プロローグ
???視点です。
轟音とともに岩の扉が閉じられる。それはすなわち私に絶望というものが訪れたことと同意だった。
『大丈夫か! 一度補給に戻ったら必ず助ける!』
分厚い扉越しに聞こえるのは仲間たちの悲痛な声、そして扉の傍には無残に折れた剣、その様子から考えてもこの状況が決して誰も望んでいないことは明らか。まさかこんな場所でこんなモノに遭遇するなんて誰も思ってない。
『グルル……』
私の目の前にいるソレは既に私のことを認識しているはず。なのにいつまでも動かないのはどうしてだろう。そんなの決まってる、あの目の光は待っているんだ……私が恐怖のあまり泣き叫び、無様な姿を晒すことを。そして私の恐怖心を煽りながら、ゆっくりとこの身を噛み砕くつもりなのだ。
思えば私が迂闊だったのかもしれない。拠点にしている街から十日ほどの場所になぜか誰も立ち入らない森があった。偶然そこに迷い込んだ私が見つけたのは誰も立ち入った形跡のないダンジョン。お宝を独占できると思った私は冒険者ギルドへの報告義務を無視して仲間たちと挑んだ。私たちは街では名の知れた冒険者パーティでランクもそこそこ高く、ダンジョンをいくつも攻略してきたという自信もあった。それがいけなかったんだと思う。
攻略は順調に進み、最下層にある広い部屋に入ったときに異変は起こった。その部屋はダンジョン内にもかかわらず光が天空より差し込んでいた。見上げればはるか高くに青空が見えたので、もしかしたらこのダンジョンは塔だったのかもしれない。そんなことを考えていた時だった。
「おい、扉が閉まるぞ!」
「まずい! 全員出るまで剣で支えろ!」
後方でそんな声が聞こえ、振り向けば扉が閉まりかけていた。仲間の剣士が持っている剣で扉を閉まらないようにしてくれている。今のうちに脱出しなければいけない、私はそう思うよりも早く扉に向かおうとした。既に他の仲間たちは部屋の外に出ており、残るは斥候の私だけ。大丈夫、間に合う、そう安堵した瞬間、頭上に光を遮る何かが現れた。そして背後から感じる圧倒的な威圧感、気を抜けば腰が抜けてしまいそうになる強烈な殺気、私はこの感覚を知っていた。
一度だけ、遠巻きに見たことのある存在。強大な力で君臨する世界の覇者の一角、その翼は大空を自由に飛び、その口は強力なブレスですべてを消し去る。山のような巨躯は尻尾の一振りで人間など肉塊に変えてしまうだろう。かつて見た時も人間たちは抵抗むなしくその腹の中に収まっていった。この世界においてそれに遭遇することは絶望を意味する。
塔の上空より舞い降りた存在、それは金色に輝く鱗に身を包んだドラゴンだった。
「早く逃げろ!」
仲間の声に我に返った私が出口に向かおうとしたその時、扉を支えていた剣が高い金属音だけを残して折れ、私が茫然とその光景を見ている中、轟音とともに扉は閉じた。ここに残されたのは私一人、そして目の前には絶望の象徴たる存在。死にたくない、そんな思いが頭の中を駆け巡り思考が纏まらない。ドラゴンは私を味わうべく、地響きを立てながらゆっくりとこちらに進んでくる。何とか火魔法を放つも、その強固な竜鱗の前には何の意味も為さなかった。無残に散った炎の欠片がもうすぐ訪れる私の最期を現すかのように虚空に消えてゆく。
と、ドラゴンの背後に不思議なものを見つけた。それはドラゴンがぎりぎり入れるかどうかという洞穴、もしかしてあれはドラゴンの巣穴かもしれないという考えはすぐに消え去った。自分が入れるかどうかわからない穴に大事な卵を置くとは思えない。とするとあの穴は一体何だろうと考えたいところだけれど、今はそんなことをしている場合じゃない。
「ドラゴンの後ろに穴がある! そこに逃げ込むから!」
『わかった!』
扉越しに聞こえる仲間の声を確認すると、ドラゴンの口にエネルギーが集まるのが見えた。このままアレを吐かせては間違いなく私はここで終わる。そんなことをさせてはいけない。
「風よ!」
『グルァ?』
