君を見つけた
桜の開花宣言は昨日だった。
会社にほど近い公園のベンチに座り、俺は缶コーヒー片手にぽけらーと、桜の木を見上げていた。今日は天気が良くて風もそれほど強く吹いていない。只今は昼下がりでポカポカ陽気に誘われたのか、あちこちのベンチでお弁当を広げている姿が見えた。
あの木には開いた花が1、2、3・・・8輪。この木は1、2・・・・5輪。それでこの木は・・・まだ開いている花はないのか。
などと暇つぶしに数えていたら、視界の端に華やかな服装の一団が目に入った。男はスーツに身を固め、女はスーツ姿もいるが圧倒的に着物姿が目に入る。それも袴姿だ。
ああ、そういえば近くに大学があったなと、納得しながらその一団を眺めた。今日はその大学の卒業式なのだろう。もう終わったのか、それともこれから始まるのか。
はしゃいで賑やかに笑いあっている姿を何となく見ていたら、少し離れたところに一人佇む袴姿の女性が目に入った。彼女は髪は結わずにリボンで上半分だけ縛り、あとは背中に流している。ストレートの黒髪は肩を5センチほど越したくらいか。大正浪漫なんて言葉が浮かんでくるくらいにその姿は自然で似合っていた。
どこか懐かしさを感じさせるその姿に、惹きつけられたように目が離せないでいたら、視線を感じたのか彼女が俺の方を見てきた。その黒曜石を思わせる瞳にまた目が離せなくなった。
視線が合ったのは一瞬なのか、永遠なのか・・・。
「菱沼主任~。すみません、お待たせしました~」
その声に振り向けば、部下の増岡が走ってきたところだった。俺は残っていたコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「増岡、今度は忘れ物はないだろうな?」
「大丈夫です。確認してから来ましたから」
「それじゃあ、行くか」
そう言って公園の中を歩き出す。方向はあの一団がいる方だ。彼女は俺の方を見てはいなかった。友人と話をしていたから。
「卒業式ですかね。なんか、懐かしいです」
「まだ、そんな年じゃないだろう、お前は」
「そうなんですけど、でも2年も経てば大学時代は遙彼方ですよ」
おいおい、大学時代っていつの時代の言い方だよ。そう思ったが言わないでいてやる。
「でも、主任は懐かしいでしょう」
「おい、人を年寄り扱いするつもりか」
「そんなつもりはないですけど、でも彼らと一回り違うんじゃないですか」
「そこまで離れてないぞ。10歳だからな」
「10歳ってひと昔じゃないですか」
「お前は~!」
そう言った時にこちらに歩いてきた彼女とちょうどすれ違った。ちらりと彼女を見たら彼女も俺の方を見てきたので視線があった。
たったそれだけだった。この一瞬だけでもう会うことはないと思っていた。
約一週間後の入社式。俺はそこで彼女と再会した。彼女は我が社の新入社員だった。
偶然は続いた。研修が終わって彼女が配属されたのは俺の下だった。営業の事務職。彼女は優秀だった。飲みこみも早く、ミスも少ない。清楚系の美人で人当たりもよく、男性社員に人気があった。だけど、彼女は誰にも靡かなかった。
そのうちに彼女はいいところのお嬢さんで婚約者がいるらしい、という噂が流れた。彼女に突撃した奴がいて、噂について聞いてみたけど彼女は微笑んで否定も肯定もしなかったそうだ。
あれから2年。今年も桜が咲く季節になった。うちの課では毎年親睦を兼ねてお花見を土曜の昼間に行っている。今年は去年入った新人がよく飲む奴で、開始早々にビールが足りなくなった。課長がお金を出してくれて、追加のビールを買いに行くことになったのだ。指名されたのはなぜか俺と彼女だった。
近くのスーパーでビールともう少しつまみを買って歩いて戻る。今年の桜は2年前より開花が遅くて、昨日開花宣言が出たばかりだった。なんか2年前を思い出すなと思いながら歩いていたら、彼女の歩みが止まったことに気がついた。
