14.月光
結局その日の夕食時にもフラムは部屋から出てこなかった。シェリーがどんなに説得しても『食欲がない』と繰り返すばかりで、ベッドの上で布団をかぶったままだったそうだ。シェリー曰く、まだ自分に任せてほしいとのことなので、俺も初美も黙って見守ることしかできない。そんなフラムを気にしているのか、茶々もどことなく元気がない。いつものカリカリも半分くらい残している。
「茶々、どうした?」
「……クーン」
声をかけても力なく小さな鳴き声をあげて居間の隅のほうで丸くなってしまった。無事だったとはいえ、自分が護るべき対象と考えているフラムの落ち込んだ様子に心を痛めているのかもしれない。とりあえず夜に空腹を感じるかもしれないので、フラムのために簡単な夜食でも用意しておこう。
異変に気付いたのは、夜中に喉が渇いて目が覚めた時のことだった。最近夜の間はつけっぱなしにしている豆電球の微かな灯りによって照らされている居間のほうから、すすり泣く声が聞こえてくる。俺には霊感などないし、我が家にそういった類の怪奇現象が起きたという前例もない。まぁドラゴンの出現そのものが相当レベルの高い怪奇現象のようなものだが。
居間に足を踏み入れて様子をうかがえば、鳴き声は居間と台所を繋ぐ引き戸のあたりから聞こえてくる。そっと近づいてみると、段ボール箱の前で座り込んでいる小さな二つの人影。一人がうつむいて、もう一人が肩を抱いて慰めているようだ。
「どうしたんだ、こんな夜中に。シェリー、フラム」
「ソウイチさん……」
「ぐす……ソウイチ……」
振り向いて俺を見上げるシェリーとフラム。しかしその顔はくしゃくしゃの泣き顔だった。
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「実はあのドラゴンが持っていたはずの竜核が見当たらなかったんです」
「竜核? ドラゴンの力の源になるっていうやつか?」
「はい、ドラゴンを倒したとしても、それがあれば再びゲートを開けるかもしれないって考えていたんです」
「それで倒すことに拘っていたのか……」
泣きじゃくるフラムに代わってシェリーが説明してくれた。たしか喉のあたりにあるとか言ってたんじゃなかったか? 考えてみればドラゴンがあの穴を繋げたのなら、その力の源となるものを手に入れれば自分たちでも繋げられると考えてもおかしいところはない。魔法についての知識のない俺たちならともかく、ここには元の世界で賢者と呼ばれていたフラムがいる。彼女ならいずれ帰還できる方法を見つけ出すだろう。竜核はそのための最低条件ということだったのか。
「でも……解体の時にどこにも見当たりませんでした」
「死んだら無くなるとか、そういう話はないのか?」
「竜核は力の源です。ドラゴンが死んだ場合は急速に減衰しますけど、それでも一日で消えてしまうようなことは無いはずなんです。でもそれが無いということは……」
そこまで言って言葉を切り、俺を見上げるシェリー。彼女の言いたいことはわかる。あの時にドラゴンの頭部を破壊したのは俺のライフル弾だ、そしてドラゴンの頭を爆ぜさせたのは何か、ということだ。
「竜核を撃ち抜いた、ということか」
「それが一番可能性が高いんじゃないかと……」
「そうか……」
着弾のショックで頭部が破裂する可能性もあるだろうが、竜核というものが力の源で燃料タンクの一種と考えれば、撃ち抜いたせいで破裂したと考えるのが妥当だろう。つまり……
「俺が二人の帰還の可能性を摘んだということか……」
「それは……違う……あの選択は間違いじゃなかった……」
「フラム……」
俺とシェリーの会話を俯いたまま聞いていたフラムが割って入ってきた。未だ涙を零しながらではあるが、彼女は俺の言葉を否定した。
「あの時、一番破壊力のある攻撃はライフルだった。ライフル弾では竜核を爆散させることは難しい。可能性があるとすれば私の施した紋様のほう。紋様の魔力に反応してしまったと考えていい」
フラムは立ち上がると、段ボール箱に手を触れる。その目はどこか懐かしいものを見るような、それでいて悲し気な目だった。
「私の見通しの甘さで大事なものが無くなった。ミヤマさんを失い、元の世界に帰る可能性も。それがとても悔しかった。でもそれを気付かれたくなくて平然を装った」
「フラム、先の事なんて誰にもわからないのよ。それにミヤマさんはあなたが大事だから、その身を以ってあなたを護ったの。ならあなたが悲しみ続けることなんて望んでないと思うわ。それに可能性が完全に消えた訳じゃないでしょ? これから色々研究していけばいいんだし。そのための知識がここにはあるじゃない」
「シェリー……」
