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知識の海

閑話です。

 ようやく朝日が高く上った頃、初美の部屋では床の上に置かれた小型のモバイルノートパソコンを操っているフラムとシェリーの姿があった。部屋の主である初美は明け方まで仕事に没頭していたため、かなり遅い就寝となっていたが、二人はそれも考慮してか、出来るだけ物音をたてないようにしていた。


 ノートパソコンの横には簡易的な寝床が用意してるが、それが頻繁に使われていないことは、綺麗に整えられた形のままであるということからも明らかである。


「フラム、きっとこれよ。この絵と同じだったもの」

「うん、アメリカザリガニ。ソウイチが言っていた名前と同じ」


 二人で協力しながら検索エンジンにキーワードを入力し、自分たちが欲しい情報を探している。もっとも主に入力を担当しているのはフラムであり、シェリーはポインターを動かしたり、エンターキーを押すくらいしかしていなかったが。


「フラムは凄いわね、もうパソコンが使えるんだから。私なんてまだ文字も完全に覚えられていないのに」

「私も完全には理解していない。そのくらいこの世界には言語がたくさん存在する。ならばこの国の言葉である日本語と、それを補足する英語を少し理解すれば何とかなる」

「そうね、頑張らなくちゃ」

「でも日本語もとても難しい。特に漢字が絡むと途端に難易度が上がる。あの文字は憶えていなければ読めないものも多い」

「私なんてまだ本当に簡単なものしか読めないし」


 シェリーは常に日本語の勉強をしていたが、それでもまだ漢字の読み方がわからず、小学校低学年レベルの漢字しか読めていない。しかしフラムは驚くべきスピードで日本語を習得し、既に大概の漢字も読むことができ、さらにはローマ字や簡易的な英語まで習得していた。まさに賢者という二つ名に恥じることのないものであった。


 事実、初美が自分の仕事中は相手が出来ないということで何気なく渡したノートパソコンも一週間たらずで使えるようになっていた。しかしそれはフラムが元々研究者のような生活をしていたことが大きく関係していた。


「この道具は素晴らしい、無限に広がる知識の海への入口」

「すごく楽しそうね」

「うん、とても楽しい。知りたいことがこんなにすぐに分かるなんて。私の蔵書全てですら、この道具には全然かなわない」


 フラムは賢者の二つ名に相応しく、自分が気になったものを研究しなければ気が済まない性格だ。シェリーとともに冒険者になったのも、生活費を稼ぐというものや自分の見聞を広めるためという理由のほかに、自分の考えた魔法の理論が魔物に通用するかの実験の意味合いも大きかった。魔法の研究をするにあたり、その結果を知るには魔物を狩るという依頼の多い冒険者という仕事はちょうどよかったのだ。


「魔法という概念が存在しない……いや、はるか太古にはあったかもしれないけど、それを補って余りあるほどの技術の進歩した世界……そして技術が進歩したが故に、物事の真理により近い場所にいる世界。サイズの違いはあれど、魔力や魔法という概念を除けば基本的な考え方にそう変わりはない。むしろ今まで私たちの世界で解明できなかったことも、この世界の知識があれば解明できるかもしれない」

「そう……なのかな?」

「間違いない。それはシェリーの強さに証明されている。シェリーのあの動きはかつては無かったもの。この世界に来て、ハツミの助言を得て変化させたもの。だとすればこの世界の知識が戦い方だけに応用できるとは考えにくい」

「あれは……確かにそうね。でもどういうことに応用できるのかな?」

「農業だけでもソウイチの言っていたことは全く新しい概念だった。でもあの考え方ならば、魔力のない土地でも農地に変えていくことも不可能じゃない。治癒魔法についても、この世界の医学の知識があればもっと効率的に、もっと正確な使い方が出来るはず」


 最初こそ初美のおすすめのアニメばかり見ていたが、それと同時に様々な情報も閲覧していた。そしてその情報量の膨大さに衝撃を受けていたのだ。フラムも元の世界では『最果ての賢者』と呼ばれており、その蔵書の数はどの国の図書館にも引けをとらないものという自負があった。しかしこの世界において、今まで誇っていたものがこんな道具の足元にすら及ばないという事実に決して小さくないショックを受けていた。


 だがそれ以上に、膨大な量の知識に触れるという、研究者ならば誰もが垂涎の的とするこの状況に喜んだ。

 今までならば多くの書物を紐解き、膨大なページから必要な部分を探し出すという労力に時間の多くを費やし、さらにそこから組み上げた理論が正しいかどうかを検証する。もしそれがうまくいかなければ、また一から書物を調べなおすという過酷な行為が必要だった。


