6.フラグ
「今夜はアタシが晩御飯作るね」
始まりは初美の発した不穏な言葉からだった。台所の入り口を見れば、通販で買ったであろうセットの段ボールを脇に抱えた初美が立っていた。
「今夜は特別な『あんかけ焼きそば』を食べさせてあげるから」
「うーん……まぁいいか」
段ボールには『超簡単!あんかけ焼きそばセット』と書かれており、たぶん材料を順番に炒めていけばいいだけのものだろうと思われる。いくら初美でもこれならうまく作れるだろう。超簡単って書いてあるしな。これが手の込んだ料理だったら全力で阻止するところだが。
居間で皆でテレビを見ながら寛いでいると、台所から料理とは思えない音がする。金槌で叩くような音、電動ドリルのような音。生きた鶏を絞めたような叫び声。一体超簡単なあんかけ焼きそばに何をするつもりなのだろうか。
「楽しみですね、ハツミさんの手料理なんて」
「まぁたぶん食べられるものが出来てくるはずだ。あの音からは想像もできないが」
座卓の上に置かれた専用のクッションに体を預けながら期待に満ちた目を向けてくるシェリー。対するフラムは同じ専用のクッションに体を埋もれさせながら夕方のアニメに没頭している。
結局のところ、準備してから十日経ってもドラゴンが現れる兆候はなかった。こちらに来ることを悉く阻害されたせいで諦めてくれたのならそれでいい。
「平穏無事が何よりだ」
「そうですね」
「ソウイチ、シェリー、その言葉は危険。それはフラグ」
「フラグって何よ?」
「話題にすると悪いことが実際に起こってしまうというこの世界の恐るべき法則」
「そんな法則あったのか?」
「映画などでよくみられる。『この戦いが終わったら結婚するんだ』とか『これで倒したはず』とか『ここは任せて先に行け』とかが有名。だからまだ緊張感を無くしてはいけない」
話を聞いてなるほどと思ったが、よく考えてみれば当のフラムの今の格好には緊張感の欠片も見当たらない。まるで幼い頃の初美を彷彿させる姿に頬が緩む。そんな俺を見て馬鹿にされていると思ったのか、フラムは頬を膨らませて怒る。
「私は常に魔力感知をしている。そのためには適度のリラックス状態が好ましい」
「確かにリラックスしてるとは思うが……」
「ソウイチさん、確かに魔力検知は働いていますから、あまり責めないであげてください。これがフラムの平常運転ですから」
「責めてはいないさ、魔法のことは任せるしかないから」
魔力検知というものがどういう状態で発動しているのかがわからないので、正直なところお任せるしかないというのが本音だ。シェリーも魔法を使うので、フラムのしていることはわかっているようだが、重い負担をかけているのに理解してやれないなんてことはしたくない。フラムがベストの状態に近づくのにアニメが重要だというのなら、それを止めることなんてできない。
「あれ? どうしたの壱号、こんなところまで来て。まだお食事の時間には早いですよ」
「ミヤマさんもどうしたの? アニメ観るの?」
シェリーの愛騎である壱号と、フラムの愛騎であるミヤマさんが彼女たちの使うステップを登って座卓の上までやってきた。弐号と参号は座卓の下で待機している。壱号とミヤマさんはそれぞれ自分の主人のそばで、居間のある一点をじっと見つめている。
「ウウ~」
「どうした、茶々。何があった?」
今まで大人しく寝ていた茶々が突然うなり声をあげた。茶々もまた居間の一点を見つめてうなり声をあげるが、その声はいつものようなものではなく、完全に戦闘態勢に入っている声だ。かつて次郎とやりあった時を彷彿させる緊張感みなぎる唸りに緊張が走る。
茶々が睨む先と壱号たちが見つめる先は奇しくも同じだった。そこにあるのは俺たちがシェリーたちと知り合う発端となった、居間の壁に開いた大きな穴。既に日も沈んだせいか、その奥は暗くて先が見えない。しかし茶々がこんな反応を見せる以上、この奥には何かがいる。間違いなく。
「シェリー、フラム、何かが来るぞ!」
「嘘! 魔力の反応は感じ取れないわ!」
「まさか……誰にも邪魔させないように認識阻害させている?」
重量感のある何かが近づいてくる足音がテレビアニメのエンディングテーマに邪魔されながらも聞こえてくる。ゆっくりと、しかし確実に刻まれるリズムは未知の世界に対しての畏怖など微塵も感じさせない力強さがある。次第に大きくなる足音に居間が緊張に包まれる。
決して犬猫の類の足音ではない、硬い何かが床を踏みしめる音。しかし蹄を持つ動物ではないのは間違いない。では熊のような獣かといえば、そういった獣は肉球があるので硬い音はしない。では一体何者が来るのか、俺の常識の範疇にない何かであるのは確かだ。
「この感覚は……やはりあの時の……」
「うん、間違いない。シェリーが遭遇して、私が遭遇したアイツだ」
「……カブトさんの……仇……」
シェリーとフラムが穴の奥からやってくる存在の正体に気付いたようで、その様子から二人がかつて遭遇したアイツだろう。俺にはまだ分からないが、アイツの放つ気配のようなものを感じ取っているのかもしれない。
「何だよ、あれは……」
そんな言葉がつい洩れる。暗い穴の奥に浮かぶのは二つの光。中空に不自然に浮かぶそれは明らかな敵意のこもった金色の光。その光がゆっくりと近づき、やがてその全貌を現す。
大きさで言えば高さ一メートル強くらいだろうか、まるで精巧な模型か特撮映画の着ぐるみのような外見は、どこから見てもこの世界に存在する動物じゃない。人間のように二足歩行しながら歩いてくるのはまさに恐竜の如く、しかしかつて原始の地球にて栄華を誇った恐竜にはない腕の太さは、その腕を器用に使いこなす証左でもある。そして何より決定的に異なるのは、その背中から生えた巨大な一対の翼。鳥のような羽毛に包まれた翼ではなく、蝙蝠のような被膜を持った翼。
子供のころに熱中したロールプレイングゲームの敵として見たことのある架空の生き物に酷似している。長い冒険の最後に待ち受ける暴虐の王、他の追随を許さない世界の覇者の一角を担う者。
「あれは……ドラゴンです。カブトさんを喰らったアイツです!」
「私も遭遇したアイツ……やはり来たか」
蛍光灯の光に照らされてその異様が露わになる。全身を覆うのは爬虫類であることを思わせる鱗、しかしそれは皮膚の一部と言うよりも強固な鎧とも思えるもので、瞳と同じような金色の輝きを見せている。そしてシェリーたち、ミヤマさんたち、茶々の順に視線を移し、そして最後に俺と目が合った。
「グルル……」
低い唸り声は今まで遭遇したどんな獣とも違う、異質なものだった。テレビで見た猛獣とも違うその声は身体の芯にまで響くもので、圧倒的な力の持ち主だということが理解できる。
秋の夜長、家族の団欒に乱入してきたのは、まぎれもなくドラゴンだった。
想定していたのよりかなり小さいけど。
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