4.見落とし
前回の補足:初美が最後に用意したのはミャンマー産の一級品ルビーです。
夏も盛夏から晩夏へと移ろいを見せ、畑のキュウリもそろそろお役御免とばかりに一気に大きな葉をしおらせ始めている。ひと夏の間、絶え間なく美味しいキュウリを実らせてくれた功労者に感謝の念を送りつつ株を抜く。
抜いた後に有機石灰と堆肥を入れ、程よくすき込んだところでインゲンの種を蒔く。晩生のものを選んだので、これなら霜が降りる頃まで収穫が見込めるはずだ。
その後はナスの畝で更新剪定をする。ナスは上手に育てれば強健に成長して多くの実をつけるが、しばらくすると落花したり、奇形が育ったリする。これはナスが成り疲れをしてしまっているので、このまま放置すると枯死してしまうので、一気に枝を落としてリセットするわけだ。
枝を落としたところから新たな芽が出てきて、それが成長して再び着果するようになる。つまり古い枝をリセットして」新しい枝にするという訳だ。もちろん肥料を与えることも忘れない。こうしておけばまだまだ美味しいナスが食べられる。
ちなみにナスの場合、株の先端に花がつくのはあまり良い状況じゃないとされている。肥料をやったり日当たりを良くしたり、水を切らさないなどの対策をすることをお勧めする。特にプランターでナスを栽培する場合は水切れを起こすと表皮が硬くなる傾向にある。夏野菜の代表格のナスだが、夏の暑さからくる水切れに弱いというのは、植物の栽培が難しいと言える一面なのかもしれない。
好物のナスの出来が良いので、上機嫌で家に戻ると、耳障りな羽音が聞こえた。重く響く羽音は俺の頭上を通り過ぎ、納屋の裏手のほうへと消えていった。その羽音と動きにまたかという思いになる。
例年ならばこんなことは無いが、今年はシェリー達のためにエアコンを使っていたので、外の様子が分かりづらかったということもある。中の様子を知られないように情報を遮ったことで、必要な情報まで入らなくなっていたのは、誰が悪いという訳じゃない。去年までなら茶々が嗅ぎつけてくれていたんだろうが、今はシェリーとフラムにかかりきりになってるので仕方ないことだ。
「どうせいつもの納屋の軒下だろ……」
物音を立てず、激しい動きをできるだけ避けて古い納屋の裏手に向かう。ここは裏の林に近く、俺たちだってそう頻繁に足を運ぶような場所じゃない。こういった場所を好んで拠点にする傍迷惑な連中がいる。毎年大なり小なり、勝手に住処をつくりあげる厄介者。
次第に重たい羽音が増えていくのがわかる。ただその増え方が尋常じゃない。もうここまでくれば騒音と言っても過言じゃないくらいにうるさい。相当な数がいるのが容易に想像出来て足が竦むが、現地を目視で確認しなければ対応することもできない。
「……なんだ、ありゃ……」
農機具の置いてある納屋ではなく、そこから林に近いところにあるもう一つの小さな古い納屋の裏手の様子を窺うべく顔を覗かせると、そこには想像していた通りのやつらがいた。黄色と黒という危険を象徴するコントラスト、人間を恐れずに威嚇、攻撃してくる凶暴性、食性に幅があるために環境への適応能力も高く、最近では都市部での繁殖も活発な昆虫。
軒先を見れば、直径一メートルを超える縞模様の球体がぶら下がっている。一番下の穴からは忠実な兵隊たちがひっきりなしに出入りを繰り返し、気付けば俺の周囲にも数匹の偵察兵がいて独特の威嚇音を発している。このまま丸腰でここに留まるのは危険だろう。まさかここまで成長しているとは思わなかった。
世界最強の蜂としてその名をとどろかせている昆虫、スズメバチの巨大な巣が納屋の一角を占拠していた。
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「初美! お前の部屋の窓は絶対に開けるなよ!」
「え? どうしたの、急に?」
「古い納屋の裏にスズメバチが巣を作った。あそこはお前の部屋が一番近いだろ」
「マジ? ずっとカーテン閉めてたし、パソコンの裏だから気付かなかった。ちょっと見てくる」
慌てて部屋の窓を確認しにいく初美。あいつの部屋があの納屋から一番近いので、迂闊に窓を開けるようなことがなくてよかった。ずっとエアコンに頼っていたおかげかもしれない。
「ぎゃー! 何アレ! 異様にデカいんだけど!」
初美の部屋からあのデカい巣を見たであろう悲鳴が聞こえてくる。いくら田舎だからといって、俺だってあんなに大きな巣を見たことがない。あの大きさだと中にいる蜂の数は万の桁に届くかもしれない。
「え? 何アレ! お兄ちゃん、様子がおかしいんだけど!」
「どうした?」
初美だって田舎で青春時代を過ごしたので、いくら巣が大きいとはいえスズメバチのことはある程度知識がある。にもかかわらず、初美の想定外の何かが起こっているらしい。
「ソウイチさん、何があったんですか?」
「ん? スズメバチが巣を作ったんだよ」
「スズメバチ! あの軍隊蜂みたいな怖い蜂ですか!」
初美の慌て具合を見て不思議に思ったのか、シェリーが訊いてきた。シェリーは以前に何度かスズメバチを見かけたことがあり、その際にスズメバチがどれほど危険な蜂かということをしっかりと教えておいた。どうやらシェリーたちの世界にも軍隊蜂という似たような蜂がいるらしいが、普段は山岳地の奥深くに棲息していて人里には滅多に現れないという。スズメバチが普通にこの近辺に現れると教えた時には信じられないような表情を浮かべていたが。
「ところで……『あれ』はどういうことになってるんだ?」
「今はちょっと……触れないでいて欲しいです」
居間の隅のほうで高価そうな杖を頬ずりしながらうっとりとした表情のフラム。実は家に戻った時から気付いていたんだが、どう声をかけたらいいのかがわからなくて放置の方向で進めていたんだが、流石にこの状況では確認しないわけにもいかない。初めて見る杖だったので、おそらく初美が知り合いに頼んで作ってもらったものだろうが、座りこんで大事に抱き締めながら、ずっと頬ずりしているんだから、普通に考えれば関わり合いになりたいとは思わない。
「自分の杖が出来たのがとても嬉しかったみたいなので……」
「そうか……」
魔導士にとっての必需品でもある杖が無いことで、フラムの落ち込み具合は俺の目にも明らかだったからな。見れば杖の先端にあるのはルビーっぽい宝石らしいし、杖だって遠目から見てもいい仕上げのものだとわかる。こうなってはしばらくは使い物にならないだろうし、今はシェリーだけ連れていくか。
「じゃあ一緒に見に行くか?」
「はい!」
「茶々、フラムのことを頼んだぞ」
「ワン!」
茶々が任せろと言わんばかりに一声吠えてフラムの傍に陣取る。これでもしフラムに何かあってもすぐに咥えて連れてきてくれるだろうと確信すると、シェリーを右手に乗せて初美の部屋へと向かった。果たして何が起こってるんだろうか……
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