 しかしここでは知りたい情報がほんの数秒で抽出されてくる。もちろんそれがこの世界においての先達たちがその人生を費やして集めた無数の情報を土台として成り立つものだということもフラムは理解している。その情報の一つ一つが、先達の功績の積み重ねだということも。


 それ故に、今のこの状況が楽しくて堪らない。自分の知らない情報が、あたかも湯水の如く溢れ出てくる。テレビやパソコンの画面を通して奔流の如く溢れ出てくる情報の多さに、研究者としての感動が抑えきれない。それこそ寝食をそっちのけにしても、ずっとこうしていたいと思ってしまうのは仕方のないことではあった。


「あのザリガニという生物、あれがいれば生き物の少ない地方でも飢えることはない」

「あれだけ大きいから、一匹仕留めればかなりの肉が取れそうだしね。それにこの甲殻だって、いい武具になりそう」


 シェリーの視線の先には綺麗に赤く発色したザリガニの殻があった。砕いて堆肥に混ぜようとしていた宗一に頼み込んで貰ったもので、フラムの目下の研究対象でもあったそれには、いくつもの小さな傷がつけられていた。


「これだけ茹でられてもまだ硬さを失っていない。ソウイチたちなら簡単に砕けるだろうけど、私たちの世界ならばそんなことが出来るのは神獣クラスの力を持った魔物くらい。何より綺麗な赤色は人気が出る」

「私の剣なら魔法を上乗せすれば斬れるけど、ただの剣なら刃毀れしそうだし、これが武具になれば冒険も有利になるわね」

「それにザリガニは繁殖力がとても高いらしい。この国でも元は数十匹のザリガニだったという。それが逃げ出して繁殖したと書いてある。小さな個体を何十匹か連れて帰って放せば、いずれ繁殖するはず。そうなれば食糧事情も向上する。あの美味しさは皆も受け入れる」


 フラムはザリガニの味を思い出して悦に浸る。ザリガニは彼女たちが知る水棲の魔物デビルクラブに酷似しているが、一般的にデビルクラブの味はお世辞にも良いとはいえないと言われている。ザリガニ程ではないが甲殻も硬く、安易に討伐できるほど弱くもないため、冒険者からは敬遠されがちな魔物である。しかしザリガニのように美味だとすれば、冒険者たちもこぞって討伐に向かうだろう。実はデビルクラブ討伐の際は一撃で仕留めることが出来れば非常に美味なのだが、徐々に弱らせると途端に不味くなるためにその味が知られていないだけなのだが。


「でもさ、フラム? 繁殖して成長したザリガニを誰が討伐するの? 繁殖力が高いならあっという間に増えるでしょ。あの時みたいに囲まれたら、極大魔法でも使わないと打破できないでしょ? 元の世界にはソウイチさんもチャチャさんもいないんだから。誰もが簡単に極大魔法なんて使えないのよ?」

「あ……」


 シェリーの冷静な言葉に思わず茫然とするフラム。確かにザリガニの繁殖力から考えれば、その数が増えるのにはそう時間はかからない。そして増えたザリガニが討伐されなければ、その数は爆発的に増える。あの沢で遭遇した状況が再度展開されるのは当然であり、果たしてそんな危険地帯に誰が足を踏み入れるだろうか。フラムですらあの時に茶々と宗一が来てくれなければどうなっていたかわからない。あの短時間で、魔力の概念のないこの世界で、かなりの熟練度を要する極大魔法を使えるかどうかはフラムですら怪しい。何せフラムが魔法を使う際に魔力の収束に浸かっている愛用の杖すら無かったのだから。


「それにザリガニを持ち帰るって言っても、あの穴がどういうきっかけで開くかどうか分かってないでしょ? その方法を調べるのが先じゃない?」

「だ、大丈夫、明日から調べる。明日から本気出す。こうなればもう全てが解明されるのは時間の問題」

「それならいいんだけど……」


 途端に挙動不審になり、あからさまに目を逸らすフラム。その様子を見ながらシェリーは思う。

 たとえ自分よりも早く言葉を覚え、環境の変化にも動じることなく自分の探求心を満たそうとするフラムの行動力、決断力、集中力は自分には無いものだと。そしてそれが彼女の良いところでもあると。だがそれを踏まえた上で、目の前で目を泳がせるフラムの姿を見てしまうと、どうしてもこういう感想を持たずにはいられなかった。



 こいつ、絶対にやらないな……と。

 


 

次回から新章です。


読んでいただいてありがとうございます。


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