詩人になるにはほんの少し悲しみが足りなかった(「Mana」お題挑戦)
「酔いたまえ~! 常に酔っていなければならぬ。それがすべてだ、問題はそれしかない!」※1
先程から、雄鶏か何かのように声高に詩を口ずさみながら、部屋を往復している男がいる。何かの発声練習のつもりなのだろうか。マナは、聴覚という器官を麻痺させて、聞こえなかったかのように、のみならず、自分の脳にその言葉がインプットされないように、巨大な壁で脳のまわりを囲うように遮断させた。
「今朝、あなたに薔薇をお届けしようと思い立ちました。吸って下さい、私の身から、その花々の芳しいなごりを!」※2
未だ雄鶏は鳴いている。今日も美味しい卵を産んでくれただろうか……。
そんな現実逃避の妄想の中についに逃げたマナであったが、〝吸って下さい〟の一節と共に、マナに向けて両手を広げたジーンに、マナの身体は思わずビクッと反応してしまった(彼のその振りが大振りだったから、というのも理由の一つなのだろうけれど)。
そう反応してしまったからには、聞いていないふりも無効である。ジーンは次なる詩を暗唱しようと、息を吸い込んだ。すかさずマナは、その間を縫うようにこんな詩をぶち込む。
「能ある鷹ほど、爪を隠さず。そのさえずりには、薄氷の水面さえもひび割れる。その水底に潜むは、悪魔か精霊か――」
それを口にするマナの声は、地を這うような低い声だった。近くから思わず、〝じゅ……呪術?〟という、引き気味の声が上がる。引かれようが何であろうが、マナにとってはどうでもよかった。とにかくマナは、静寂が欲しかった。それに今の時刻は、静寂がだんだんとふさわしくなる夕暮れ時である。夕暮れ時に雄鶏に鳴かれても、時差ボケを疑わざるを得ない。
案の定ジーンからは、〝誰の詩? えっ? 聞いたことないんだけど……〟と、戸惑いの声が上がる。それもそのはずだろう。作者は、マナ自身なのだから。
しかしそれにしても、自身が発した詩を今一度省みる。我ながら下手くその付け焼刃である。やはり詩人というものは、哀惜の感がなければ美しいものは生まれないなと、そう思うのだった。
しかしマナは、そんな自身の感情に気づいて、はたとした。
ということは、今の自分には哀惜の感がないというのか!? と。
いやいやあるはずだ。五月蠅い雄鶏に鳴かれてうんざりしている哀しみとか、どうやってその夕鳴きをやめさせようか、しかしやめさせる良い手立てが見つからない哀しみとか……
結局無理矢理〝哀しみ〟という言葉を当てはめようと頑張ったが、どうやら無理だったようだ。挙句の果てには、こう言われてしまった。
「……?? マナ、何笑ってるの?」
とね。
了
※1 シャルル・ボードレール「酔いたまえ」より
※2 マルスリーヌ・デボルド-ヴァルモール「サーディの薔薇」より