗い山の中を進むのは少々骨が折れる。運動不足著しい初美はもうかなり息が上がっている。
「ね、ねえお兄ちゃん、この先にあるのって……」
「ああ、ここ最近行ってなかったが、まさかな……」
「この先に何があるんですか?」
「ん? いや、ずいぶん昔に初美と二人でよく来た場所だなと思ってな」
「この先に何がある?」
「……そろそろ見えてくるはずだ……ああ、やっぱりここだったか」
茶々が一足先に着いてお座りして俺たちの到着を待っていた場所にあったのは、樹齢百年は優に超えるクヌギの巨木があった。親父が小さい頃から既にこの大きさだったというから、もしかすると二百年以上生きているのかもしれない、この山の動物たちの拠り所になっている巨木だ。根元には大きな洞があり、小さい頃はそこで雨宿りしたりしたこともある。茶々はその洞の中でお座りして俺たちを呼び込むように吠えた。
「ワンワン! ワンワン!」
「どうした? 何かあるのか……うわ、何だよ、これは……」
「骨……だね」
ここは初美も幼い頃から知っている場所で、洞の中は風で吹き込んだクヌギの落ち葉が腐葉土化して、さらに落ち葉が重なり柔らかな土があるはずだった。いや、土は相変わらずそこにある。今までなかったものがそこにあるからこそ、俺も初美も眉を顰めたのだ。
散らばるのは骨。といっても人骨ではなく、明らかに獣の骨。しかもそんなに大きくなく、何かの子供のようなサイズだ。しかし頭骨の一部と思えるものを見つけた時、それが何かを理解した。
「うりんぼの骨か?」
「いっぱいあるね……」
洞の中を見れば、ぽっかりと中央部分だけ何もない場所があり、円を描くように骨が散乱している。まるで中央から周囲に向かって放り投げたような印象すら受ける。俺たちの様子を不思議に思っていたシェリーとフラムだが、フラムが突然何かに気付いたように俺に言葉をかけた。
「ソウイチ、降ろして。気になることがある」
「あ、ああ。気をつけろよ」
フラムは降りるなり、まっすぐに洞に向かって走り出した。骨が取り囲む真ん中あたりの土をしきりに調べた後、シェリーを呼んだ。
「シェリー、ちょっと来てほしい」
「すみません、降ろしてもらっていいですか?」
シェリーも降ろしてやると、すぐにフラムのところに駆け寄った。二人で洞の中の腐葉土を触ったり匂いを嗅いだりして何かを確認しているようだ。時間にして十数分、念入りに調べていた二人は何らかの結論を出したようだ。二人揃って洞を出ると、俺たちに向かって言った。
「ここはあのドラゴンのねぐらに間違いない。あのドラゴンはここで山の獣を喰らい、力を蓄えていた。あの骨はイノシシの子供、もしかするとソウイチが倒したイノシシの子供かもしれない」
「あの土にはドラゴンの気配があります。おそらく血を流した形跡じゃないかと思うんです。フラムの調べたところではフェンリルとの闘いで手傷を負ったそうですから、ここで動物たちを食べていたんでしょう」
とんでもない内容の話が飛び出した。しかしその話には説得力がある。散乱している骨は大きな口で一息にかみ砕かれたような感じで細かくされていた。この山で肉食の獣といえば野犬やタヌキ、近年見ないがキツネ、それにイタチあたりだが、どれもうりんぼの頭骨をかみ砕くような獰猛さはない。だがあのドラゴンの鋭い牙と強靭な顎ならこのくらいのことは平気でやってのけるだろう。
「すると奴はこの山の動物の味を覚えて何度もこっちに来てたってのか」
「その可能性が高い。いつもは誰の目にも見つからないように行き来していたけど、我慢できなくなって強引に出てきたと思う」
「マジかよ……」
ドラゴンが頻繁にあの穴から出入りしていたという事実に衝撃を受けた。こんな田舎だからと昼間畑に出るときは窓を開け放していたから、偶然鉢合わせしなかっただけで、いつばったりと顔を合わせてもおかしくなかったのか。運が良かったのか悪かったのかわからない。
いや、この時期だから運が良かったのかもしれない。もしこれが冬で食べるものが無い時だったらどうだろうか。防寒のために窓を閉め切った状態でドラゴンが暴れたらどうなっていただろうか。何も知らない俺たちにあの牙とブレスが襲い掛かるという惨劇が繰り広げられる。それでも満足しなければ、周囲の民家にも被害を及ぼすかもしれない。
「仕留めておいて正解だったな」
「うん、そうだね。……ところで茶々は何してんの?」
「木の裏側で何かを見つけたっぽいな」
俺たちのしたことが間違いじゃなかったことに初美と二人で旨をなでおろす。そんな中、茶々は木の反対側で何かを見上げていた。特に警戒するでもなく、吠えるでもなく、ただじっと見上げていた。
「どうした? 何があった……」
茶々が動かないので裏側に回ってみると、茶々が見ていたものがあった。それは俺が全く予想していなかったものであり、そして今までに起こったことがまだ続いているのだということを雄弁に語るものだった。
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