12.接近遭遇
やけに居間で茶々が騒いでると気づいたのは、部屋の灯りを消してしばらく経ってのことだった。茶々の騒ぎっぷりから察するにハクビシンあたりが入り込んだのかとも思ったが、そのくらいなら茶々の気配を察した時点で逃げ出しているはず。となれば何が?
居間の灯りをつけてみれば、尻餅をついたまま茶々にのしかかられているのは数年ぶりに見る妹の姿。
「何やってんだお前ら」
「うぷ……茶々どいて……ただいま、お兄ちゃん」
乱れた髪をそのままに、茶々をどけながら照れ笑いする初美。まさかこんなに早く来るとは思ってなかったな。
「てっきり明日来るもんだと思ってた」
「何とか終電に間に合うように仕事切り上げたからね。ところでシェリーちゃんは?」
「ん? いないのか?」
シェリーに用意した寝床に姿がない。かといって外に出たとは考えにくい。見回せば座卓の脚の陰で怯えた様子のシェリーがいた。これは初美の行動力を考慮しなかった俺のミスだな。
「シェリー、心配しなくていい。こいつは初美、俺の妹だよ。色々と手助けしてもらおうと思って呼んだんだ」
「……食べたりしないですよね?」
「する訳ないだろ」
説明してやれば恐る恐るといった感じで出てくるシェリー。いきなりこんなのがやって来れば驚くのも当然か。実の妹とはいえ、もう少しまともに入ることが出来ないのは情けない。
「あの……お兄ちゃん? シェリーちゃんの声聞こえないんだけど」
俺とシェリーが会話してるのを見て怪訝な表情を浮かべる初美。そういえば初美にはまだ聞こえないのか。
「シェリー、悪いが初美にも声が聞こえるようにしてもらえるか?」
「は、はい、『風よ、我が声を彼の者へと届けよ』」
シェリーが言葉を紡ぐと、閉め切った室内にもかかわらず微風が吹く。見ればシェリーの両手がぼんやりと光っているようにも見える。そんな不思議な光景を食い入るように見ていた初美は身体を震わせている。
「こ、これが魔法……」
「お、おい初美、大丈夫か?」
おそらく感動に打ち震えていたであろう初美はしばらくして何か考え込むようにして黙り込んだ。豹変したその様子に思わず声をかけてしまう。
「お兄ちゃん、アタシに最初に連絡くれて正解。こんなの誰かに見つかったらとんでもないことになるよ。そういう意味ではここが田舎で良かったかも。今ほど自分が田舎の出身で良かったと感じる」
「……それほどか?」
「うん、間違いなく騒ぎになるよ。アタシも全面協力するから……って何コレ?」
初美が目を留めたのは居間の中央に置かれたりん布団。俺がシェリーの為に用意した寝床だ。
「何でりん布団なんか使ってんの? きちんとした寝具つかわないとダメじゃない! ああもう、これだから男の一人暮らしは!」
「まさか俺たち用の寝具使う訳にはいかないだろ? ちょうどいいのがこれしか無かったんだよ」
「……だと思ったわ。ちゃんと準備してあるから」
「いやお前、この状況で二度寝できるはずないだろ」
シェリーは未だ怯えの色を隠せていないし、茶々は初美がシェリーに危害を加えるかもしれないと警戒して唸ってる。こんな状況でもう一度寝るなんてことは余程図太くないとできない。できないはずなんだが……
「そう言えばアタシ昨日徹夜だったんだ。眠いからとりあえず寝るね」
「お前な……」
初美は大きな欠伸をすると、居間に大の字になって寝息をたてはじめた。思わず言葉を失ってしまうが、こいつのマイペースっぷりは全く変わっていないことに笑みが浮かぶ。そんな様子を見ていたシェリーがようやく座卓の陰から出てくる。
「妹さん……ですか?」
「ああ、昔からこんな調子だけど自分に正直なだけだから害はない……と思う。俺としては上京して変わってないことに安心したよ」
「……大事にしてるんですね」
「今じゃたった一人の肉親だからな。俺も迷惑かけたし、好きなように生きてほしいと思ってる。今回のあれはちょっとばかりやり過ぎだったけどな」
「……はい、すごく怖かったです」
「茶々もありがとうな、シェリーを護ってくれたんだろ?」
「ワンワン!」
おすわりしてぶんぶんと尻尾を振りながら、胸を張って吠える茶々。褒めてやれば嬉しさを表現するかのように、さらに勢いよく尻尾を振る。
「チャチャさん、ありがとうございます」
「ワン!」
シェリーが微笑みながら茶々の足を撫でれば、茶々は安心させるように一声吠えてからその顔を舐める。どうやら茶々にシェリーを害する気がないということを理解したらしく、そこには昼間のようなおどおどと怯えた様子はない。
気付けば外では一番鶏が鳴き、夜明けが近いことを教えてくれる。俺は僅かでも睡眠が取れたからいいが、シェリーはほとんど眠れてないんじゃないか?
「シェリー、眠いだろ?」
「……実は少し……」
「茶々、一緒に寝てやってくれるか?」
「ワン!」
やはりいほとんど眠れていなかったようで、目を擦りながら言うシェリー。茶々と一緒なら何かあっても護ってくれるだろう。茶々は俺の言葉に「任せて!」と言わんばかりに一声吠えると、シェリーの傍で丸くなった。
「チャチャさん、お邪魔しますね」
「ワン!」
シェリーが茶々に断りを入れてふかふかの獣毛に寄りかかれば、茶々も「了解」とばかりに返事をする。茶々の体温により温まったせいか、シェリーは間もなく小さな寝息を立て始めた。
「茶々、畑に行ってくるから後を頼んだぞ」
「ワン」
シェリーを茶々に任せて、畑の様子を見に行くことにする。シェリーの朝食に採りたての野菜を出そうかなどと考えながら、うっすらと明るくなり始めた空の下、作業着に身を包む。今日も騒がしい一日になりそうな、というか確実になるだろうと覚悟しながらも、久々に人の気配の増えた我が家を後にした。
これで第一章は終わりです。
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