7.真紅の悪魔
ひとしきり遊んだ後、ソウイチさんの作ってくれた昼食を食べて水辺の岩の上で一休みしていると、フラムが話しかけてきた。
「とても美味しい昼食だった。リクエストしたカラアゲも絶品だった」
「デザートのゼリーも美味しかったね」
「あれは至高の食べ物、もっと食べたかった」
「少し足りないくらいが一番美味しいのよ」
いつもの食事も美味しいけど、今日のは格別だった。こういう場所で食べる新鮮さもあるだろうけど、それにもまして料理そのものが美味しいんだと思う。ソウイチさん曰く『こういう時は特別なものがいいだろ』とのことだけど、フラムじゃないけどこれなら毎日でも食べたいなって思っちゃった。
「シェリー、そこに魚がいる。どんな生態なのか調べてみたい」
「あ、本当だ。じゃあ行こうか」
お腹が膨れたらいつものフラムに戻ってた。水面を見れば小さな魚が泳いでる姿が多数見えたので、フラムは観察したくてたまらないんだ。確かにこちらに来てから小さな虫とかは家で見かけたけど、生きた魚を直接見ることはなかった。テレビとかパソコンでは何度も見たけど、やっぱり直に見るのは違うんだね。
フラムと一緒に岩の多い流れの緩い池のような場所に向かえば、水面近くを素早く泳ぎ回る魚や底付近をゆっくりと移動する魚、岩陰から頭だけ出してこちらを警戒している魚などがいた。私にはその違いがよくわからないけど、フラムにはとても興味深く見えるみたい。
「こんな場所にも様々な種類の魚がいる」
「魚なんて元の世界にもいたじゃない」
「こんなにすぐ近くで見ることは難しかった。水辺は危険に満ちていたのはシェリーも知ってるはず」
「あ、そうか」
水辺は危険がいっぱいなのは駆け出し冒険者でも知ってること。獣のような魔物もそうだけど、魚の魔物や鳥の魔物、蛇の魔物なども水を飲みに来る獲物を狙ってる。だからこんなにも自由に観察するなんて滅多にないことだ。だからこそフラムも興奮を隠せないんだろう。チャチャさんには内緒でここまで来ちゃったけど、こんなに静かな場所だし、すぐに戻れば問題ないよね?
「あれ? あの魚変な動きしてない?」
「あんな動きをする魚は見たことがない、もっと近くで見てみたい」
流れが澱んでいて、陽が当たってるせいか若干温くなった水辺の少し離れた場所で横向きになっている魚がいる。本来魚は腹を見せないはずなのに、その魚は私たちにむけて腹を見せるように横たわっていた。フラムが興味深そうな顔で近づいていくけど、何かおかしい。この世界だからそういう魚がいるのかもしれないけど、少なくとも私たちの世界にはそんな魚はいなかった。
フラムが進んでいくと、魚が動いた。いや、自分で動いたような動きじゃない、何かに動かされたような不自然な動き。よく見れば魚の尻尾のあたりが何かに隠れている。それが何かはわからないけど、とても嫌な予感がする。
「フラム! 戻って! 何か変!」
「……わかった、すぐ戻る」
フラムがこちらへと戻りかけた時、岩陰から何かがフラムを追うように這い出てきた。赤い鎧のような身体を持ったそいつはフラムを狙おうと近づいてくるけど、間一髪でフラムは私の待つ岩の上に逃げてきた。水の中の小島のようになった岩で様子を見ていると、周囲からぞろぞろとそいつらが集まってきた。
既にさっきの魚は半分ほどが無くなっていた。どうして無くなったのか、それは当然……
「……魚を食べてる」
「あともう少し遅ければ私もああなっていた……」
フラムが青ざめた顔で言葉を漏らす。血のように赤い鎧を纏ったそいつらは巨大なハサミを振り上げながら私たちのほうへと寄ってくる。一匹や二匹ならどうってことないかもしれないけど、問題はその数。小島のような岩の周りには、続々とそいつらが集結しつつある。
「これは……デビルクラブの亜種?」
「わからない、でも……やらなきゃやられる」
「わかったわ!『ウィンドスラッシュ』」
今は水着で
武器なんて持っていないから、攻撃手段は魔法のみ。放たれた風魔法はその魔物の鎧を大きくへしゃげさせたけど、お構いなしにこちらに近づいてくる。
「ならもう一度……『ウィンドスラッシュ』」
もう一度放った魔法は鎧のひしゃげた部分に命中し、そいつは鎧をばらばらにしながら絶命して水底に沈んでいった。
