8.マッカチン
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「ソウイチの作るカラアゲは最強の料理だと保証しよう。とても美味かった」
「あまり遠くに行くなよ」
「「 はーい 」」
昼食を食べ終えて遊びに行こうとするシェリーとフラムに釘を刺せば、陽気な返事が返ってくる。どうやら流れが澱んで浅い湾のようになってるところで水棲動物の観察をするらしい。流れが澱んでいるのなら流れに巻き込まれて溺れる心配もないだろうし、森の中の小さな沢には彼女たちをひと飲みにするような巨大生物もいないので大丈夫だろう。獣の類なら茶々が睨みを利かせているしな。
「アタシは画像データの確認してるね」
「虫よけスプレー使っとけよ」
「大丈夫、もう使ったから」
スポーツカメラマンが使うようなレンズをつけた一眼レフカメラのデータを見ながら言う初美。まるで狙撃手のように望遠レンズでシェリーとフラムが水遊びしている姿をひたすらファインダーに収めていたが。何故こんな遠くから撮影しているのか不思議に思えたので聞いてみると
「何言ってんの? すぐ近くだとカメラを意識しちゃうじゃない。普段通りに遊んでる二人の姿が撮りたいの! 無邪気に水遊びしてるところを撮りたいのよ!」
と半ばキレ気味に言われた。言われてみれば確かにその通りで、カメラという道具の存在を熟知している俺ですら、いざファインダーを向けられれば緊張する。それがつい最近までそんな道具の存在しない世界から来た人間なら意識して当然だ。ましてや二人とも水着だしな。
「……二人の水着写真のデータ、後で渡すから」
「お前なぁ……」
にやけた顔で言う初美に言葉を失う。確かにシェリーの水着姿に年甲斐もなく心拍数が上がったが、いくらなんでも家族として一緒に暮らしてる相手だぞ? そりゃ少しくらいは見たい気持ちはあるが……
「それはそうとさ、この沢ってこんなに水温かったっけ? 昔はもっと冷たく感じたように思うんだけど」
「二年前の台風で老木が何本か折れたせいで陽射しが当たるようになったんだよ。とはいっても用水路みたいに温くなってる訳じゃないだろ」
「うん、でも流れが緩いところは結構温かったからさ。こんなに温いと沢蟹とか大丈夫かなって」
「もしそうなら上流に逃げるだろ……ちょっと温いな……ん?」
水に手を入れてみれば、確かに水が温い。ちょうど日光が当たる辺りが浅瀬で水の流れがかなり緩いので、そこで温められた水が流れていってるんだろう。もしこれが続くようであれば生態系に変化が起こるかもしれないので、何らかの手段を考えなきゃいけないだろう。
そんなことを考えながらふと転がる岩に視線を落とせば、赤い色の何かが動くのが見えた。その大きさはどう見ても沢蟹ではない。それくらいに大きい赤い生き物が緩慢な動きで岩陰から出ていく。さらに他の岩陰からも同じような赤い生き物が現れ、流れの緩い場所に向かって進んでいく。その先にいるのは……シェリーとフラムだ。
「茶々! シェリーとフラムを護れ!」
俺の指示に茶々が間髪入れずに走り出す。シェリーたちは浅瀬の岩の上に逃げているが、既にその周囲には赤い色をした奴らが集結していた。一匹二匹ならどうにでもなるだろうが、軽く見積もっても三十以上は集まってる。あんな数に群がられたら、その結末は最悪のものになる。
「どうしたの、お兄ちゃん。そんなに焦って」
「マッカチンだ、数が多い!」
「うそ! なんで? こんなところにいるはずないでしょ?」
「いるんだからしょうがないだろ! 茶々を向かわせたから初美はクーラーボックスを開けといてくれ」
「うん、わかった」
シェリーたちを狙っているのは通称マッカチン、正式名称はアメリカザリガニだ。その名の通り、本来はアメリカのミシシッピ川流域に棲む甲殻類で、誰もがその名を知っている生き物だ。理科の授業で飼育したことがある人も多いだろう。
しかしあれはれっきとした外来生物で、日本の生態系を破壊する恐ろしい連中だ。そもそも日本には二ホンザリガニという種類がいたが、それを駆逐してしまっている。食性は雑食で、正直なところ何でも食べる。煮干しやスルメで釣るのが有名だが、動物性だけでなく植物性のものも食べる。水中の落ち葉なども食べるし、水草だって食べる。水田に入り込めば水稲を食害するし、畦に穴を掘って住処にするので、最悪の場合その穴から水が動いて稲の生長を妨げたりするというとんでもない奴だ。
そして何より凄まじいのはその生命力。大雨が続いて身体が乾燥する恐れが無い場合、陸上を移動して住処を変えることもあるし、水質の変化にも強い。日本に持ち込まれた理由は、同時期に持ち込まれた食用ガエルの餌という説があり、さらには食用として持ちこまれたという説もある。
本来は沢のような冷たい水が流れるところには好んで棲まないが、どうやら日光が当たって温くなったせいで棲みやすくなったようだ。さっきみかけた個体は十五センチくらいあったので、少なくとも二年以上はここで繁殖しているんだろう。多分台風や大雨に乗じてここまで来たんだろうが、だからといって放っておく訳にはいかない。
シェリーたちのところに行けば、茶々がフラムを咥えて岩に乗せているところだった。足を滑らせて落ちたらしく、恐怖に泣きじゃくっている。シェリーもその体を抱いて慰めている。
「大丈夫か、二人とも」
「は、はい、私は大丈夫ですけどフラムが……」
「フラム、もう大丈夫だ、安心していいぞ」
「ソウイチ……怖かった……怖かったよ……ぐす……」
二人を手に乗せると、すぐにその場を離れて敷布を敷いている場所へと戻る。その間ずっとフラムは俺の手にしがみつくようにしながら震えていたので、その恐怖たるや俺たちの想像を超えるものだったんだろう。
「大丈夫、二人とも。怪我してない?」
「ハツミ……怖かった……」
「よしよし、もう怖くないからね。お兄ちゃんが後始末してくれるからね」
「ソウイチさん、後始末って?」
「ああ、あいつらは本来ここにいちゃいけないからな。きちんと駆除しないと」
シェリーが不思議そうな顔で俺を見上げてくる。元々ここにはいない生き物だし、何よりシェリーとフラムを食べようとしたことは許せん。可哀そうという気持ちも無くは無いが、このまま放っておけばこの沢の生態系が崩れてしまうのでしっかりと対処するほかない。まさか薬を撒く訳にもいかない、となれば残る手段は一つ。
「これから大捕獲作戦開始だ」
うちのほうではこの呼び方です。
読んでいただいてありがとうございます。