「それにね、あなた一人で抱え込む必要はないのよ。私もいるし、ソウイチさんやハツミさんも、チャチャさんだっている。あなたが悲しんでいたらみんなも悲しいのよ。だから……そんなに悲観しないで」
「でも……ミヤマさんが……」
「ミヤマさんがそう長く生きられないかもしれないことはわかっていたでしょう? それを克服させるためにドラゴンの竜核が欲しかったのかもしれないけど、そのためにフラムが死んだら意味無いじゃない」
「……うん」
「壱号たちが死んで悲しいのは私も同じ。だからフラムが無理して平気なふりをしてはしゃいでいるのに気付いたけど、私もそれに同調したのよ、少しでも悲しみを耐えられるかと思って。でもね、やっぱりそんなのはおかしいの。辛いなら皆で助け合わなきゃね」
そうか、フラムはミヤマさんを長生きさせるために竜核が欲しかったのか。確かにミヤマクワガタが越冬したという話は聞いたことがないし、竜核の齎す変化を期待していたということだろう。それだけフラムもミヤマさんのことが好きだったんだな。ドラゴンを倒した時に喜んで見せたのは、悲しさを吹っ切ろうと二人でやせ我慢してただけだったのか。そんな辛い思いを抱えていたことにすら気付かないなんて俺も駄目だな。
「俺たちに出来ることがあれば何でも協力する。ま、他人に見つかるようなことは勘弁願いたいけどな」
「ソウイチ……ありがとう……ありがとう……」
「ソウイチさん、ありがとうございます……」
「まずは顔を拭け、そんなにくしゃくしゃだと可愛らしい顔が台無しじゃないか」
「「……」」
差し出した手ぬぐいの端で顔を拭い、そして真っ赤に染まる二人。こんなに小さな体でも立派な女の子、涙に塗れた顔を見られて恥ずかしかったのかもしれない。もうちょっと気を使ってやるべきだったか。顔を拭ってからしばらくして、フラムが静かに口を開いた。
「ソウイチ、今からミヤマさんのところに連れて行って」
「ミヤマさんの……ああ、庭の墓にか」
「うん、私はまだミヤマさんにきちんと礼も別れも言ってない。命を救われたのにそれはあまりにも失礼」
「ああ、わかった。シェリーも付き合ってくれるか?」
「ええ、もちろんですよ」
縁側の雨戸を少し開けて外に降りると、二人を手に乗せて庭の一角へと向かう。やや時期遅れにもかかわらず旺盛な成長のヒマワリの隣にある小さな塚の前で二人を下すと、フラムはその前で静かに跪く。まるで許しを乞うかのように両手を組み、目を閉じて言葉を紡ぐ。
「ミヤマさん、ありがとう。あなたのおかげで私は命を繋ぐことができた。あなたと一緒の時間は私の最高の宝物になった。私はあなたの勇姿を生涯忘れない。どうか安らかに眠って」
フラムが言葉を紡ぎ終えると、雲に隠れていた月が顔を出す。まるで意思を持ったかのようにミヤマさんの眠る塚を照らすその様子は、どこか幻想的であり、荘厳な雰囲気を醸し出す。
「ありがとう、月の神。あなたの導きでミヤマさんが彷徨わぬように……お願いします……」
時間でいえば数分も経っていないだろう。月明りは再び雲により遮られ、周囲には再び夜の帳が下りて闇が支配する。しかしフラムの顔は先ほどまでの生気の無いものから、明らかに活力に満ちたものへと変わっていた。
「私はこの世界のことをまだまだ知らない。探せばきっと戻る方法が見つかるはず。こんなところで挫けていられない。ミヤマさんもそれを望んでいるはず」
「そうよ、フラム。私も手伝うから頑張りましょう」
「俺に出来ることがあれば遠慮なく言ってくれ」
やるべきことを見つけて元気の戻った二人を手に乗せて母屋へと戻ると、初美が立っていた。茶々は寝ているようだが、もう夜も遅いので無理して起こす必要もないだろう。
「元気が戻ったみたいね」
「ハツミにも心配かけた。これからはもっと力を貸してほしい」
「当然でしょ。いくらでも力貸すからね」
そう初美に言われて少し考え込む仕草を見せるフラムだが、しばらくして顔を真っ赤に染めながら俺のほうを見た。一体どういうことだろうか。
「ソウイチ、とても大事な頼みがある」
「お、おう、どうした?」
真っ赤な顔でやや上目遣いになりながら、俺の機嫌をうかがうような仕草で話すフラム。とても大事な頼みとはいったい……
「お腹がすいた。何か食べ物がほしい」
「ああ、そういうことか。安心しろ、夜食を用意してあるから」
「ありがとう、ソウイチはとても頼りになる」
いつも身体に似合わない量を食べるフラムが夕食を食べていなかったのだから、この時間に腹が減るのも当然だろう。こんなこともあろうかと夜食を準備しておいてよかった。
ちなみに用意した夜食では全く足りず、追加を用意する羽目になったが。
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