「これならいける……」
「嘘……仲間を……食べてる……」
そいつらは水底に沈んだ仲間の身体に群がり、巨大なハサミで押さえつけながら、別の小さなハサミで肉を引きちぎって食べている。中には仲間の肉を巡って小競り合いすら起こしているやつもいる。そして肉にありつけなかったやつらは再び私たちのほうへと向きを変える。
壮絶な光景に思わず言葉を失った私たち。デビルクラブというのは私たちの世界の水辺に潜む魔物で、圧倒的な数で群がり大きな獣ですら食べてしまう恐ろしい生き物だ。でも目の前の魔物は私たちより大きく、頑強なハサミは捕まれば逃げ出すことはできないかもしれない。
「まずいわ、フラム。まだ集まってくる」
「仲間の肉の匂いに寄ってきてるのかも……」
水面には集まってきたそいつらの不気味な赤い背中だけが出ている。見る限りでは動きはそんなに速くないけど、問題はその数だ。そして水の中では私たちの動きも遅くなるので、強引にいけば餌食になりにいくようなもの。でもこのままいても解決策が出てくるとは思えない。
「シェリー! こっちへ!」
「嘘でしょ……上がってくるの?」
そいつらはいつまでも動かない私たちに痺れを切らしたのか、数匹が水から上がろうとしている。幸いにも岩が滑りやすいからうまく上がってこれないけど、続々と集まってくれば、仲間を踏み台にして上がってくるかもしれない。
「焼き払う!『フレイムウォール』」
フラムが得意の火魔法を使って焼き払おうとしてる。上がろうとしていた魔物は熱で焼かれて落ちていくけど、さっきの魔物と同じく仲間たちによって無残な残骸へと姿を変えていく。魔物たちは仲間が焼かれたというのに全く躊躇うことなくこちらに向かってくる。
「……やはり杖が無いと魔力が安定しない。浪費も激しい。大魔法を使うための時間は与えてくれそうもない。小さな魔法を連発するしか……」
「このままじゃ……いずれ魔力が尽きる。やっぱりこの世界は恐ろしい世界だ……」
「嫌だ……シェリー、やっと再会できたのに、こんなところで終わりたくない……」
ギチギチと魔物たちが出す音が周囲の音を掻き消していく。このままじゃ助からないのは明らか、でもそんな結末を黙って受け入れたくはない。何か脱出する手段はあるはず、考えなきゃ……
「あ……」
そんなときに聞こえた、フラムの気の抜けたような声。滑りやすい岩の上を、私のほうへと歩こうとして、足を滑らせた。咄嗟に手を伸ばすも私の指先は何の重みも伝えてこない。まるで幻でも見ているかのように、ゆっくりと魔物たちのひしめく水面に向かって落ちてゆくフラム。自分に何が起こったのかわからずに茫然としている彼女の顔が見えた。
何かしなきゃ。動かなきゃ。頭では理解しているのに、身体が言うことを聞かない。せめて魔法を放って近くの魔物を排除すれば生存することも可能なはずなのに、突然のことで頭が回らない。魔力を集めることが出来ない。大切な親友が死の淵から落ちようとしてるのに、まともに動けない自分が情けない。
もう駄目だ、そう思った瞬間、大きな影が頭上を通り過ぎていった。そして私の目の前に降り立った影はたくましい前足で魔物を軽々と払いのけると、水面で茫然としているフラムを咥えて岩の上へと戻してくれた。その影は黒ではなく、燃えるような炎の色を纏った、とても心強い私たちの護衛。私たちを護ってくれる守護獣。
「チャチャさん!」
「ワンッ!」
涙混じりにその名を呼べば、もう大丈夫だと言わんばかりに一声吠える。その声に私たちは助かったんだと確信し、未だ茫然自失のフラムの身体を抱き寄せる。その身体は小刻みに震えていて、どれほどの恐怖が彼女を襲ったのかが理解できた。これまでの冒険で、魔物に囲まれたことは何度もあったけど、その時は武装した状況で、仲間だっていた。こんな丸腰で、二人だけで相対したことなんて無かったのだから。
「……シェリー、私生きてる?」
「うん、チャチャさんが助けてくれたよ」
「う、うわあぁぁぁ」
ようやく状況を理解して泣き出すフラムを慰めながらきつく抱きしめると、血相を変えたソウイチさんがこちらに走ってくる姿が見えた。
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