8.劣勢
「これで材料の準備はいいかな。後は調味料を準備して炒めるだけね」
まな板の上にはみじん切りにされた野菜と肉、そして麺。普通は麺を細切れになんてしないけど、シェリーちゃんとフラムちゃんが食べられる大きさというとこのくらいにしないといけない。アタシたちにはちょっと食べ辛いけど、今回の料理は二人のために作るんだからお兄ちゃんには少し我慢してもらおう。
で、調味料なんだけど、作り方の説明には規定量の水で薄めて最後に加えるって書いてあるんだけど、そのまま作るんじゃ味気ない。そもそもアタシが作るんだからアタシのオリジナリティを出したいところよね、これでもクリエイターなんだから。となればやっぱりアタシ好みの味付けにしよっかな。
「……全く、そんなに待ちきれないのかな?」
居間の方から妙に騒がしい声が聞こえる。茶々の声が聞こえるから、待ちきれなくて怒ってるのかもしれない。後は炒めて味付けするだけだからもうちょっとだけ待っててほしい。そりゃ下準備にちょっとばかり時間がかかったかもしれないけどさ。
ずっと昔から家で使ってる大きな中華鍋に油をひいてまずは麺を炒める。人によっては少し焦げ目をつけてパリパリに仕上げるのがいいっていうけど、アタシは柔らかいままのほうがいい。だって固く焼いたらただのかた焼きそばになっちゃうじゃない。これから作るのはあんかけ焼きそばなんだから。
麺を炒めるのは問題ないとして、重要なのは味付けよね。好みの味付けはいいんだけど、やっぱりパンチの効いた味にしたいから……となればもちろんアレしかない。中華鍋に油をひいて肉と野菜を炒めて、火が通った頃合いで水で溶いた調味料を入れる。でも火を通しすぎるとトロミがついて追加の味付けが混ざらないから、早いうちにアタシの好きな調味料であるアレを入れる。面倒くさいから目分量で入れてたら、一瓶の半分以上入っちゃったけど、このくらいのほうがパンチがあっていいと思う。
「ん、いい色」
鼻に抜ける香りは満足のいくものだった。見た目も綺麗で、さすがアタシって自分で自分を褒めてやりたくなる。後はもう少し煮込んでしっかりトロミがつくのを待つだけ。これをしないとシャバシャバの水っぽいあんかけになっちゃうから。
「でもほんと、何してるんだろ?」
居間ではまだ何やら騒いでるけど、こっちに言ってこないということは……もしかして『G』がいるのかな? だとすればアタシはここで待機だ。食事前に見たいものでもないし、アタシはあんかけの出来具合をチェックしなきゃいけないから。だからアタシの料理が出来るまでに片付けておいてね、麺にあんをかけるところは居間でやるから。それがあんかけ焼きそばの醍醐味だから。
**********
まさかアイツにあんな芸当が出来るなんて思ってもいなかった。ドラゴンが吐くブレスといえば、その射線上にあるものを全力で薙ぎ払うばかりと思っていた。当然ながら全力のブレスには溜めの予備動作があり、その間に何かしらの対応をすることが出来る。しかしアイツは私の予想外のことをやってのけた。
「まさか……加減した?」
ブレスの威力を抑えて、溜めを極力失くしたせいで予備動作がほとんど無かった。しかし奴もそんなことをしたことがなかったのか、ブレスは私たちから逸れて壁を焦がした。もし全力なら大穴が開いていたかもしれない。しかしその焦げ跡のそばにあるものを見て私は愕然とした。まさかあの場所を故意に狙ったのであれば、絶対に奴を許すことは出来ない。
「フラム! あいつブレス撃ったわ! でもあんなに小さい威力だったかしら?」
「あいつは手加減している。全力を出すまでもないと侮っている。それが間違いだと思い知らせてやる」
あいつがブレスを放った先には居間のテレビがある。もしあのブレスがテレビを直撃していたら、私は日曜日の朝を絶望の中で迎えなければならない。そんなことは絶対に認められない。
しかしあのブレスを防ぐには、こちらも魔法を即座に放てるようにしなければならない。だがそれは魔法の威力と引き替えにしなければならず、並みの威力の魔法では奴の障壁に阻まれてしまう。シェリーのように剣を使う者であれば、魔法に剣のイメージを重ねることで障壁を切り裂くことができるけど、生憎私は剣技が不得手だ。
「シェリー、また『ウィンドスラッシュ』で障壁を切り裂いて。そこに魔法を集中させる」
「わかったわ! ってちょっと待って!」
「くっ! 『マジックシールド』」