渾身の想いで放った風魔法がドラゴンの集中を乱して口に溜まったエネルギーが霧散する。だけど奴はすぐに口にエネルギーを集め始めた。その目は抵抗されるはずもない脆弱な存在が自分の邪魔をしたことに対して怒り狂っているようにも見える。事実溜めているエネルギーは先ほどよりはるかに大きい。だけど……このチャンスを無駄にすることは出来ない、動かない身体に鞭打ってドラゴンの横を走り抜ける。狙いは……あの洞穴だ。
ダンジョンの最下層に辿り着くまでに魔力のほとんどを使い果たし、先ほどの風魔法でほぼ無くなった。魔力切れで頭が朦朧とするけどそんなことに構っていられない、魔力切れなら休憩すれば回復できるけど死んでしまっては元も子もない。今ここで動かなければ確実に死が待っている、
ほんの数十歩先にある洞穴が異様なまでに遠く感じる。どれ程の時間走ったのかすら覚えていない。時間が引き伸ばされたかのように、洞穴がゆっくりと近づいてくる。背後なんて確認している余裕なんてない、とにかく足を前へと動かし続けてようやく洞穴へと辿り着いた。
その洞穴はどこまでも暗く、全く奥が見えなかったけど迷っている場合じゃない。背後ではドラゴンが猛烈に殺気を膨れ上がらせているのが見なくても感じ取れる。今動かなくては間に合わない。
「ええい!」
未知の領域に飛び込む恐怖から目を背けるようにして洞穴へと飛び込む。と同時に不思議な眩暈に襲われて意識が朦朧となった私はその場に座りこんでしまう。背後のドラゴンの気配は感じられないのでもう逃げたのかもしれない。もしかすると新たな獲物を求めて外に出たのかもしれない。でもそんなことを考えている余裕もない。眩暈は猛烈な眠気となって私の意識を容易く奪っていった。
どれほど眠っただろうか、私は目覚めるとすぐに歩き出した。辺りは闇に包まれていて前に進んでいるのか後ろに下がっているのかすらわからない。でも歩いた。歩かなければいけない、そんな思いに駆られてただ歩いていた。運がよかったのか悪かったのかは分からないが、今歩いているところには一切の障害物のようなものはなく、順調に歩けるという点では運が良かったのかもしれない。
でもそれも今だけ、そう、今だけ。手持ちの食料などなく、あるのは腰の水袋に残った僅かな飲み水だけ。これが無くなればいずれ私は死ぬ、それがわかっているからこそ歩き続ける。疲れた体に鞭打って、何も見えない場所を手探りで歩いてゆく。たった一人で闇の中を進むということがどれだけ苦痛かなど誰も想像できないと思う。孤独に圧し潰されそうになり、腰の細剣で何度自分の胸を貫こうとしたことかわからない。でもそれを実行できない自分は弱いのか、それとも生きようとする意志が強いのか、今の私には判断するだけの気力もない。まるで生者を求めて彷徨うゾンビのように、ただただ闇の中を歩く。
「……出口?」
突然遠くの方に小さく光が見えた。それはほんの小さな、でも強い光、私を導くかのような光。その光を見た私の身体に最後の力が宿る。あれほど疲れ果てて棒のようになっていた足が自然と前に進む。手持ちの水も飲み干し、カラカラに乾いた喉にもわずかに潤いが戻る。気付けば私は光に向かって走り出していた。
助かる。これで助かる。私は生き延びた。
私の速度が上がるにつれて大きくなってゆく光にそう確信する。間違いなくあれは出口だ、と。そうなったらもう止まらない、全速力で光に向かって走る私はいつもの私じゃなかった。出口に罠が仕掛けられていたらどうしよう、もしあのドラゴンと再び遭遇してしまったらどうしよう、そういった危険性を考慮する力が喜びの感情に押し流されてしまっていた。だから私は何の躊躇いもなく、光の中に飛び込んでいた。
「……嘘……こんなのって……」
私の目の前にはあのドラゴンと同等か、もしかするとそれ以上かもしれない巨体を持ったオレンジ色の獣が私を見下ろしていた。大きく裂けたその口から鋭い牙を覗かせながら……
ああ、やはり私はここで死ぬんだ。そう思った途端、私の緊張の糸はぷつりと切れ、再び意識は暗い闇の中へと落ちていった。
本日中にもう二話更新します。
読んでいただいてありがとうございます。