立ち止まって彼女を見るとそばの桜の木を見上げていた。その横顔にデジャブを感じていると、彼女が俺の方を向いて見つめてきた。
「菱沼主任、初めて会った時のことを覚えていますか?」
突然の問いかけに心臓がドキリと鳴った。
「ああ。君は緊張していたよね。だけどあの時には周りも同じようなものだっただろう」
「違います。入社式の日ではありません」
この言葉に心臓が早鐘を打ったようにドキドキしてきた。まさか、あの公園でのことを覚えていたのか。
「私の大学の卒業式の日に会っていますよね。この公園のこの場所で」
言われて思い出す。そうだ、あの時彼女はこの木の下に立っていた。俺の心臓の鼓動ははドキドキからバクバクに変わっていた。
「私、入社式の時に主任に会えて嬉しかったのです。もしかしたら主任も覚えていてくれているのではないかと思っていました。ですが、研修で講師として会った時も、その後に主任の下に配属されてからも何も言って頂けないのですもの。私、いい加減痺れを切らしてしまいました」
そう言って彼女は俺に真直ぐな視線を向けてきた。
「菱沼主任のことが好きです。あの日あなたに一目惚れしました。どうか私とつき合ってください」
そう言って彼女は俺に右手を差し出した。それはまるで舞踏会でダンスに誘う相手に許しを与える手つきに見えた。
それでも俺は彼女の手を取ることを躊躇ってしまった。
「駄目ですか?」
不安そうに彼女の瞳が揺れている。
「俺は・・・」
思ったよりも掠れた声が出た。一度口を噤み唾を飲みこんでからもう一度口を開いた。
「俺は、君より10歳も年が上だ」
「知っています。でも、大丈夫です。うちの両親なんて15歳離れていますから」
あれ、そうなの。・・・じゃなくて。
「主任なんてやっているけど、そんなに頼りになる存在じゃないよ」
「そんなことないです。商談を強気に出て強引に纏めるようなタイプではないですが、取引先からの信頼は厚いです。主任だから取引しているという相手がいることは知っています」
確かにここ2年、俺を指名で取引をしてくれるところがあるけれど。それは俺からの引継ぎで担当になった奴が、相手を怒らせてしまっただけで、そのフォローをしていただけなんだが。
「それに俺は地味で、今までの彼女には振られてばかりで・・・」
言いながら落ち込んできた。今までに付き合った女性は何人かいたが、全員に振られている。
「それは相手に見る目がなかったのです。それに主任は地味じゃないです。塩顔のイケメンです」
力説する彼女の言葉に顔に熱が集まってくる。ここまで言われて答えないのは男が廃るというか。
なので、息を吸って吐いて気持ちを落ち着けると、俺は彼女に言った。
「上条聖子さん、俺も2年前にこの公園で君を見つけました。そして、一目惚れしました。よければ一生共にいることを視野に入れてお付き合いください」
そう言って彼女に右手を出して頭を下げた。勢いで言ってから、余計なことを言ってしまったと思った。今までの彼女に振られた原因の一つはこれだ。重いと言われたんだ。
その俺の手に彼女の手がそっと重なった。
「はい。一生ついていきます」
顔を上げたら彼女が涙ぐんでいた。愛しさが込み上げてきて、そっと彼女を抱きしめた。
「これからよろしく」
そう言ったら・・・。
パ~ン
パン パン
クラッカーや紙テープが俺達に飛んできた。それと祝福する言葉も。他にもやっかみや失恋した~などの声も混じっていた。
周りを見たら俺達が所属する営業部だけではなくて、他の部署の人たちがいたのには驚いた。集まった皆に俺に抱きしめられたまま、彼女が言った。
「皆様、ご協力ありがとうございました。皆様のおかげで無事プロポーズしていただけました」
そう言って彼女が頭を下げたので、俺も一緒に頭を下げた。周りからは盛大な拍手が起こったのだった。
それから1年後、満開の桜の花の下で白無垢を身に纏った彼女と俺は、永遠の愛を誓いあったのだった。