こちらの思惑などお見通しだと言わんばかりにブレスを放つドラゴン。威力を落としたブレスは防御魔法で防ぐことができるけど、決して直撃していいものじゃない。威力を落とされているとはいえ、掠っただけでも致命傷になるのは必至の攻撃であることに変わりはない。ブレスの威力は『マジックシールド』で相殺できるレベルだけど、連発されてはこちらの攻撃魔法を放つ余裕が無くなる。弾かれたブレスが溶けるように消えていく様はとても綺麗なんだけど、それを楽しんでいる余裕はない。
「シェリーは攻撃に集中して! ブレスは私が防ぐから!」
「任せて! まずは飛ばせないようにするわ!『ウィンドスピア』」
『グルアアァァ!』
シェリーの魔法は剣を媒体にしているので発動も早く、かつ剣の特性を持ち合わせているので鋭さがある。決して一撃の重さは無いけれど、切れ味は一級品だ。そして今放たれた『ウィンドスピア』は剣に纏わりつかせた風の刃を回転させて槍のように放出するもの、魔法としての速度もあり、シェリーの持つ魔法の中でも上位に入る。放たれた魔法はドラゴンの翼の被膜に当たり、大きな裂傷をつける。致命傷には程遠いけど、一時的に飛行能力を奪えたのは僥倖だ。被膜はすぐに再生してしまうけど、それまでは飛行魔法を展開できないはず。
空という優位性を封じられたことを理解したドラゴンは悔しそうな声を上げる。しかしそれは奴の攻撃力を奪った訳じゃない。あくまで機動力を封じただけで、攻撃力と耐久力はそのままだ。さらに言えばこれから先の攻撃はより苛烈になることは容易に想像できる。でもシェリーを責めるつもりはない。この状況で飛行されたら魔法を当てることすら困難になるので、魔法を当てやすくなったのはこちらにとって大きな一歩なのだから。それに……
「ワンワン!」
『グアァ!』
飛行出来ないということは、チャチャの攻撃も当たるということ。ブレスのせいで懐に入れないでいるけど、尾の先に噛みついてドラゴンのバランスを崩してくれている。そのせいで奴は私たちに集中することができないでいる今がチャンスかもしれない。この間に強力な魔法を完成させれば……奴に勝てる!
そう思って魔法の構築に集中したのがまずかった。チャチャは必死に攻撃しているけど、ドラゴンのような形態の獣と戦った経験が無いということを見過ごしていた。ドラゴンの弱点は喉、ブレスなどを制御するために喉元に魔力経路が集中する場所がある。そこを攻撃しなくては意味がない。
「キャンッ!」
魔法の構築に集中しながら声のしたほうに目を向ければ、チャチャがドラゴンの尻尾の攻撃を受けて撥ね飛ばされた。幸いにも大きなダメージを受けていないようだが、妨害されなくなったドラゴンは私たちに向かってその太い尾を叩きつけようとしてくる。シェリーの魔法では勢いを殺すことは出来ず、私は魔法の構築に集中しているために防御魔法を発動できない。
このままでは尻尾の直撃を受けてしまう。あれほどの質量を叩き付けられたら、私たちはどうなってしまうだろう。チャチャのように弾き飛ばされるだろうか、いや、そんなことにはならないはず。あれは全身をしなやかな筋肉に包まれたチャチャだからこそ耐えきれたのであって、私たちならぶつかった瞬間に潰れてしまうだろう。それこそ羽虫の如く。
私たちに向かって迫ってくる巨大な尾が異様なほどゆっくりに見える。これがテレビで見た走馬燈というものなのだろうか。私はシェリーのように身軽に躱すことなんてできない。いや、シェリーだって攻撃に集中していたから対応できるかどうかすらわからない。
尚も迫ってくる巨大な尾、今から魔法を構築しなおして防御するには時間が圧倒的に足りない。かといって押し返すには絶望的に力が足りない。奴の強固な障壁を貫くだけの力も足りない。奴の注意を引き牽制してくれる仲間も、隙をついて近接攻撃してくれる仲間も、何もかもが足りない。足りない。足りない。
こんな惨めな気持ちで終わりたくない。この素晴らしい世界で素晴らしい知識に出会い、素晴らしい理解者と出会い、これからもっともっと知識を深めたいと思った。それがこんなところで終わるなんて悔しすぎる。しかし今の私にはどうすることもできない。
「きゃあ!」
斜め後ろでシェリーの悲鳴が聞こえる。ドラゴンの尾はまだ当たっていないのに一体何故? それに悲鳴も絶命の断末魔には程遠い可愛らしいものだ。しかし後ろを振り返っている余裕はない。もう目の前にドラゴンの尾が迫っているのだから。
「え?」
ふと腰のあたりに両側から掴まれるような感触。次の瞬間、私の身体は宙を舞っていた。見下ろす視界の片隅には、私たちのいた場所に佇む四つの黒い影が見えた。
読んでいただいてありがとうございます。




